十年後の君へ

M.S.

十年後の君へ

 目に映る空の蒼はいくら澄んでも澄み切らず、そんな美しさをうれうようにしてぽつぽつと雲が化粧している。

 地にいて一番高い背丈なのは向こうに根付いている森林の木々だろうか。その木々が空を持ち上げて美しさを讃える以外に、天に手を伸ばすものは他に無い。

 その分空は低く見えるが、僕等ぼくらが少し手を掲げてみた所で、その美しさがそこなわれるわけも無い。

 芝は風にそわそわ揺れ、向こうの樹齢そこそこの大きな木々達を臨んで「私達も早く大きくなりたい」と僕等を囲んだまま輪唱して訴えている。

 そのままそれは子守歌にもなり得て、耳をくすぐ微睡まどろみに誘う。


 そんな優しさの景色の中、幼い二人は家の裏にある開けた場所の原っぱを敷布しきふに、寝そべっている。


「ねぇ、寝ちゃった?」

「ううん、寝てないよ。でも、気持ち良いから眠くなってきちゃった」

「もし寝たら、寝ている間に口の中に葉っぱを詰めるわよ」

してくれよ......」

「どの草の葉っぱを詰めてあげようかしら? ......あれ? あそこ、綺麗な花があるわ!」

「ん? どれ? ......ああ、あれは【十重葛とおえのかずら】だね」

「流石、お花の事なら何でも知っているのね」

「ん、まぁ、ね。だってその花、フロウラにそっくりだよ」

「えぇ? どこが?」

「この白っぽい薄桃の花弁はなびらなんて、フロウラの頬にそっくりだよ。ほら」


 僕はそう言って、大木を背凭せもたれにするように咲いていた、一輪の【十重葛】に近づいてそれを摘み、フロウラの顔の横に持ち上げる。


「止めてよ。恥ずかしいわ」

「どうして?」

「そのお花程、綺麗じゃないもの」

「そう? でも、似ているよ」

「似てない」

「似てるって......、そうだ、この【十重葛】、持ち帰って育てる事にするよ」

「ふぅん」

「家の中なら、きっと冬も越せると思うんだ」

「どうして、持ち帰るの? ......私と、似てるから?」

「それは......」


 フロウラは悪戯いたずらな微笑を浮かべて、僕の顔を覗きこんだ。でも、すぐにうれうような目になってその頬を【十重葛】の花弁みたくした。


「ねぇ、大きくなったらそのお花みたいに、私の事ももらってくれる?」

「え......? どういう事?」

「一緒に住んでくれるかって、いてるの」

「家が隣なんだから、今も一緒に住んでいるようなものじゃないか」

「あのね、そうじゃなくて、同じ家に一緒に住む事に意味があるのよ」

「どうして?」

「はぁ、馬鹿ね......」


†††


 あの戦争の後、伝令の人が家にやって来て、「両親は遠い所へ行ってしまった」と聞かされてから彼女は、少しずつ変わってしまったように思う。

 初めは、些細なものだった。声を掛けてもぎこちない返事をしたり、ぼーっとしたりしていた。しばらくすると、僕が「山に散歩に行こう」と誘っても無視をし、僕が植えたり剪定せんていした花を見る代わりに、家にこもって魔術書を見るようになった。偶々たまたま玄関先で会って僕が挨拶をしても剣呑けんのんな視線で返すだけで、それ以上の反応は無かった。

 きっと、怒っているんだと思う。

 戦争で隣国の【地人ドワーフ】に両親を殺されて、それからずっと失意や怒りで出来たまきを、心という炎にべ続けていたのだと思う。

 きっと彼女をそうさせているのは復讐心だ。

 愛が裏返ったのだ。

 その炎の強さは、そのまま今までに彼女が両親から受けてきたものの多さなのだろう。

 僕の両親は宮廷庭師として中央セントラルつかえているので、ある程度王家に庇護されて戦争にもおもむいてはいない。両親を失ってしまった彼女に、掛ける言葉、掛けられる言葉が無かった。


