第3話 「カニバル・ハンニバル」03
相変わらず今日もほどほどの客入りと新規はいない顔ぶれを見張る。特に何事も無く、平穏に過ぎればいいと思うものの、大抵そうはならないのが世の常である。
「こんばんは」
「いらっしゃい」
宣言通りまた来たストロベリー・サンデーの女は昨日と同じようにまたこの酒場に相応しくない格好で、腰に本を携えて現れた。
まともな神経であればあんな男に絡まれた後にまた来るわけがないが、そもそもまともな神経をしていれば「ジャック・ポット」にひとりで訪れるはずがない。おそらく来訪があるだろうとは、クラウディオもマスターも予感はしていた。
にこりと笑う彼女はまた昨日と同じくカウンター席に着く。やわらかな表情で、メニューも見ずにまたマスターに問いかけた。
「今日はチョコシロップございます?」
来た。
その無邪気な問いかけに、思わず振り返った客は少なくなかった。
昨日店にいた者。
いなかった者。
誰もが「正気か?」と言う顔をしている。
「運がいいなお嬢さん。そこのバウンサーが気を利かせてくれたぞ。おい」
マスターが顎でしゃくると、クラウディオと彼女の視線が合う。翡翠の目で見つめてくるのがなんとなしにくすぐったく思えるのは、普段向けられ慣れない眼差しだからだ。
クラウディオはカウンターに入り、マルシェで購入したチョコシロップを取り出す。
「少し借りるぞ」
クラウディオは手を清め、その手に果物ナイフを手に取る。この店であまり活躍のないそれは、クラウディオの手にはあまりにも小さい。
素早くパフェグラスに苺と生クリーム、そしてチョコシロップを詰めてゆく。そしてバニラのアイスをぽこりと中央にすえ、生クリームとチョコソース、そしてカットした苺を飾り付けた。
手際の良さから二分もかからなかっただろう。きれいに盛り付けられたストロベリー・サンデーを彼女の前に置いてやれば、目を瞬かせてそれを見ている。
ほあ……と関心するように声を漏らした彼女はカウンターの向こうで手を拭くクラウディオを見つめた。
「器用ですのね。とてもお上手」
しげしげと眺めてクラウディオに笑いかける様子は少々子どもっぽい雰囲気があった。楽しげにスプーンを手に取り、手を合わせ、いただきますというと実に嬉しそうにサンデーを口に運ぶ。
一口一口、頬をほころばせて食べる彼女にクラウディオはむずりとした物を感じる。
なんというかこう……小動物に餌付けをしているような感覚に陥る。ここが甘味とはほど遠い場所であるのに、彼女が楽しげにサンデーを食べているからだろう。
クラウディオがバウンサーの定位置に戻ろうとカウンターを出ようとしたとき、彼女は手を止め、声をかけた。
「バウンサーさん、お名前、うかがってもよろしいですか? わたくし月乃といいます」
期待するように見つめる月乃に、たじろぎこそしなかったが少し言葉をつまらせる。好奇心に目を輝かせているようで、なんとなく気まずさを覚えたからだ。
「……クラウディオだ」
それだけ告げると月乃は満足そうに微笑む。
「クラウディオさん。ストリベリー・サンデー、とてもすてきで美味しいわ」
「そうか」
返事に満足したのか、月乃はそれだけ言うと再びサンデーをせっせと口に運び出した。そこまでの一連のやりとりを見ていた客たちは、ある者はあっけにとられる。またある者は見てはならないモノを見たようにわざとらしく身震いしていた。
クラウディオが定位置に着いたタイミングで再び扉のベルが鳴る。
煙草の臭いの染みついたトレンチコートに無精髭。そこそこ体格の良い男ではあるがクラウディオからすれば見下ろす背丈だ。そして十二分に制圧できる体格である。
珍しい来客だ。
この男にはクラウディオは見覚えがあった。
「邪魔するぜ」
客はまっすぐにカウンターへ……正確に言うとマスターの前に進む。マスターの直ぐそばの席に着き、ぶっきらぼうな表情で「スコッチをくれダブルで」という。
この男は刑事で、名はセヴァンといった。
マスターはスンと鼻息をたて、眉を上げる。消臭剤とミントタブレットで誤魔化そうとしているが、しっかり染みついた煙草の臭いは鼻につく。
