ほっぺたを膨らませて

雪子

ほっぺたを膨らませて

 息子の幼稚園で、「第六感」が流行っているらしい。

 ついこないだまで、「とうもろこし」を「とうも」と、「エレベーター」を「エーター」と言っていた息子の口から、流ちょうに「第六感」という言葉が出てきたとき、思わず箸を止めた。

「まいちゃん、今、涼太りょうたは第六感って言ったよね…?」

「うん、言ったわね。今流行っているアニメで『第六感』が出てくるのよ。その影響みたい」

「なるほど」

 妻に尋ねると、妻はなんてことなさそうに説明してくれた。

 子供は、本当にいろいろなところから吸収してくるものなんだなあと実感する。

「お父さん!僕ね、第六感があるんだよ」

 父と母の会話が終わるのを見計らって、息子はまた口を開けた。

 自分は第六感を持っているという。これはまた驚きだ。はて、これはどういうことか。

 「五感」すら正確に言えるかどうかも微妙な5歳の息子の口から出てきた、「第六感」という言葉。とても興味があった。

「へえ、涼太には第六感があるのか」

 とりあえず、話に乗っかってみることにした。

「うん!」

「どんなものなんだ?」

「えーっとね」

 僕が話に興味を示すと、息子は嬉しそうに目を輝かせて話始めた。

 子供は、大人が思っている以上に機敏に物事を感じていると思う。自分の話に相手が興味を示しているか、きちんと話を聞いてくれているか、片手間に相手をされていないか。そういうことを、機敏に感じ取って、反応を見て、生活している。嬉しそうに目を輝かせる息子を見ると、子供と大人としての一線を明確に引くのではなく、1人の人間として対話したいと感じる。

「空気の薄さが分かる!」

「へ…?」

「フッ」

 息子が勢いよく自分の第六感を公表したのを聞いて、僕はあんぐり口を開けてしまった。そんな僕の様子を見て、妻が笑いをこらえる。

「ちょ、まいちゃん、まいちゃん、涼太は空気の薄さが分かるのか⁉」

「優くん、焦りすぎ。最後まで聞いてあげて」

「う、うん」

 妻の反応を見るに、妻はこの話を一度聞いたことがあるのだろう。

「どんな感じで、空気の薄さが分かるのか?」

 っていうか、空気の薄さとかいう概念を息子は知っているのか?この質問は、グッとこらえる。まずは息子の思う通りのことを話してもらうに越したことはない。

「耳が、痛くなる!!」

「…ほほう」

 僕は両手を組んで少しうつむいた。「それは、第六感ではないんじゃないか…?」と思った表情を、隠すためだ。

「どうして、耳が痛くなると空気が薄いって分かったんだ?」

 表情を戻して、再び顔をあげる。

「だって、お父さんと一緒にどらいぶにいくとさ、高いところに行くとさ、『あ、空気が薄くなってきたな』っていうからさ、そのときさ、僕さ、いっつも耳、痛くなるから!」

「ほうほう」

 僕は、さっきよりも深くうつむく。「あちゃ、これは僕のせいだ」と思った表情を、隠すためだ。

 息子とドライブに行くと、いつも通る山がある。その山をグングン上っていくときに、僕は特に何も考えずに「空気が薄くなってきた」と毎回言っていたのである。もちろん、そのことが分かるのは第六感でもなんでもなく、「耳が痛くなる」からだ。

 その僕の言葉と、自分の耳に起こる変化は対応していることに気づいて、「耳が痛くなるのは、自分が空気の薄さを感じ取れるからだ」というところまで結び付けられた息子の思考能力に、感心する。子供の成長は早いなあ…ついこないだまで「とうも」って言ってたのに…。

 しかし、これは難しい。息子に「それは第六感じゃない」と教えるか教えないか問題が発生してきた。

「まいちゃん…」

「ん?」

「これは、教えてあげるべきかな」

「うーん、どっちでもいいんじゃなーい?」

 妻が、余裕の笑みを浮かべる。どうやらあたふたしている僕を見るのが面白いらしい。

「涼太、その第六感はねお父さんも持っているよ」

「え?」

 悩んだあげく、こういう言い回しを使うことにした。僕の言葉を聞いて、息子がぽかんとする。

「お父さんも?お母さんは?」

「お母さんも、持ってるわよ」

 妻も乗ってきてくれた。息子の表情が少し曇る。

「おばあちゃんとおじいちゃんは?」

「持ってるよ」

 僕が答えると、息子がきゅっと口を結んだ。

「それじゃあ、第六感じゃない!!」

「お」

 息子が叫んだ。ほっぺたが膨らんでいる。

「みんな、持ってるなら第六感じゃないー--!!」

「…」

 しまった。傷つけないように選んだ言い回しから、結局真実がばれてしまった。

「うーん、そうだね。第六感ってそんなにみんな持ってるものじゃないもんね」

「うん」

 妻がそういうと、息子はしおらしくうなだれた。

 そして数秒うなだれた後、急に顔をあげて、

「でもね!しょうくんは第六感持ってるよ!」

「お、おう」

 少しむきになった息子が、顔を赤くして言った。赤くなったほっぺが膨らんで、リンゴみたいでかわいい。

「どんな第六感なんだ?」

 僕は尋ねる。

「電気を感じ取れる」

「ほほう。どんな風に?」

「指が、『パチッ』ってなる」

 …それは静電気だ。困った、これも第六感じゃない。

「これも、みんな持ってるの?」

 僕の表情を見て、息子がまた顔を暗くした。

「…うん。涼太もドアを開けるときに手が『痛っ』ってなることない?」

 息子が一生懸命自分の記憶をたどって、思い当たる節を探す。

「ある」

「それはね、静電気のせいなんだ。しょうくんが『パチッ』って言ってるのは、その『痛っ』って感覚だよ」

 息子は、自分の『痛っ』という感覚と、しょうくんの『パチッ』っていう感覚が同じものだと気づいたみたいだ。

「で、でもー--」

 それでも息子は諦めない。さっきよりまたむきになって、言葉を続ける。膨らんだほっぺが愛おしい。

「はるちゃんは、第六感持ってるもん!!」

「そうなの?どんな第六感?」

「未来が分かる」

「へ…?」

 僕は、困惑した。まず、未来が分かるはるちゃんに驚いた。次に、息子の中に「過去、今、未来」という時間軸があることに驚いた。

 だけど、これも第六感じゃないなあとぼんやり思う。大方、その子は状況把握能力とか、推測能力が優れている子で、ちょっと先のことが「予想」できる子ということなのではないかと思ったのである。

「どんな未来が分かるの?」

「先生が教室に来ることとか、誰かがくしゃみすることとか」

 …やっぱり、そのはるちゃんって子は「近い未来」のことしか分からないみたいだ。この子は予想能力が高い子なんだなあ。

「それは、先生の足音が聞こえたとか、くしゃみをする前に息を大きく吸う音が聞こえたからじゃないかい?」

「でも、でも、はるちゃんはも分かるし、も分かるよ!」

「…本当?」

「うん、間違ってたことない」

 僕と妻は、顔を見合わせる。お互い、「これは第六感なのでは」という表情を張り付けた状態で、だ。

「ほらね、第六感はあるんだ!」

 そんな僕たちを見て、息子が勝ち誇ったような顔をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほっぺたを膨らませて 雪子 @1407

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