†††


 そのようにして数年経ち、家の裏にちらほら咲いていた【十重葛】もその花弁を地に落とす季節となって来た。

 家の窓の内側からその悄然しょうぜんとした花達と、窓辺に飾ったあの日の【十重葛】の一輪を見比べる。持ち帰ったその【十重葛】も多年草のはずなのだが、僕の手入れが良くなかったのか、去年よりはそのこうべを垂れているように心做こころなしか感じる。

 本当は向こうに咲く【十重葛】も全て救ってあげたい。それが叶う頃には、彼女の胸に溜まっていくにごったおり泥濘でいねいを掬ってあげる事が出来るだろうか。

 どうすれば彼女がまた昔のように僕の花の蘊蓄うんちくを、にこにこと笑って聞いてくれるか考えていた頃。

 玄関の向こうから呼び鈴の鐘が、揺らされた音が聴こえた。


 扉を開けると、魔術杖を携えたフロウラが立っていた。

 僕に用事があるかと思ったが、その瞳はまるで僕を見ているようには思えなかった。

 僕の後ろ側を見ているような。

 でもその視線の先は僕の背後の、窓の脇に置いた【十重葛】でも、更にその後ろの裏庭でも無い。

 もっと、もっと。何処どこか遠い所を見ていた。

「ここを、出ていくから」

 いつかは、そうなる気がしていた。

 そして、それを見ないようにしていた。

 彼女が手にしているのが、花の本から魔術書になったのを見た時、心が痛くなって仕方が無かった。それは僕に対する一種の拒絶を表明しているようにも見えた。きっともう彼女の部屋の本棚には、花に関する書物は本棚の隅に追いやられているか、そもそももう捨てられたと考えると、僕の事も同じように捨てるんじゃないかと思った。

 捨てられたくない。

 でも、ここで何を言えば正解で、何を言えば彼女を引き留められると言うのだろう。僕を捨てないで居てくれるのだろう。彼女の瞳が見れない。こんなに怖い彼女は見た事が無かった。

 僕が放心していると、呆れたのかフロウラは溜息を吐き、手にしていた両親の遺品の魔術杖────《赭色そほいろの夢》の杖先を僕の顔に向け、炎の槍を放った。

 槍は僕の頬を掠めて髪の一房を削って、その先にあった窓際の【十重葛】を灰に還した。

「さようなら」


 彼女が去った後、すすりなきながら割れた窓硝子まどがらすを掃除した。窓辺の【十重葛】は、鉢すら残らなかった。


 どうやら彼女は、僕を徹底的に〝捨てる〟らしかった。

 僕は口が上手く回る方じゃないし、吟遊詩人ぎんゆうしじんでも無い。彼女の心を少しでも動かす事の出来ることは紡げそうに無かった。

 それでも僕は、彼女に捨てられたくはない。口も開けず、杖も握れない臆病者の僕は、今年から彼女の花を裏庭に百輪ずつ植えていく事にした。

 それが僕に出来る、最大限の、彼女の拒絶に対するささやかな対抗と、意思表示。

 僕は此処ここで【十重葛】と共に、君を待つ。


†††


 それから三年が経った。

 植えた【十重葛】は三百輪。

 冬になればしおれてしまうと思ったが、沢山の【十重葛】はその身を寄せ合って根を互いに絡め、越冬する事が出来た。

 僕等と言えばその【十重葛】のようにはいかず、互いに自分達の道を歩いている。

 僕は花師となって、この街に花を咲かせ。

 彼女は魔術師として、戦場で憎悪の炎と血の花を咲かせているらしい。

 その《若き炎の才媛》の噂は、僕の耳にまで届いた。人から人へ伝播でんぱして此処ここまで届くそれは、彼女の哀哭あいこくにも聴こえた。けれどその叫びの真の意味までは、この街からでは探れない。〝もう疲れた〟とも取れたし、〝まだ殺し足りない〟とも取れた。


