Enlightenment~覚醒者

多賀 夢(元・みきてぃ)

旧き、新時代の技術者

 10歳の頃、私は唐突にあるイメージを得た。


 真っ暗な部屋の中、私は全身にたくさんの機械を付けて、黒い椅子に座られている。目の前には映像が流れている。その映像は、私が思ったように右に動き、上に動く。映像の中で風が吹けば、機械から空気が流れる。走ろうと考えると、足の裏に板が押し当てられて、地面を踏みしめたのに似た感覚が起こる。


 我に返った私は、深く考えた。こんなことは、科学的に可能なのか。子供の自分でも思いつく矛盾の数々を、解決する技術はないのか。

 そして、ある答えにたどり着いた。風景は、思った通りに動いているわけではない。この足も、思った通りに走っているわけではない。

『もし私が作られた映像を見せられて、作られたタイミングで風が吹き、作られた瞬間に足が動かされているのなら、――すべての感覚を機械で刺激できれば、動いていないのに動いていると錯覚するのは可能だ。あとは、そう動くつもりだったと思い込みさえすればいい』。


 誰かに言ったとして、きっと理解はされないだろう。

 私は、イメージの事も想像した事も、誰にも言わなかった。そのイメージの片隅に、全身黒い服の人間が見えたことも黙っていた。




 病院のベッドの上で、私は「あ」と小さく声を上げた。

「どうされましたか」

 白い制服を着た若い男の看護師が、いたわるように私を覗き込んだ。

「89というご高齢ですからね、やはりメタバースへの移住は抵抗ありますよね」

 そこらの老人と同じにされた私は、皮肉たっぷりに口をゆがめた。

「あるわけないでしょ。私はエンジニアよ、部分テストで何回も潜ってるわよ」

 看護師は、慌てた様子で首を左右に振った。

「すみません!いや、同年齢の移住希望者の中には、意識の置換を怖がる方もおられますので!」

 その必死な顔がおかしくて、私はケラケラと笑った。

「そこらのジジババと同じにしないでよ。それに移住じゃなくて『全体テスト』って言ってるでしょ。私は1年で帰ってくるんだから」

「そうでしたね。でも」

 看護師は私のバイタルを確認してから、手元のタブレットに何かを書き込んだ。

「電子の楽園っていうじゃないですか。あっちの方がいいって、帰りたくなくなるんじゃないですか?」

「――無知だわね」

「はい?」

「ううん?」

 私は呟いた内容を、ほぼしわのない笑顔で打ち消した。ちなみにこの顔は、まったく整形などしていない。医療技術が発達した現代、老いが少ない人間は飛躍的に増えている。

「こんなおばあちゃんが、体を張ってメンテしなきゃいけないテクノロジーよ。リアルの方が、まだ完成されてるに決まってるでしょ」

「いやいや、それはアキラさんが優秀な脳の持ち主って事じゃないですか。――更に『肉体というハンデの消えた世界』だなんて、そりゃ誰だって羨ましいですよ」

 私は、おだてる彼の中に根深い嫉妬の影を見た。私は口を閉じて、再びほほ笑んだ。こんな人間に真実を話したところで、理解はできないししようともしないだろう。

「ま、この肉体はうちの会社が引き取るから。おたくには迷惑かけないわ」

「いやいやあ、何を心配されているか知りませんが、うちの病院でもきちんと管理できますってのに。心配しなくても、そんなご老体に興味を持つ男は僕を含めいませんから」

 無礼に笑う彼の顔あたりで、赤い光が二度点滅した。宙に配置された疑似端末――MRパネルが、彼のハラスメント発言に反応したのだ。

 私の腕時計型端末を通して、彼の発言はこの病院の倫理委員会に通達されただろう。今の世の中、冗談という単語は死語に近い。あえて他人を傷つけるというコミュニケーションは、法律にない法により社会的に裁かれる。


 ――監視社会に順応できない人って、どうしてこんなに減らないのかしら。

 私は指先でMRパネルを操作して、さっさとメタバースへのアクセスを許可にした。

 マシンの起動音に焦る彼に、私は冷たく一瞥を食らわせた。

「あなたの一時間後の未来が、虚構になるよう祈っとく」

 私の心からの呟きは、自動で被せられた酸素マスクによって塞がれた。視界がゆっくりにじみ、リアルと虚構が混じっていく。


 これから1年。私は、メタバースエリア『タカマガハラ』の実動テストに向かうのだ。

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