モノクロガーデン~箱庭のシロクロスミレ~

織夜

第1話 野良猫




 ビルの谷間を車のヘッドライトとテールライトが川のように流れるその上空、ビルからビルへと飛ぶように駆け抜ける男がいた。腕には白い塊を大事そうに抱いている。それを遠くから眺める白衣姿の男がいる。周囲に視線を走らせればぽつりぽつりと白衣をなびかせた人影が等間隔で円を作り塊を抱えた男を追っている。円から外れて一人立つ白衣男は街の明かりに下から照らされ丸眼鏡が光り笑っているように見えた。


「チッ」


 必死になっている自分を笑って眺めていられることに腹が立って男は舌打ちを漏らした。懐のホルスターから術式銃じゅつしきじゅうを取り出し、包囲する白衣軍団が反応する前に二発放った。

 眼鏡白衣男の白衣が翻る。体の中心に当たったはずだが次の瞬間には四発の閃光が返ってきた。咄嗟に腕の中のものを庇った男の肩と足を貫通する。


「見苦しいなぁ。さっさと死んでくださいよ」


 夜のビル街に響く男の声は怒りよりも愉悦の分量が多い。

 死を望まれている男はまた舌打ちをする。屋上の縁で踏み切り四車線道路の幅を飛ぶ。


「クソッ……負け確なんて冗談じゃねぇ。ギャンブルってのは勝つまでやるんだよ!」


 次のビルから飛び立てばそこにはもう足場はなかった。ビル街の真ん中にぽっかりと穴を開けるような緑地が広がっている。術師にしか見えない虹色のドーム、絶対防御の結界に護られた術師にとって特別な場所だ。

 夜空に放物線を描く男はあと数秒もしないうちに結界に突っ込んでしまう。


「あっははははっ! 最強の術式で死ねるんだ、光栄でしょう!?」


 男は白い塊を抱き込んだ。顔を寄せてそれに話しかける。


「シロ、オレの一世一代の大博打、ノルか?」


 塊からもぞりと小さな白い手が出てきて男の襟を掴んだ。

 男が口の端をつり上げて笑う。


「ならオレはおまえに全賭けだ」


 覚悟を決めた男は清々しげに叫んで虹色に包まれた。男の軌跡が虹の橋を架ける。


換装体かんそうたい!?」


 結界は二人を拒むことなく飲み込んでいった。

 望んだ光景が得られなかった白衣男は、しばらく結界を見つめてビル風に吹かれていたが夜の影に消えていった。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ビル街の真ん中にある緑地には立派な洋館が建っている。その屋敷の主、明日夜あすや静は、滅多に寝室から出ない引きこもりだ。


「昨晩のうちに二基とも穢されたそうです」


塚守つかもりは?」


 静は主寝室のムダに大きなベッドに座り目を擦りながら執事の報告を聞いている。

 色白でゆるいクセがついた黒髪が人形のように整った顔を縁取っている。黒い瞳は深い穴のように暗く沈んでいる。表情にも乏しく、人形じみているので年齢も若いのか老いているのかわかりづらい。

 ベッド脇に立つ老執事がファイルを一冊差し出した。


「殺されたと」


 目を擦った手でそれを受け取り開く。内容は寝起きで見るには刺激的すぎる現場写真と遺体写真だった。公園の真ん中に銅像として、神社の隅にひっそりとしめ縄を掛けた岩の形としてある地獄塚が血にまみれひび割れていた。銅像や岩を囲むようにバラバラになった大人の体が置かれている中に一際小さい部位が見える。肌に文字が刻まれてどす黒く染まっていた。