 戦場の彼女を案じる日々の中、彼女からの手紙が届いた。


「手紙に書いた通りよ。貴方の腕を、もらいに来たわ」

 再会したフロウラは隻腕せきわんとなっていた。大方おおかた戦場で失ったのだろう。そして三年という月日はフロウラの人相をやつれさせた。あの日の、【十重葛】の花弁のような頬は、今はもう無い。眼に力は宿っているものの、それは鋭く視線は刃物のようだった。僕の心はその刃をはね返す程の硬度がある訳も無くて、唯々ただただその彼女の変化にどうしようもない無さを感じるだけだった。

「怪我......、したのか?」

「戦場に居れば怪我の一つくらいするでしょう。この街で女々しく花を愛でているだけの貴方あなたと違ってね」

「......」

「花を愛でるのに両腕が必要? ......貴方が裏庭に植えている花を全て燃やせば、私の気持ちのほんの少しでも、わかってくれるかしら?」

 僕は再会に際して、少しでも今の彼女から昔の面影を探りたかったが、そのまくし立てるように責める言い草から、それを諦めた。

 もう、本当にあの頃の彼女は何処どこにもないのだろうか?

「......花を燃やすなら、僕を燃やしてからにしてくれ」

「私が、それをやらないと思っているんでしょう?」

「腕が、欲しいんだろ?」

「......」

「腕はあげるから。確かに、花を相手にする分には、腕二本は多過ぎるかもしれない」

 僕は乾いた笑いを浮かべ、つまらない冗談を言った。元々、手紙で彼女が僕の腕を要求するむねを見た時から、腕は明け渡すつもりだった。でも本当は、腕は二本でも足りないくらいだった。本当は三本でも四本でも欲しい。沢山の【十重葛】を植え、咲かせて、それに魅せられた彼女が僕の慕情の程度を知って、彼女の胸が張り裂けてくれたなら、と思う。

 けれどそんな事、この先ありはしないのだろう。それならば片腕では花を植え、片腕は彼女と生きるというのも、悪くは無い。


†††


 それから三年が経った。

 植えた【十重葛】は六百輪。

 片腕は彼女に捧げたが、その分寝る間も惜しんで、その時間は花に捧げた。

 《若き炎の才媛》は彼方此方あちこちの紛争で戦果を上げ、魔術師としての名声を築いているようだった。この街の人達は誇らしげに彼女を語るが、彼女の変化を間近で目の当たりにした僕にとっては唯々ただただ複雑だった。

 街の人には片腕を失った理由を〝魔物に襲われたから〟と説明している。別に彼女を庇う訳では無く、僕がそうしたかった。きっと彼女は僕が片腕を失う以上に戦場で何かを失っている気がするし、彼女のしらせを聞く程にその予感は膨らんでいく。そんな彼女を差し置いて僕が街の人の同情を集めるのは違う気がするし、それに腕の受け渡しをした事を、僕と彼女との間での秘事ひめごとにしておけば、それは僕の中で大切な宝物になる気がした。

 確かに、僕は彼女の言うように、独りよがりで女々しいのかもしれない。

 彼女が、もう手も声も届かない遠い場所へ消えてしまった感じがしてぬぐえない。

 それでも、それだからさらに僕は、【十重葛】を咲かせる。

 この花達は、あの戻ってこない日々の彼女だから。

 裏庭の半分以上、彼女で埋まった。これは、僕が彼女に抱く気持ちの強さそのもの。......いや、六百では足りるものではない。この裏庭を全て【十重葛】で埋める。千を超えたそれを咲かせたなら、彼女は少しでも、この僕の愚行を憐れんでくれるだろうか? また、「馬鹿ね」と、笑ってくれるだろうか?

