【KAC20223】嫌なことあればいいこともあり

松竹梅

第1話

最近、胸がざわついている。

これでいいのだろうかという違和感があるというか、ともすればふわふわと浮足立った気持ちになったり。

5年前に耳鳴りを起こしてから、ふいに僕を試すように突っついてくるのだ。


僕は目覚めのコーヒーがいつもより味が薄かったことで、それを感じていた。

「嫌な朝だ・・・」

「お、なんだなんだ。少年がなんかいい予感を感じていやがるみてぇだ」

朝のキッチン。新鮮さと静寂が満ちている空間で、男の野暮な声が響いた。

「いい予感なもんか、僕の作ったコーヒーが不味いなんて」

「悪いことがあったら、いいことがあるもんさ。未来をどう感じるかはあんた次第だろうけどな」

「それっぽいこと言いやがって・・・」

やけにまともなことをいう説教臭いセリフに嫌気がさして、コーヒーを一口すする。


「まあまあ、だが今日のお前さんはいい予感に満ちているよ。俺のセックスセンスがそう言ってる」

「セックスセンスぅ?」

「そう、セックスセンス。あんたの予感と一緒、俺の勘はよく当たるんだ」

「シックスセンスだろ?第六感」

「セックスセンスだよ。知ってるぜ?あんたが昨日楽しい夜を過ごしたのは。かなりの別嬪だったなぁ。俺はな?セックスしているやつの近くを通ると、そいつの人となりがわかるんだ。昨夜、この家の前で感じたのは並の予感じゃなかった」

分かったようなセリフで男が言う。

「あんた、彼女と近いうち結婚するぜ」


ほら、なにか嫌な予感が当たってきた気がする。

「・・・あんた、まさか彼女の父親か?」

カップから顔を上げることもなく、淡々とした口調で聞き返す。2人だけのがらんどうの空間に僕の声が響いた。

「よくわかったじゃねぇか。あんなに手塩にかけた自慢の娘を、こんな自堕落なやつに落とされるなんて、人生の失態だ」

「自堕落でイケメンなのは知ってるよ、ちなみに料理もできる」

「しかも屁理屈で返してきやがる、嫌な男だよ」

「その嫌な男に、あんたの娘は落ちたのさ。彼女が楽しそうにしてたのなら、よかったんだろ。どんな人生でも、彼女のものだ、あんたのじゃない。それを自分の人生の汚点のように扱うのはよくないぜ」

「・・・」

「僕の両親の言葉だ。『どんなにつらくても、あなたの人生を切り開くのはあなたの力。ただ生きているだけですごいこと。子供は、親にとって生きてくれるだけで美点なのよ』・・・家族旅行の帰り道、交通事故で死ぬ間際にこぼれた金言だ。もう5年も前になる」

「ああ」

「確かにつらかった。急に独り言を話し始める、よく怖がられたもんさ。陰湿な嫌がらせは毎日あった。それでも僕は両親の言葉を胸に前を向いた。現実が許さないとしても、僕の周りには話を聞いてくれる存在がいたからな」


男は黙って聞いている。朝日がだんだんとキッチンの足元にまで伸びてきた。

「そこに現れたのがあんたの娘だ。気立てもよく、よく気付く。僕の話もちゃんと聞いてくれるし、いつもそばにいてくれた。ずっとよくないことばかりの人生に、初めていいことが起きた気がした・・・。ある日、僕よりも全然料理下手な彼女が弁当を作ってきてくれたんだ。味は普通だったけど、いつものご飯よりもおいしく感じた。『美味しい』って素直に伝えると、すごく喜んでくれた。今までにないくらいの笑顔だったよ」

一息ついて、もたれていたテーブルから腰を離す。

「彼女を、一生大事にしようと思ったんだ」

「知ってるさ、毎日のように聞いてるんだから」

「だと思った、彼女まめだから。でもまさか、彼女の父親とこんな出会いになるなんて思いもしなかった。もしかしたら心無い言葉で傷つけてたかもしれない、だって知らなかったから」

「大丈夫さ、優しい優しい俺の娘だ。人の気持ちをわかってやれる、人一倍いい子に育ってくれた。それだけで十分さ」

野暮ったかった声に温もりが混じる。急な気温の変化に、少しだけ身震い。鼻をすすり、頬に垂れた涙を拭いた。


振り返ってカップをシンクに置く。朝日がさして、部屋に明るみが増していく。

「自慢の娘の巣立ちだ。男がしゃきっとしてねえと、俺みたいにろくな大人になれねえぞ」

「別に、嫌な予感が当たって残念だなって思っただけだよ」

「おいおい、彼女の父親に会うのは別に嫌な予感じゃねえだろ」

「そうじゃなくて・・・」

「それによ!」

反論しようとしたところで、男の声が響く。


「悪いことがあったら、いいことがあるもんさ。娘にいいことの一つくらい、迎えさせてやらねえとな」

少し間があって、そして一層強い気配がした。

「頼んだぜ、未来の婿様」


朝陽が、眩しい。ちらちらと変な気分になると同時に、気持ちが温かく撫でられていく。

5年前感じたのと同じ、嫌な予感が当たったときの感覚と、これからのいい予感を潜在的に感じている、そんな感覚。

「ほんと、嫌な朝だよ・・・」

ふと思い立って、淹れ直したコーヒーは、最初よりも数段美味しく感じた。

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