草原
氷村はるか
第1話 草原
開けられた窓から、爽やかな風が入り込み優しく頬をなでる。
カーテンはときに激しく、ときに柔らかく凪いでいる。
季節外れの気温に、じわりと汗ばむ体には少々寒かった。
今日は月曜日。つまりは平日で高校生の私は、これから学校へ行かなくてはならないのだ。
「いつまで寝ているの。遅刻するわよ。」
母の起床コールはもう何回目だろうか。
私も起きたいのだが。
どうしたものか。
体がゆうことを利かず、起きようとしてもびくともしない。
何度も起こしに来る母に、心の中で謝りながら、意識が起きている状態で夢を見ていた。いわゆる、白昼夢というものだろうか。
爽やかな風が吹き、草が凪ぐ、地平線よりどこまでも続くような草原に走る、一本の土の道に立っていた。遠くに道の左脇に立つ緑鮮やかな葉が豊かな木が一本。
「一緒に来てくれないか。寂しいんだ。」
いつの間にか私の隣には、先日亡くなった祖母が居た。
祖母の質問に否定する答えを、浅い能力しかない頭をフル回転させて考える。
「ごめんね。私、絵を描いていかなくちゃならないみたいなんだ。」
「どうしても来てほしいんだよ。」
私の腕を強く引っ張り先を歩く祖母。
引っ張られるがままついて行く私だが。
数歩進んだところで、見えない壁が目の前にあるかのように一歩も足が動かない。
掴まれた腕だけが、体よりも前にある。
「お願いだよ。一人で行くのが怖いんだ。」
夢の私も焦る。
現実の私は起きているのに目を開けられず、体は冷汗でびっしょりだ。
「ごめんね。本当に行けないんだ。まだ生きなくちゃいけないんだよ。」
困った。
非常に困った。
腕をぐいぐい引っ張る祖母の背後では、ある一定の場所から、様々な年齢で様々な格好をした人々が、瞬間移動でもしてきたかのように現れる。
若いカップルや家族。高齢者に妊婦。
その光景を見て。これは起きないと黄泉へ行ってしまうと理解した。
(困ったな。誰か祖母を連れて行ってくれる人はいないものか。)
そう思った時、全身黒のコーディネイトの女性が一人こちらへ来る。
祖母は彼女に気付くと、そそくさと行ってしまった。
私はこの女性を懐かしく感じた。知っている。と、心が言っている。
女性は私に、とても優しい柔らかな笑顔で言う。
「ここからは私が一緒に行きます。無事にお連れしますので安心してください。」
その言葉にどれだけ安堵したことか。
これで目を覚ますことができる。
「ありがとうございます。お願いします。」
私は二人の歩く後姿が消えるまで見届けた。
やっと目を開けられるようになり、首だけを動かして目覚まし時計を見る。
普通に支度をすれば、いつも通りの時間に学校へ行ける時間だった。
着替えようと、布団から体を起こした途端。
全身から一気に大粒の汗が吹き出し始めた。
(なんだ?すごい寒気がする。病気じゃないよな。)
何かすごい体験をしたのと、不安と、ほんのちょっとの恐怖で心の中はぐちゃぐちゃしていた。
リビングでは朝食を済ませた父が、会社に行かず神妙な面持ちでテレビを見ていた。
私は「おはよう」とあいさつをして、両親に自分の身に起きたことを話した。
すると、父が泣き出した。
今まで見たことがなかった。
狼狽える私に父は、女性の特徴を細かく訪ねてくる。
そして静かに、目に涙をためながら言う。
「俺の従妹だ。お前が三歳くらいの時に・・・。そうか、あの時のままの姿だったんだな。お祖母ちゃんは自分の子供より従妹を可愛がっていたんだ。」
父の言葉はここまでしか続かなかった。
後の言葉を母が引き継ぐ。
「あなたも一度は会っているのよ。だから迎えに来てくれたのかもしれないね。」
女性を見た時、懐かしい感じがしたことの答えがここでわかった。
「やっぱりこういうことってあるのね。話しを聞いたことはあったけど。」
「そうなんだ。」
「今日はお祖母ちゃんの一周忌でしょ。連れて行かれそうになったって話し、意外と聞くのよ。」
母の言葉に悪寒が走った。
私は気を取り直して、仏壇の前に座る。
私を連れて行きたかったということは、多少でも可愛がってくれていたのかな。
手を合わせると、祖母と、祖母を迎えに来てくれた女性に感謝をした。
草原 氷村はるか @h-haruka
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