 この裏庭は、街の人には見せていない。彼女が戻って来てくれるまで、見せたくはない。


 裏庭の彼女達を、片手で一輪ずつ愛でる日々の中、彼女からの手紙が届いた。


「手紙に書いた通りよ。貴方の脚を、もらいに来たわ」

 再会したフロウラは隻脚せっきゃくとなっていた。今は簡易的な義足で間に合わせているようだが、その足取りはつたない。

「まだ、続けるのか?」

「私の両親を殺した【地人ドワーフ】を見つけて殺すまで、終われる訳が無い。ここで終えたとして、じゃあこの怒りはどうすれば良いの? 花の種みたいに、土の中にでも埋めてみる? それで咲いた花が見るに堪えない不細工な花だとして、貴方はそれを一生育てていける?」

「......それが、〝君〟という花なら、一生掛けて育てるよ」

 僕の答えを聞いたフロウラは、ぎりり、と歯軋はぎしりして僕の胸倉を掴んだ。

「......貴方のその態度がっ、腹が立つのっ! 私の事、人殺しの気狂きちがいだってののしれば良いじゃない! 復讐に囚われた傀儡かいらいだって、言えば良いじゃない! どうせ、そう思っているんでしょう!」

「思って、いないよ」

「嘘を吐かないで!」

「......仮に君が復讐の傀儡だとして、だったら僕は花に傀儡にされてる。そこに違いなんて、無いよ」

「意味が、解らない......」

「証明してあげるよ。脚を、あげる。......丁度、花達と同じ目線になりたい所だったんだ。立ち膝でも俯瞰になるから、太腿から下をあげたって良い。一本と言わず、二本でもあげるよ。予備に、持っていったら良いさ」

「......礼は、言わないわ。脚も一本で十分。......一生、這いつくばって花と、お喋りでもしていれば良い」


†††


 それから三年が経った。

 植えた【十重葛】は九百輪。

 片脚には木を削って作った義足を紐で締めてくっつけた。

 屈んで膝を引き摺りながら花と接していると、よく血が出たが、彼女と比べればどうと言う事はない。

 きっと彼女はこの何倍も血を流しているし、流させてもいる。

 《若き炎の才媛》はその通り名を変え、《ぎの瞋炎しんえん》と呼ばれるようになった。彼女の杖から放たれる業火は瞋恚しんいの炎となって【地人】の軍勢を丸呑みにして灰燼かいじんにするらしい。遂に彼女は一師団に匹敵する程の魔術を身に付け、その猛威を振るっているようだ。初めは誇らしげに語っていた街の人も、彼女の凄惨たる所業を聞いていく内におそれを抱くようになった。彼女の事を〝災害〟や〝魔人〟と呼ぶ人も居る。自然と皆、彼女の話をしなくなり、気味悪がって彼女の生家の近くを通りすがる人も、居なくなっていた。

 そういう日々に途端、僕と似たように彼女を待ち続けている彼女の家を、慰めの意味も込めて掃除してやりたいという気持ちになった。


 彼女には悪いと思ったが、家に上がらせてもらう事にした。彼女とその両親、三人の住人を失ってしまったその家はもう何の生活感も無く、放置されて久しい家具達は喪に服しているようでもあった。主人の帰郷に期待していた床は、期待外れの来客にきしみ、不満を漏らした。

 彼女の残り香も、何も感じない。彼女がどの家具を使い、何処に座り、何を思っていたか、この部屋の様相からは想像も付かない。

 彼女の部屋は二階だったはずだ。残滓ざんしがあるとすればそっちだろう。僕は早々に一階の掃除を終えて、二階に上がった。


 二階の部屋の扉を開けると、覗いたのは沢山の本棚と、それに立て掛けられた沢山の書物達。本棚に寄り、その背表紙をなぞっていく。

 ────一冊でも、花についての本は置いていないだろうか?

