手に入れたい
嗤猫
掌中の珠
「おはようございます…」
鎖骨をチラ見せしつつ、肩は隠す絶妙なトレーナーを着てあの人が起きて来た。
俺が選んで着せてるんだけど。
癖のある長い前髪の下の目は、トロンと半分閉じていて、ポヤポヤとした返事。
「悠さん、今日お休みだよね。ご飯食べたらもう少し寝なよ」
「……ありがとう」
角切りのベーコンに焼き色を付けて、ホワイトクリームと卵のココット皿。ライ麦のバケットはカリッとする迄焼いてバターと蜂蜜を。トマトとレタスも少し添えてワンプレートにした朝食を並べた。
スプーンで半熟の卵を掬い、ちょっと躊躇ってから口に入れる。やはり少し熱かったのか、ギュッと目を閉じて数秒耐えてから、咀嚼する。
バケットは溶けたバターでシットリした中味とガリガリの外皮を楽しんで。嚥下する時に動く喉を観賞しつつ、自分の食事を再開した。
「響さんのご飯美味しい。幸せです」
眦を下げて花が綻ぶ様に笑う。穏やかな空間が心地良かった。
※
スチームパンク風の、ラフなコンセプトの店に不似合な、スーツ姿の悠さんがふらりと入って来たのはふた月前。
ゴツイ焼板のカウンターに席を取るから、店内の視線がゆるりと集まる。一目くれて興味を失う者、獲物と認めて舐めるような笑みを浮かべる者。
バーテンダーに促され、躊躇いながら口にしたオーダー。
「薹が立った私と食事してくれる、優しい人はいないかな?」
瞬間、俺は椅子を蹴り飛ばすかと思う程の勢いで立ち上がった。大きな音に隠れて諦めの溜息が周囲に落ちている。
「俺と食事しませんか?」
急展開と音とに驚いて見開いた瞳には、この世の春を迎えたかの様な俺の顔が映っていた。筈だ。
※
「ご馳走さま。…そんなに見つめられてしまうと、本当に照れてしまうから」
困り眉で笑った顔の、耳が朱く染まっているから、昨夜の嬌姿を思い出して口許が緩んでしまう。
あの店は、特殊な見合い場だ。普通の人と交われない人間がふとした切欠で知り、辿り着く。
カウンターでの注文がそのまま相手の募集条件だとか、テーブルにいる奴の本気度とか。そんなルールも教えられないまま、悠さんは連れて来られたらしい。誰だよ。そんな事した奴。
俺には最高の出会いになったが、一歩間違えば大惨事となった筈。
「昼まで寝ててよ。ご飯食べたら送るから。………ずっと此処に居てもいいけどね」
「魅力的過ぎて困る」
カップルみたいなフワフワとしたやり取りをしながら、次のステップにどう進もうかと仄暗い思考を巡らせる。
毎晩夕食を摂る為に部屋に招きいれる事に成功し1ヶ月。やっと触れられる様になった昨夜。
肌を、血液を、骨を。俺の知り得る食材で構成されるよう、作り替えたい。
既に、悠さんの会社の周辺の飲食店や自販機の商品は把握済。店のメニューは制覇したし、自販機にある銘柄は一通り漁った。出先での食事は、レパートリーの参考にしたいとお願いしたら、あまりしないからごめんと言いつつ、教えてくれる。
依存されたいとは思わないのに、体内を支配したいという拗れた欲望。
「1年で脳、3年で骨。脳神経膠細胞、骨芽細胞も少しずつなら浸食できるね。楽しみだなぁ」
※
「えー。悠さんもご飯の写真、SNSとかにあげるんですかぁ?」
「香菜子ちゃんのおかげで、珍しいお店に連れてきて貰ったから、自慢しようと思ってね」
出先で立ち寄った、若者に人気だと言う飲食店でオーダーした、サラダランチをSNSにアップする。オーバルのガラス製の器に、色とりどりの野菜が縞模様に並べられていて、目に優しい。スモークサーモンの塩気が少し強く、ドレッシングと喧嘩している。響くんなら…と考えて、クスリと笑みが零れた。
自分は、支配されたく無いと思う傍らで、相手の存在が常にある事を望む人間だ。装飾品をずっと身に着ける事の強要や、逆に依存をされたら、いつものように逃げてしまうだろう。
その点、響くんは最高だ。彼の支配は何一つ強要が無い。偶にする出先の食事の報告など、可愛い要望だ。お互いの生活の中に、存在があるという空間。
心苦しいのは、若い彼の時間を搾取している事だろうか。だが、ゆるりと甘いこの時間を自分から手放せる時期は、とっくに過ぎてしまった。つい先日、同棲の誘いを受けた時にも、どうしようもなく喜んで。きっと、彼が気付く時には、彼の人生を食い散らかした憎い老人が立っているのだろう。
※
今日もお互いの、否、自分の欲望に蓋をしながら、そっと呟いた。
「「ごめんね。愛してる」」
手に入れたい 嗤猫 @hahaneko
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