電脳格闘、その才能

因幡寧

第1話

「うわっ」


 振り返ると知らない男性が目前にいた。どうやらこちらに話しかけてくる寸前だったようで、驚かせてしまったらしい。


「……えっと、なんですか?」


 少し警戒しながらそう問いかけると、男性は少し慌てて口を開いた。


「ああいや、ずいぶん熱心にあれを見てるようだから、少し話でもできないかなと思ってね」


 男性が示す先には大きなモニターがある。そこにはある試合が中継されていた。


「電脳格闘技ですか」


「ああ、君も好きなんだろ?」


 男性の言葉に俺が頷くと、破顔し、近くにゆっくりと腰かけた。


 最初の発表から数年。きらびやかなエフェクトを発生させながら人間ではありえない動きで戦うその格闘ゲームは、絶大なとまでは言わないものの、プロという存在が現れるぐらいの人気は得た。今自分がいる『アナザーワールド』という電脳世界でしかできない競技ではあるが、現実にない派手でヒロイックな映像はけして少なくない人たちに刺さったということだろう。かくいう俺もその一人だ。


「今回はだいぶ波乱の展開だね。氷の女王も予選で敗れたし皇帝だって敗退してしまった」


「……たいていの大会でずっと二人で決勝やってましたからね。早々に敗退したのには俺も驚きました」


 いきなり話しかけられて隣に座られたので驚いたが、視界の隅のプライベートウィンドウで確認する限りでは違反歴といったものもないようだし少し迷ったが話に応じることにした。


「君はあれをやったことはあるのかい?」


 電脳格闘技はゲームであり、購入しこの世界で展開すればだれでも参戦することができる。俺は購入はしたが、なんだか怖くていまだに展開したことはなかった。


「いえ。持ってはいるんですけど」


「……憧れて買う。でも不特定多数の人と殴り合うなんて怖くて起動できない。わかる。わかるよ」


 男性はそう言いながら空中に指を走らせる。どうやらプライベートウィンドウを操作して何かを見せようとしているらしい。


「もしかしてセールスとかだったりします?」


「え? いや違うよ! ただちょっと見せたいものがあるんだけどなかなか見つからなくて……」


「……お金そんなに持ってませんからね、俺」


「だから違うってば」


 何故お金がないのかと言えば電脳格闘技を購入したのが少し前だからだ。ここで試合のモニターを眺めていたのも憧れで恐怖を上塗りできないか考えたからだった。


「あった! これだよこれ」


 俺がどうするべきだろうかと思案していたところに男性は喜びの声を上げ、すぐにそれを実体化した。


「アイテムカード?」


「ご名答。これは電脳格闘技で使える武器のアイテムカードさ」


 見せられたそれの表面にはメカメカしい銃が描かれていた。重なって表示された情報欄を見る限り、その男性の言っていることは本当なのだろう。


「いろんな武器で戦ってる選手を見てきましたけど、銃なんて使ってる人見たことないです。そんなのあったんですね」


「それは当然だ。これはプロで使えるような武器じゃないんだよ」


 男性はその理由を言い当ててほしいのかそこで言葉を止めた。俺は少しムッとしながらも考えてみる。


「……ステージが狭いからですか?」


「うん。確かにそれも大きな要因の一つだ。でもそれだけじゃない。現実に比べてこれははるかに当てにくい武器なんだよ。選手はソフトのアシストを受けて人間以上に素早く動く。感覚もある程度強化されるから弾丸をよけれちゃうんだな。それに遠距離武器というのもあってか全武器の中で最低ランクの攻撃力なんだよ。加えて連射もそれほどきかない」


「運営は近接戦闘してほしいってことですかね」


「僕はそういうメッセージを伝えるためにこれがゲームの中に残されていると推測しているよ」


 手渡されたそのカードをもう一度よく見てみる。能力欄を見てみると決して等級の低い武器ではないのに男性の言う通り攻撃力の数値がそれほど高くない。


「それで、これがなんなんですか?」


「や、君にそれをあげようと思ってね」


 その言葉と共にトレードの申請が視界に現れる。俺の手にある銃のアイテムカードは既にテーブルに乗っており、相手側の承諾ボタンは既に押されていた。後は俺が承諾ボタンを押せばタダでこのアイテムの所有権は移動する。