 六つあった本棚の全てを、一段ずつしっかり見ていく。

 この世にける魔術の体系。

 身体の魔術的役割を持つ器官の解剖。

 戦術についての兵法書。

 そういうものは数あれど、遂に花に類する事の載った書物は見当たらなかった。

 既に彼女は、土の下から顔を出す花に興味は無く、神秘による炎の花にしか興味が無いようだった。

 もう、彼女と一緒に同じ花を見る事も無い、か。

 それもそうか。互いにもう、よわいは二十を越えている。僕は仕事柄、花を語る事はあっても、彼女は魔術師。花の蘊蓄を聞かされるくらいならば、詠唱の一つでも覚えた方が余程の価値があるだろう。

 失意と共に部屋の埃を吐き出そうと、窓を開ける。すると、僕の家の裏庭が見えた。九百の【十重葛】は空を向いて胸を張り、その生命の躍動を感じさせている。

 あの日々のままで歳月が過ぎて、二人揃って此処ここで生きていたなら、この場所からあの【十重葛】を見た彼女は何を思ってくれただろう。

 〝こんなに植えて、馬鹿ね〟

 そう言って窓際で静かに笑ってくれただろうか?

 最近はそんなありもしない世界の妄想をするのも、彼女の花を育てるのも、少し、苦しくなってしまった。


 そんな失意に疲弊する日々の中、彼女からの手紙が届いた。


「手紙に書いた通りよ。貴方の眼を、もらいに来たわ」

 再会したフロウラは隻眼せきがんとなっていた。左の目元は大きく縦に傷が付いて閉眼しており、もう見えていないようだった。

 僕としては勿論、彼女に片目を差し出すつもりで居たのだが、数日前から体調を崩して、熱を出していた。膝の傷口が開いたまま地面に引きっていた所為せいで、そこから菌が入り込んだのだと思う。

「......済まないけれど、移植は体調が戻ってからにしてくれないか? 今の体調だと、手術に耐えられるか分からない」

 そう言うとフロウラは不承不承ふしょうぶしょう、溜息を吐きながらも了承し、隣の自分の家に帰って行った。


 その後は花の世話を休んで、揺れ椅子に腰掛けて軽く眠り、ゆっくりしていたのだが、玄関の扉がけたたましい音と共に開かれたのを聴いて体を起こした。音が鳴った、と思った直後、フロウラが足音を大きく鳴らしながら僕の居る居間を真っ直ぐ横切って裏庭に出て行った。

 何事かと思い、重い体を起こしてフロウラの後ろに付いていく。

 彼女は、僕の育ててきた【十重葛】の花畑の前で固まったように立ち尽くしていた。

「これは......、何のつもりなの......?」

 おそらく、二階の自室の窓から覗いて、この【十重葛】に気付いたのだろう。

「これは、僕の宝物だよ」

「当て付けの、つもりでしょう......!」

「......っ、違うよ」

「......こんなもの、こんなものっ......」

 フロウラは九百の【十重葛】に寄ったかと思うと、啼泣ていきゅうしながら手前の方からそれをむしり始めた。

「もう、こんなに綺麗じゃないのよ! もう、止めてっ、止めてよ......」

 その叫びと行動はさながら、彼女が自分を痛めつけているような自傷行為にも見えて。

 居た堪れなくなった僕は。

 気付けばフロウラの背に向かって駆けていた。

 途中、義足に不慣れな所為せいで無様に転びながらも、下半身を引きって彼女の背に寄って、後ろから抱き締めた。

「もう、良い、良いからっ、自分で自分の首をこれ以上絞めるのは、めてくれよ......」

うるさいっ! 煩いっ! だったら! 私の代わりに【地人】を全員殺してきて! この大陸から全員消してきてよ! 花なんて、何もしてくれないじゃない! ......路傍ろばたで花を見る度に、貴方の手足がうずいてしょうがないのよ! 貴方がいつまでも花にすがり付いているから! こんな花っ、こんな花っ、全部燃やしてやる!」