「別の体が混じっているね。これは?」


 半分閉じた目で写真を眺めていた静は小さな部位を指さす。


「十歳前後の子供の一部、とのことです。二基を補佐する小塚も合わせて三十六部位、どれも手足だけで頭部や胴体はないと報告書にはあります」


 静が読まずに横に放った書類の束を老執事はチラリと見る。


「子供の方の身元は?」


 老執事の頭に全部入っているのを知っている静は質問の間にあくびを挟む。


「不明です。ただ、どの部位も同一のDNAだそうです」


 静が口端をわずかばかり上げる。初めて表情が動いた。


「ずいぶんと手足の多い子供がいたもんだねぇ。それで、これを持ってきた怪異担当刑事は?」


「手伝えることがあれば連絡いたしますとお伝えして帰っていただきました」


「それでいいよ、ありがとう。昨夜の侵入者についてなにかわかった?」


 ファイルを閉じて老執事に返した。

 老執事はファイルと結局一回も目を通してもらえなかった報告書の束を下げ、別の報告書が入ったファイルを渡した。

 ファイルを開いた静の眉間に皺が寄る。


慈雲じうんたすく、という名前以外は借金のブラックリストと警察の容疑者リストに多数登録されていることしかわかっていません」


「うん。すっごいロクデナシなのはわかった」


 失笑だったが人間らしいさが垣間見えた。


「ロクデナシが持ち込んだアレは?」


 静の問いに老執事は、なにもわからなかった、と、頭を下げた。


「処分いたしましょうか?」


 常に穏やかな表情をしていた老執事が静の瞳のような虚無を浮かべた。


「わざわざ手当てして寝室まで与えたんだ、そのままにしておきなよ。私は寝る」


 配下の非情さにも関心を示さず、静はベッドに潜り込み寝返りを打って背を向けた。


「本当によろしいのですか? 地獄塚の件に無関係とは思えません。地獄塚を穢すのなら目的はここに封じられている地獄です」


 そんなことは主もわかっていると老執事は理解している。それでも主の心配をする。


「そうだろうねぇ。でも、どうでもいいさ。開けられるもんならさっさと開けてしまってほしいよ」


 なにも考えなくていい寝ているときが静は一番幸せだった。侵入者が寝ている内に自分を殺してくれればいいとすら願っている。退屈すぎて色々なことに飽きてしまっていたのだ。

 真剣に願って最後の眠りを楽しんだのに、わざわざ手当てしてやった侵入者は動かず、静はゆっくりと目を覚ました事実に絶望した。暗い寝室で身を起こし目に掛かる前髪を掻き上げる。


「はぁ、まったくおもしろくない」


 この屋敷に時計はない。今が昼なのか夜なのかも窓のない静の寝室からはわからない。何日寝たかも定かではないが静には興味のないことだった。渋々起きて部屋の外に出る。キレイに整えられているのに寂れた様子の廊下を客間のある方へ歩き出す。客など来ないのに作られた部屋の一つに入ると大きなベッドに小さな子供が寝ていた。白い肌に白い髪、睫も眉毛も白い、真っ白な子供だ。


「同一のDNA。十歳前後ねぇ」


 静が近くで顔を覗き込んでも子供は眠り続けている。

 もしかしたら自分の生死を握っているかもしれない子供を隠す布団をめくった。子供サイズの服がなかったのか大人サイズのガウンに包まれている。合わせを開いて細い裸体を観察した。後頭部に冷たい感触が押しつけられる。


「私が誰かわかっていてそんなモノを向けるんだ?」


 静は表情をピクリとも動かさず振り向きもしないで背後に立つ男に問いかけた。

 上級術師でも越えられない結界を抜けてきた術師から、中級までの術師のために開発された術式補助銃を取り上げたところで戦闘力に変わりはないからあえて取り上げなかった。人によって形は異なるが、力を弾丸の形で発射する、と、いう既成術式を組み込んだ通称術式銃は扱いが簡易で怪異に対しては一定の威力がある。しかし、上級術師を相手にするならば水鉄砲の方がまだましという代物だ。


「チッ、明日夜静にこんなモンが効くなんて思ってねぇよ。でもな、当代最強がガキに手を出す奴ってなら話は別だ。しかもそいつはオレが連れ出したガキだ」


 推定ロクデナシがまともな言動をとっているので、常にどん底に沈んでいる静の心が少しだけ動いた。


「ふむ。いまいち君とこの子の関係性が見えないな。話し合う気はあるかい?」


 まだ銃を突きつけられたままだが静は平然と対応する。

 不意の来客は初めてだった。無自覚にワクワクしている静の声が少しだけ高くなった。少年に布団をかけ直す。


「仕方がねぇな。オレの力が回復するまで暇つぶしに付き合ってやるよ」


 銃が遠ざかった。振り返ると静のよりもやや高いところにあるスミレ色の瞳と出会った。色黒の肌にスミレ色の髪。垂れ気味の目尻には愛嬌があって黙っていれば華のある容姿だと窺える。整えればもっと男前だろうに、今の男は、髪は所々焦げているし顔はガーゼだらけ、体も包帯でグルグル巻きという有様だ。シャツの前を全開にしているが褐色の肌は白い包帯に覆われ、その包帯には血が滲んでいる。満身創痍、術師としての力も結界を越えるために使い果たしたのか空っぽ。だからこそ静は警戒も緊張もしていないのだが、そんな男が寝ている子供にちょっかいをかける〝最強〟に銃を向ける。弾など出るはずはないのに。しかも資料上では借金まみれの法律的にグレーゾーンの男、慈雲たすくは悪びれもせずなぜか上から目線だ。


「え~私、君のことキライかも」


 呆れたのと理解不能なのと初めて接する人種で静は眉間に皺を寄せ口をひん曲げ半目になるという人生初の表情をつくった。


「そりゃどうも」


 明日夜静の歴史的な瞬間にもたすくは軽いノリで流す。

 静に対し、大抵の術師は深々と頭を下げたまま視線を合わせることもない。胸中にあるのが尊敬か畏怖か嫉妬かには興味はないが、そのどれでもなく、また静が想像しうるどれにも当てはまらなくて不思議な感覚に陥った。


「こいつ、ケガしてたか?」


 たすくは少年の枕元に座った。気遣う声は優しい響きをしている。声に形があるならばたすくが少年に向けるのは丸くて柔らかくて淡いスミレ色をしているに違いない。垂れ気味の目尻をさらに下げて少年を見下ろす。


