第169話 商談

 薄暗くなってきたダンジョールの街を歩き、雪妖精のかまくらに帰ってきた。


 あれ……?


「ジャスミンさん、何してるんですか?」


 扉を開けると、階段の途中から食堂を覗く背中があった。


 僕が声をかけると、振り返ったジャスミンさんがシーっと口の前で人差し指を立てる。


 その指の先を、そのまま食堂に向けた。


 見て、ということのようだ。


 仕事が終わって僕たちよりも先に帰っていたみたいだけれど、何をしてるんだろう。


 僕たちが体を傾けて食堂を覗くと、一番奥の席にゴーヴァルさんとノルーシャさん、そして知らない男性が座っていた。


 三人とも、なにやら真剣な表情だ。


 ノルーシャさんの向かい側に座る男性は作務衣を着ている。


 見た感じ六十代くらいで、なんと言うか……少し厳つい顔つきだ。


「あの人がゴーヴァルの友達のフレッグさん。泉の道の親方のね」


 階段を降りてきいたジャスミンさんが、小声でそう教えてくれる。


 ああ。


 あの人が宿屋に足を運ぶと言っていた親方さんだったのか。


 たしかに、雰囲気的にも親方って言われるとしっくりくるかも。


「あれ、でも……」


 カトラさんが顎に手を当て、こちらも小声で言った。


「ノルーシャさん、親方とお会いするのは明日だって言ってたわよね?」


 顔を向けられ、僕とリリーが頷く。


 えーっと……たしか一昨日だったかな?


 ノルーシャさんと会った時に報告されたのだ。


 親方との約束がまとまった。


 この日、この時間に宿に来るそうだと。


 なのに、なんで今日来ているんだろう?


 僕たちが食堂の奥に改めて目を向けると、ジャスミンさんが教えてくれた。


「作業が思ったよりも早く終わったとかで、一日前倒しで来たらしいよっ。あの人、結構気まぐれで動く人だから」


 そ、そういう理由で……。


 ジャスミンさんの話では、ふらっとフレッグさんが現れた時にちょうどノルーシャさんもゴーヴァルさんもいたので、そのまま三人で話を始めることになったんだとか。


 テーブルに並べられた料理には、フレッグさんとゴーヴァルさんだけが手をつけている。


 今はノルーシャさんが主に話しているみたいだ。


 頑張れ、ノルーシャさん。


 予定よりも早く、いきなり始まった商談だろうけど無事に成功してほしいな。


「……サムと、モクルは?」


「あー。二人なら部屋でゆっくりしてると思うよ」


 ジャスミンさんだけが商談の様子をこっそりと見ていたことが気になったのだろう。


 リリーが訊くと、ジャスミンさんは階段の上に目を向ける。


「サムには私も部屋にいろって言われたんだけどね。暇だし、サウナにでも入ろうかなって」


 右手に持ってる袋を持ち上げて見せてくれる。


 きっと中にはタオルなんかが入っているのだろう。


「だけど、あそこの席で真面目に話してるから、なんだか通るに通れなくてね……。様子を窺ってたら、みんなに見つかっちゃった」


 てへっ、と笑うジャスミンさん。


 気を遣って通れなかっただけで、別にこっそり覗き見していたわけじゃなかったんだ……。


 僕とリリーがノリ良く転けそうになっていると、ノルーシャさんたちの様子を見ていたカトラさんが「あら」と声を上げた。


 釣られて僕たちも見ると、ノルーシャさんたちの席に、宿の女将であるムルさんがお酒を運んできている。


 ショットグラスが三つ。


「あれ、もう話が終わったんですかね?」


「いえ、なんだかそういう雰囲気には……」


 僕の言葉にカトラさんが首を振る。


 確かに、みなさんお酒が運ばれてきたというのに真面目な表情のままだ。


 ゴーヴァルさんと、その飲み仲間だというフレッグさんなんて絶対お酒好きに違いないのに。


 というか、ショットって……。


「えっ。な、なに? どういうことっ」


 ジャスミンさんが声を震わせたと思ったら、またしても厨房の方からムルさんが登場した。


 その手に持つトレーの上には、先ほどと同じく三つのショットグラスとボトルが一本。


 ドンッとそれらもテーブルに置かれ、これでショットグラスは計六つ。


 一人二杯ずつ……?


 いや、なんでかわからないけど、ゴーヴァルさんが三杯をノルーシャさんの前に寄せてあげている。


 ノルーシャさんと、フレッグさんが三杯ずつ呑むみたいだ。


「ゴーヴァルは、何か別のを頼んでる?」


 戻ろうとしているムルさんに、ゴーヴァルさんは人差し指を立てながら何かを注文をしている。


 その様子を、ジャスミンさんは首を傾げながら注視していた。


 しかし、一体どういうことなんだろう。


 変わらず空気は真剣そのものだ。


 なのに、いきなりお酒が一人三杯ずつも運ばれてきたっていうのは。


 僕たちもジャスミンさん同様に、事の成り行きがわらかなさすぎて思わず見入ってしまう。


 そのまま階段の影から四人で顔を出していると、注文したタンブラーを受け取ったゴーヴァルさんと不意に目が合った。


「あっ、やばっ」


 ジャスミンさんだけが瞬時に顔を引っ込める。


 だけど全員の姿をきっかりと見られてしまったようだ。


「ジャスミン、何しとるんじゃ。ほれ、暇だったらお主ら一緒にどうじゃ」


 席に座ったままのゴーヴァルさんが声をかけてくる。


「一緒にって……な、何が?」


 ジャスミンさんがゆっくりと、けれど興味ありげに顔を出す。


 ほれほれと手招きされるので、僕たちもお邪魔してみることにした。

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