「それは、違う......」

「何が違うのよ!」

「疼く僕の手足が付いているのは、君の体じゃないか......。確かに僕は花に縋っているけど、......君も、そうなんじゃないのか......?」

 僕がそう言うと、フロウラはくずおれるようにして身体を前に折り、顔を抑えて、わんわんと泣いた。


 フロウラが僕の前で泣く所を見せたのは、これが初めてだった。きっと彼女も決まりが悪いだろうと思って、僕は彼女から離れ、そっとしておいた。居間の揺れ椅子に戻り腰掛けて、彼女の嗚咽を子守歌に目を閉じた。

 彼女の中に、まだ人間らしい葛藤が残っているようで安心してしまったのだ。彼女は〝災害〟でもないし、〝魔人〟でもない。まだ一人の〝人〟だ。その事が嬉しくて安堵し、微睡みの中、椅子の上で暗涙を流す事にした。


 すっかり眠ってしまっていたようで、不意に冷たい何かが顔に張り付いたような感触で覚醒した。

 薄ら目を開けると、フロウラの顔が見えた。

 そう思った途端、濡れたのぬで乱暴に僕の額を拭いた。どうやら、汗をぬぐってくれているらしい。

 それがわかって、急に面映おもはゆくなってしまった。もしかすると、目頭に溜まっていた涙液と、溢れたそれの跡を見られてしまったかもしれない。暗涙にしようとした涙は、図らずもフロウラに見つかってしまった。

 当の彼女と言えば、先程はあられもない姿を僕に見せたにも関わらず、すっかり元のすんとした顔に戻っている。僕の揺れ椅子の隣に別の椅子を用意して、巾を片手に僕の顔を見ている。

 今、身体を預けている揺れ椅子は背凭せもたれの角度が緩いので、どうしてもフロウラの顔が視界に入り、しっかり顔が合ってしまう。それが気恥ずかしくて、僕は身体を起こそうとしたのだが、フロウラに手で肩を抑えられてしまった。

「いいから、そのまま休んでいなさい」

「......ごめん」

「いつまでもその調子だと、貴方の眼を貰えないから」

「......やっぱり、まだ続けるのか?」

 そう訊くと、フロウラはいつになく沈黙し、虚空を見つめて思惟しいを巡らすような表情を見せた。此方こちらから見える横顔はもう光が無い側の閉眼した瞼しか見えず、その目を伏せたような顔に悔恨の念があるかのように見せたのだが。

「......今更、止めようとは思わない。時間も悲しみも花も、怒りを風化させるには足りない。殺す命が足りないのかもしれないし、単純に傷を癒す時間が足りないのかもしれない。......それは解らない。でも、じっとしていられない。もしじっとしたまま怒りが風化したなら、それは両親に対する思いの程度の証明みたいだし、実際、まだ足りていないの」

「そう。......止めはしないよ。君の気持ちは君だけのものだし、......僕は君を解っているつもりではいるけれど、きっとそれでも君の気持ちの十分の一も解ってあげられていないんだろうな。僕に、そもそも君の心の深さに口を出す資格は、無いと思っているよ。でも、これだけは知っておいてほしい。......僕は此処で、ずっと君を待っているから。この気持ちもまた、君には理解出来ない程に、僕だけのものなんだ。いくら君でも、これを嘘にする事なんて、出来ないよ」


†††


 ある夜、失った視界の半分を月明かりに任せて、裏庭に出た。去って行った彼女が散らしてしまった【十重葛】は地に横になって安らかに眠っているように見えた。そんな彼女達を僕は拾い上げ、口に含んでみ、全てを僕の中に還した。


 彼女が戦場で散ったなら、僕も此処に植えた彼女達全ての花弁を喉に詰めて、死のうと思う。


†††


 それから半年が経った。

 植えた【十重葛】が九百と五十に上る頃、彼女の異名は《継ぎ接ぎの瞋炎》から《継ぎ接ぎの虹彩異色ヘテロクロミア》とその通り名を変えた。彼女に殺された地人一ドワーフいちの勇将が、息絶える時に彼女をそう称したらしい。

