ハラスメント

混沌加速装置

タワムレ

「子供はいいですよねぇ」


 得意先との商談を終えた帰り、公園のベンチで遅い昼食がわりの菓子パンにかぶりついた幕田間まくたまは、砂場で遊ぶ三、四歳くらいの男女三人の子供たちを、背中を丸めてぼんやりと眺めながら独り言のような調子で呟いた。


「なんだ? 結婚でもしたくなったのか?」


 隣で缶コーヒーを片手でもてあそんでいる上司の式遊しきそびの問いに、「いえ。そういう意味ではなくて……ほら、アレですよ。子供は気楽でいいなぁっていう、疲れた大人の常套句的な」と幕田間が返す。


「ああ……まぁ、だからと言って、今さら子供に戻りたいとも思わないけどな」


「ですよねぇ……あ、でも今の知識や経験がそのままで、身体と年齢だけ子供に戻れたとしたらどうです?」


「某アニメの少年探偵的な? あれはあれでストレスというか、逆にフラストレーションが溜まるんじゃないか?」


 式遊の言わんとしていることを察した幕田間は「あー……かもですねぇ」と曖昧に首肯し、再び手元の菓子パンにかじりついたところで「やめてよー」と幼児特有の舌足らずな声が聞こえ、視線を上げて砂場の子供たちに目をやった。


 声を上げたのは女児のようで、対面にいる男児二人に口をとがらせている。


「よごれちゃうからダメー」


「だって、おたからさがしだもん。おたからはうまってるんだもん。だからうめないとダメなんだよ?」


「おにんぎょうさん、よごれちゃうでしょー」


「でもさー、たっくんもそうゆってるもん。うめなきゃダメだよね?」


 たっくんらしき男児が真剣な顔で大きくうなずく。砂場のそばには母親と思われる女性三人の姿があり、おしゃべりに花を咲かせつつもときおり子供たちに視線を送ってはいるが、とりわけ彼らのやり取りに注意をうながす様子はない。


「しょうくんのロボットうめればいいでしょー」


「えー、ヤダよー」


「なんでー。そんなのずるいよー」


「ずるくないもん。だって、パパがママにいつもゆってるもん。おんなはおとこのゆーこときくもんだって」


「ひなちゃんのパパはゆわないもん。ねぇ、たっくん? たっくんのパパもゆうの?」


 それまで下を向いて砂をいじっていたたっくんは「うんとね。うーんと、おんなのこにはね、やさしくしなさいってゆってた。たぶん。わかんないけど」と顔を上げずに答えた。


「ほらー」


「ぼくのパパはゆってないもん。だからそんなのしらない」


 しょうくんが穴の中に人形を置いて砂をかけると、ひなちゃんが「やめてってばー! おにんぎょうさんかえして!」と大きな声を出して彼の手を押さえにかかった。


「イー、ヤー、だ! はなせよー!」


「かえして!」


 ひなちゃんがべそをかきはじめたところで、ようやく母親の一人が異変に気づき「ちょっと、しょうくん何やってるの! 仲良く遊ばないとダメでしょ!」としょうくんを叱りつけた。


「ぼくじゃないもん。ぼくわるくないもん……んんんわぁぁぁん!」


 ひなちゃんに続いてしょうくんまでもが泣きだし、母親たちがなだめに入る様子を眺めていた式遊が「カオスだな、こりゃ」と呟き、幕田間も「子供は子供で大変ですね……」と感想を漏らした。


「でもまぁ、子供だからこの程度で済んでるってのはあるよな。これが大人同士だったら、今頃は大問題に発展してるところだろうよ」


「どういうことですか?」


「あの子らの会話、聞いてなかったのか?」


「聞いてましたよ。大きな声でしたし。どちらかといえば聞こえてたって感じですけど……どこか変でしたか?」


「人形を持っていた男の子、しょうくんとか呼ばれてたか? あの子が言ってたやつだよ」


 幕田間は特に考えもせず「泣き出す直前の『僕は悪くないー』ってアレですか?」と返し、菓子パンの残り全部を口の中へと押し込んだ。


「もうちょっと前の部分だよ。『女は男の言うこと聞くもんだー』っていう」


「あー。男女差別的な」


「男尊女卑な。おそらく元凶は父親……いや、もとをたどれば、あの父親を教育した両親ってことになるか。というか、ありゃ母親のほうにも問題ありだな」


「母親のほうにもですか?」


「実際、女の子の人形を無理やり埋めようとしていたしょうくんに非があったにしてもだ、事実関係を確認もせずに一方的にあの子を叱りつけてただろ?」


「あー」


「子供ってのは親を見て育つもんだ。子供のうちからあれじゃあ、社会に出る頃には偏見で凝り固まった前時代的な考えの大人になっちまう。どこかで誰かが修正してやらないと、下手すりゃ人生の落伍者にもなりかねない」


「たしかに」と幕田間は菓子パンの入っていた袋を丸めると、口元についたクリームを手の甲でぬぐいつつ「最近は何かとうるさいですもんね。ポリコレだのハラスメントだのディスクリだのって」と口内のパンをもごもごと咀嚼そしゃくしながら興味なさげに続けた。


「ディスクリってのはなんだ?」


「ディスクリミネーションの略で、差別って意味です」


「まったく……横文字だらけで覚えきれねぇよ。今に始まったことじゃあないが、聞き慣れないカタカナは年々増える一方だ。こっちは日本で暮らしてるってのに、なんでわざわざ英語にする必要があるんだか」


「さぁ……そういう活動家でもいるんですかね?」


「さぁな。ともかく、俺たちも普段から言動には気をつけないと、いつどこで誰から槍玉に挙げられることか。もしそうなったら、子供や政治家みたいに『知りませんでした』じゃ済まされないぞ」


 そう言って立ち上がった式遊に続き、幕田間も「そうですね」と他人事のように言って腰を上げた。

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