「無傷だったよ。その分君がずいぶんボロボロだったけれど、よく生きてたね」


 本来なら割り符を持たない術師が結界に触れれば爆発四散する。明日夜の長い歴史の中で一度として侵入を許したことがない。絶対防御の結界と言われる由縁だ。

 結界の異常を静が感知したとき、彼の胸は期待に躍った。その瞬間が、生まれて初めて喜んだ時かもしれない。しかし、庭に転がっていたのは物理的にも術師的にもボロボロの男と布に包まれた少年だった。静の配下たちは警戒で興奮していたが、彼自身は落胆した。それでもわずかな希望に賭けて手当てをして屋敷に招き入れた。


「こいつを護るのとここの結界を越えるのに極振りしたからな。だけど、命が残ってりゃオレの勝ちだ」


 結界を管理する者の責任として静は結界を越えた術式を特定して対策しなければいけない。たすくの口ぶりと軽薄な印象から口を割らせるのは難しくないだろうと判断できたが静は話題の矛先を変えた。


「今は空っぽだとしても結界を越えるだけの力を持つ君が全力で護ったこの子との関係は?」


 もしかしたら対等の力を持つかも知れない術師の登場は、静にわずかな楽しみをもたらした。


「金ヅル」


「ん?」


「金ヅルだよ。このガキはオレの金ヅル」


 無感動無関心が染みついてしまっている静を意外な優しさをみせて驚かせておきながらたすくはそうのたまった。

 静はたすくを過剰評価していた数分前を人生から削除したくなった。


「え~、やっぱり私、君のことキラ~イ」


「当代最強の術士様に嫌っていただけるなんて術師として光栄だわ」


 ああ言えばこう言う。腹の探り合いもない気安いやりとりに静は心地よさを覚えた。


「でも、この子から金を巻き上げるわけじゃないだろう?」


 静はベッドの近くに椅子を引っ張ってきて座った。

 タスクは少年の頭側に座っていた体を足側にいる静の方に向けて座り直した。


「オレの雇い主だよ」


 何の迷いもなくたすくはいう。印象通りの口の軽そうな男の話を、静は足を組んで先を促した。


「オレはこいつの……こいつの部屋か? まぁ、護衛だったんだよ。ギャラがいいから引き受けたって言うのに、秘密保持だかなんだか知らねぇがギャラ未払いの挙げ句殺そうとしてくるから一番大事なもんかっ攫って逃げてきたんだよ」


 ふんぞり返って被害者面しているたすくに、静は「なるほど、容疑者リストに載るわけだ」と、納得した。


「それって誘拐って言わない?」


 静の指摘にきょとんとして、たすくはなぜか首を傾げて悩んだ。


「あいつらからしたら窃盗じゃねぇか? こいつを試験管? みたいなトコロに入れて物みたいに扱ってたぜ?」


 静は「試験管」とういう言葉から連想される状況や少年の立場を考えた。一連の出来事を繋ぎ合わせて至った答えに、たすくを押しのけて布団をめくり少年の裸体に触れる。


「てめぇ!」


 突然少年に襲いかかった男にたすくは声を上げて引き離そうとするが、静が少年の胸に耳を当てるのを見てピタリと止まった。

 静は心音を聞き、首筋で脈を確かめ、小さな口から呼吸が漏れるのを確認する。体を屈めたままたすくを睨んだ。


「その試験管みたいなところから無理矢理連れてきたのかい?」


 自分でも意図していない怒りを見せた静にたすくは両手を挙げて弁解を試みる。


「出る手順はシロが知ってたしたまに外に出してなんかやってたから出ても問題ねぇのは確かめてあるよ! それに、オレと来るかどうか本人が選んだんだぞ!?」


 死んだ人間を生き返らせたり新しい命を作り出してみせたりというのは術師の歴史でも珍しいことではないが、大概は生命維持装置から出ると死んでしまう。どうやら自分は初事例に囲まれていると静は気づいた。


「……シロ? この子の名前?」


 驚きすぎてツッコミどころを間違える始末である。


「オレが勝手に呼んでんだ。こいつ、真っ白だろ。目も白いんだぜ」


 なぜかたすくが自慢げに話す。陽気で笑顔のレパートリーが多い。免疫のない調子に気圧された静は、「まぁ、確かに白い」と、納得した。


「なら君はスミレだね」


 面白みのない箱庭に現れた貴重な色彩だ。


「はぁ!? ……じゃあてめぇはクロだな」


 ケンカを売った訳ではなくてたすくの流儀に則って見たままを言っただけなのに勝手にケンカを買っていった彼は、しかしすぐに静をまじまじと見つめて一人納得して上機嫌になった。自由すぎる。


「ス……ミ……レ?」


 二人の間に三人目の声が現れた。静よりも早くスミレが反応した。


「シロ!? おまえ、しゃべれんのか!?」


 今度はスミレが静を押しのけた。シロに顔を近づける。動揺している割には声は抑えていた。


「スミレ……スミレ?」


 重そうにまぶたを開いたシロの目は、スミレが自慢した通りに白かった。虹彩や瞳孔まで白い。角度によって灰色に見えたり青色に見えたりする。その不思議な瞳が賢明にスミレを捉えた。小さな手が動いてスミレの顔を指さした。しゃがれた声でスミレの名を呼びぎこちない笑顔を浮かべている。


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