 そしてその後、指導者を倒され、彼女に苦汁を飲まされ続けた【地人】の残党が集まり最後のせめてもの報いと言わんばかりに、この【エルレンテ】を襲撃するという伝令が飛んで来た。


 この街の住人は僕を残して、皆去って行った。出て行く際は皆、ざまに彼女に恨み節を言った。「あんな気狂いが居なければ、此処を捨てる事も無かったのに」と。

 僕はそれを横目で見ながら、元住人が去って行く方向とは反対に、街の入り口にしつらえられている物見櫓ものみやぐらの下に揺れ椅子を持って来て、結末を見届ける事にした。

 彼女の中に、少しでも僕が居たのなら、彼女は此処に戻って来てくれる筈。


 揺れ椅子の上で、鉢に入れた【十重葛】をももの上で抱えながら雲の流れを目で追っていると、地平線の向こうからぽつりと、フロウラが現れた。

 街の入り口でくつろいでいる僕を見ると驚いたようで目を見開き、僕に寄った。

「......貴方は、逃げない訳?」

「義足だからね。逃げるより、此処に居た方が、ずっと楽だ」

 僕はそう言って、笑ってみせると。

「......呆れた。......馬鹿、ね」

 フロウラは少しだけしゃくったような声で、そうこぼした。


 暫くして、今度は地平線の向こうからときの声を上げて、この小さな田舎街と、一人の魔術師を蹂躙しようと軍勢が迫って来た。

 それに対しフロウラは親の形見赭色の夢を握り、独りそこへ悠然と向かって行く。

「別に、行かなくたって良いんだよ」

 その背に、僕はそう声を掛けた。

「気が......、変わったの」

「......?」

「別に此処で死んで、この街の残骸を墓標にしても良いって、思っていたの。でも、此処で待ってる貴方の間抜けさを見て、気が変わっちゃった」

「......どう、するんだ?」

「まぁ、見ていなさい。すぐに終わるから。......終わったらあいつらのしかばねの赤い絨毯で祭壇への道を作って、そのまま結婚式でも、挙げましょうか」

「......どうせなら、屍じゃなくて、僕の花で作って欲しいな」

「じゃあ、尚更この街を護らないと、いけないわね」

 フロウラはそう言ってやっとあの日と同じように、鬼気迫る軍勢を背に、にこり、と笑って見せた。


†††


 それから半年が経った。

 すっかり人がけたこの街は人々の伝聞と地図の上からは消えてしまったものの、それでも僕とフロウラの住処すみかという事には変わりはなかった。

 僕の代わりに彼女が植えてくれた五十輪の【十重葛】をもって、根付く【十重葛】は千となり、裏庭の全てを白褪紅しろあせべにに埋め尽くした。

 それを掃き出し窓の内側から僕とフロウラは、椅子に座って眺めている。

「皮肉ね。貴方が【十重葛】みたいだって言ってくれた私なんか、今や、血塗ちまみれで真っ赤にただれた不細工な花よ。......花というのも烏滸おこがましいわね」

「色は、重要じゃないんだ。裏庭には千もの、昔の君が居るし、僕のすぐ横には今の君が居る。それがとても、嬉しいよ」

「......ふん、......手足と眼じゃなくて、舌をもらった方が良かったみたいね」

 フロウラはそう言うと、僕の方に身を乗り出してそのまま接吻せっぷんした。

 全く、照れ隠しが接吻せっぷんだなんて、本当に彼女らしい。


 彼女が護ってくれた二人だけの街で、僕の咲かせた九百五十輪の【十重葛】と、彼女の咲かせた五十輪の【十重葛】のそば、僕はまた彼女とのこれからをあの日々のように生きていけたら良いと、そう思った。

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