「え、なんでですか? さすがに少し怖いんですけど」


「そう感じるのも仕方ないけど、ただの善意だよ。――あのゲームをプレイするのに乗り越えなきゃいけないもの。それは相手から直接攻撃されるという恐怖と、自分が相手を殴るという事実に対する恐怖だ。これは後者の恐怖を多少なりとも和らげてくれる」


「……一番怖いのは前者の方だと思うんですけど」


「まあね。でもこれを受け取れば多少責任が生まれるだろう? 譲られたのに使わないなんて罪悪感がありそうじゃないか。一回だけでもやってみようと思ってくれれば僕はそれでいいのさ」


「もらってもプレイできないかもしれませんよ」


「いや、君はプレイする。もうゲームを買うところまで憧れで行ってるんだからね」


 男性の真剣な表情に、俺は意を決して承諾ボタンを押した。ウインドウには正式に所有権が移動したことが記載されている。


「どうしてこんなことしてくれるんですか?」


 自分のものになったアイテムカードを手に思わず問いかける。男性ははにかんで少し遠くの方を見た。


「僕もここであのモニターをよく眺めていたんだ。憧れて、電脳格闘技を購入して、本気でプロになりたくて頑張った。……君の姿が昔の自分にそっくりだったから思わずね」


 男性のその雰囲気と、『頑張った』という過去形が引っかかった。


「プロになるの、諦めちゃったんですか?」


 控えめに放たれた俺の声に少し逡巡した後、男性は静かに口を開いた。


「……君は『第六感』って聞いたことあるかい?」


「第六感って、霊感とかそういう……?」


「それじゃなくて、電脳格闘技における『第六感』さ。……耳を澄ますことは誰にでもあるだろう? 耳を澄ますと特定の音だけを集中して拾うことができたりする。電脳格闘技には――いや、この電脳世界では音以外もそういうふうに選別して感じることができる才能が存在するんだ。それが『第六感』と呼ばれている」


「音以外?」


「ああ。例えば相手の選手がすぐ後ろに現れた時の空気の変化とか、視界の外からの攻撃に対する普通では感じられないほど小さな予兆とかを拡大して感じることができたりするんだ。それらは今まで単純な感覚の鋭さとされてきたんだけど、脳の構造による才能だと近年ではわかってきた。脳に流し込まれる情報を選別する力ってことだね。……今活躍してるプロの選手はみんなこの能力を持ってるんだよ。見えないはずの攻撃をよけられたりすることに常日頃違和感を感じてはいたんだけどね。それの正体を突き付けられて、加えてそれが自分には備わっていないとわかった時、僕は折れてしまったというわけさ」


 男性から発せられる諦観に俺は思わず閉口してしまう。そんな俺を見てか、男性は意図的に明るくした声で言い放った。


「でも、いままでの頑張りが無駄だったとは思ってないし、今もその選択を後悔してはいないよ。そりゃ神様を恨んだりもしたけど、過程でかけがえのない出会いもあったし、今君の背中を押すこともできているからね」


 にやりと笑い、男性は続ける。


「今の奥さんだって電脳格闘技を通じて知り合ったんだぜ? はは、だからそんな顔するんじゃないよ」


 肩を叩かれ、俺は反射的に作り笑いをした。


 ……その後は話を続けられる雰囲気ではなくなりすぐに解散となった。


「最初に僕が声を掛けようとしたら振り返っただろう? もしかしたら君には才能があるのかもしれないね」


 去り際、男性にそんなことを言われた。

 渡されたアイテムカードを手に考える。――あの時俺は、背後に何かを感じたから振り返ったのだろうか。


「とりあえず、やってみるか」


 自分に才能があるのか。そんな思考は後回しにして、今はゲームをプレイしてみようとそう思った。

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