第1話 春風の丘
目を開ければ、透明な青が広がっている。真っ白な羊雲が目の前をゆったりと横切っていく。うららかな春の日差しは思ったより眩しくて、
宮殿を見下ろす丘の上、芝生に腕枕で寝転がった紫遠はまたうたた寝を始める。軍の調練を古参将軍に押しつけてここへ抜け出してきたのだ。
二十三歳になる紫遠は宗国皇帝の長子で、後継者として幼少から文武ともに厳しい教育を受けてきた。父の宗緑永は統率力を磨くよう期待して若い紫遠に全軍を任せているが、本人はどこ吹く風だ。こうやってしばしば誰にも邪魔をされない丘の上で自由を満喫する。
それにいつも付き合わされている
青蘭は傍らに生えている綿毛のたんぽぽを摘み取った。唇に近づけ、思い切り吹いた。勢い良く飛んだ綿毛が呑気にうたた寝をする紫遠の鼻腔を襲い、紫遠は大きなくしゃみを連発する。紫遠は鼻をこすりながら半身を起こした。
「どうした青蘭、そんな景気の悪い顔をして」
紫遠はいたずらな笑みを浮かべる。もちろん、青蘭の憂虞を知ってのことだ。青蘭は小さなため息をつく。
「いつまでこうしているつもりですか、若。夕刻には皇帝陛下の元へ行かねばならないでしょう」
苦言を呈する青蘭に、紫遠はどこ吹く風だ。
「まだ夕刻には遠いぞ」
そうは言っても、太陽はゆるやかに西へ傾きかけている。全く焦る様子のない紫遠に、青蘭はまたひとつため息をついた。
「用件は分かっている。西域への行軍が始まる」
紫遠は空を見上げた。風が少し強まったようだ。雲が千切れながら東へと流れていく。
「大事な話ではありませんか。早く行かねば皇帝陛下はやきもきしておられるでしょう」
青蘭はぱっちりとした目を細めた。長いまつ毛が琥珀色の瞳に影を落とす。西域への行軍が始まるということは、軍を統率する紫遠が遠征に出ることになる。戦も避けられない、本当は行って欲しくはない。
「お前と鳥の声を聞き、花に囲まれながらこうして空を見上げている方が好きだ」
できることなら私もそうしたい、と青蘭も空を見上げた。一陣の風が吹き抜け、花吹雪が舞った。
「そろそろ行くか」
白い雲が夕陽を受けて金色に輝き始めた。紫遠は立ち上がり、大きく伸びをする。丘の下には巨大な宮殿の赤色の屋根が見える。その先には一本の大通り、まるで碁盤の目のように細い路地が広がっている。彼方までは霞んで見えない。
「さあ、陛下がお待ちです」
青蘭も立ち上がる。頭一つ背の高い紫遠は澄んだ瞳で彼方を見つめている。夕陽が紫遠の高い鼻筋と、厚みのある唇を赤く染めていた。
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