第29話
☆☆☆
初めて見るバイト先の人たちにも、ソレは見えていないようだった。
トートバッグの中から出て、オープン前のお店の中を駆け回って遊んでいる。
商品や他の人にぶつかってヒヤリとすることがあったけれど、ソレは他の人や物に触れる事なく、すり抜けた。
食事の時には物に触れたり吸い付いたりしているから、自分でコントロールできるのかもしれない。
午前中の陳列作業が終わると、1時間の休憩時間が挟まれた。
他の人たちと談笑しながら食事をしていると、ソレがまたすさまじい声で泣き始めた。
お腹が空いたのだろう。
あたしは一旦席を立ち、ソレを連れて店の外へと出た。
この子の食事になるようなものがないか、お店に来る前の間に色々と探しながら歩いていたのだ。
たどり着いたのは店の裏手だった。
搬入はすでに終わっているので、そこに人の姿はない。
代わりに子猫が数匹固まって座っているのが見えた。
今どき野良猫がいるなんて珍しいが、チャンスだった。
「ほら、ご飯だよ」
ソレに向けて言う。
ソレは生きている猫を目の前にして、たじろく様子を見せている。
今までは血が染み込んだ物や、カットされた肉から血を吸っていたからだろう。
「大丈夫。立派な牙があるんだから」
そう言い、あたしはソレの背中を押した。
何か感づいたのか野良猫たちが親を呼ぶように泣き始めた。
しかし、中にはまだ目が開いていない猫もいて、その場から逃げ出すことはできなかった。
「ほら、頑張って」
そう言うと、ソレが動いた。
最初は警戒するようにゆっくりと距離を縮め、一匹の猫めがけてとびかかったのだ。
子猫が「ギャッ!」と悲鳴のような声を上げる。
ソレは子猫が逃げないよう、長い両手で猫の体を拘束した。
カッと口を開くと怪しく光る牙が露わになった。
あたしはその様子を固唾を飲んで見守った。
猫は何が起こっているのかわからないようで、逃げ出そうともがいている。
けれど、そんな非力でかなう相手じゃなかった。
ソレは鋭利な牙を子猫の体へと突き立てた。
「やった!」
思わずそう声を上げていた。
しかし刺し所が悪かったのか、なかなか血が出てこない。
ソレは牙を一度引き抜いて、再度刺し直した。
今度は上手く行ったようで、ジュルジュルと音が聞こえ始めた。
ゴクゴクと喉を鳴らして血を飲み込む度に、猫は大人しくなっていく。
「よかった。初めての狩りが成功したね」
嬉しくて、涙が出て来そうだった。
一匹目の猫がソレの腕の中でダラリと力を失ったとき、ソレは次の猫に狙いを定めていた。
必死に逃げようとしていた猫たちだけれど、足元もおぼつかないので逃げようがない。
ソレは食べきった猫を捨てると逃げ遅れた猫に飛びついた。
今度の猫はさっきよりも元気で、ソレの腕の中で暴れ回っている。
小さな猫の爪がソレの腕に突き刺さった。
「あっ」
咄嗟に駆け寄ろうとしたが、途中で思いとどまった。
ソレは猫の頭部へ噛みつくと、猫がすぐに静かになったからだった。
ソレの腕には微かな傷がつき、青い血が流れ出している。
後でちゃんと褒めてあげて、手当てをしよう。
そう思ったのだった。
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