特にマスターはこの煙草臭さを嫌っている。それでも何かと訪れるセヴァンは繁華街ではそこそこ顔の利く刑事であった。
清廉潔白と正論を振りかざすわけではないところ――それが繁華街でこの男が警察バッジを掲げて上手く立ち回れる秘訣であるらしい。
「仕事中じゃねえのかい」
「金も出さない相手に話すのは嫌だろう?」
「よくおわかりで」
マスターがスコッチを用意している横で、ちら、と月乃のほうを見た。
女の客が珍しかったのだろう。だが横顔を認識した途端、ガタッ! と椅子を傾けんばかりの勢いで後退った。
そのときようやく気付いた、といわんばかりに月乃はセヴァンを見やる。
「なっ、なんでお前がここにいる、『司書』!?」
「あら刑事さん。こんな時間までお仕事?」
グラスの中に残る最後の苺をスプーンに乗せ、セヴァンを見る月乃の表情に変化はない。のんびりと世間話をするような仕草の月乃に対し、セヴァンは何故か頭を抱えんばかりの渋い顔をした。
「ああ、仕事だ。お前には関係ねぇ」
「相変わらず高圧的で感じの悪い人。パートナーに出て行かれるのも納得ですね」
月乃の口調に棘はないものの、内容が刺さる。その言葉に一瞬、セヴァンの顔が赤らんだ。セヴァンが荒げた声を上げるよりも先に、マスターが彼の前にグラスを置く。
「はいよ、お待たせ」
その一瞬で気が削がれたらしいセヴァンは苦いモノを飲み下すように、出されたスコッチウィスキーを半分ほどあおる。ストロベリー・サンデーをきれいに平らげた月乃は満足そうに手を合わせた。
「マスター昨日と同じ紅茶を……」
「悪いがこっちが先だ」
月乃に割り込むようにして、セヴァンはマスターに写真を差し出す。マスターはちらと写真に目をやり、紅茶用に湯を沸かし始めた。
「こいつ、来ちゃいないかい?」
「……」
写真を受け取り見れば、そこにあるのは隠し撮りらしいローレンの姿。溜息をつくマスターはその写真で月乃を指した。
「昨日このお嬢さんに絡んでオイタした阿呆だ。何しやがった」
その言葉にセヴァンは一度大きく目を見ひらき、酷く嫌そうに顔のパーツを中央に寄せて見せた。よほど月乃を嫌っているのか関わりたくないのか、そういう表情だった。
「『カニバル・ハンニバル』……アレの重要参考人だ」
ポットを温めていたマスターがぴく、と眉を上げる。話に耳を傾けていたクラウディオも思わず視線をやった。重要参考人とはいっているが、その表情から「犯人」であると言っているようなものだった。
なんともできの悪いコメディのようだ。あの小物が「カニバル・ハンニバル」とは到底思えない。医学的知識があり、なおかつこだわりが強くある種の完璧主義が有ると言っていい殺し方に、あの男はとてもではないが当てはまらないからだ。
プロファイリング未満のものだが、ローレンと「カニバル・ハンニバル」がどうにもイコールにはならない。ふむ、と口元を押さえるクラウディオの耳に、擦弦楽器の声が届く。
「あら、この方が『カニバル・ハンニバル』ですの? 昨日お会いしたときはそんな様子全くなかったのに」
青いタマネギ柄の白磁のティーカップに口を付ける月乃がのんびりと口を挟んだ。その様子にマスターもセヴァンも、クラウディオも月乃に注目する。特にセヴァンはじとりとした目で月乃を睨んでいた。
「『司書』、まさかお前の領分だとか言い出さねえよな?」
「言葉遣い」
月乃にぴしゃ、と言い放たれ、セヴァンは言葉を渋々直す。
「月乃さん、あんたの管轄の話になるのか、これは」
「そう見当を付けて動いておりましたの」
セヴァンは盛大に溜息をつき、後頭部をワシワシと乱暴にかいた。いかにもやれやれと言った表情であるが、一体どういうことか。
マスターもクラウディオも、ふたりの奇妙なやりとりに眉をしかめる。おいてけぼりでは有るが、月乃がどうやら特殊な権限を持つ立場であることは、これだけで察することが出来た。
しかしとても武術に長けているようにも、諜報に長けているようでもなさそうなのだ。腰に本をぶら下げて歩く姿は完全な素人にしか見えなかったというのに。
「ごちそうさまでした。ちょっとお手洗いお借りしますね」
クラウディオに観察の視線を向けられていたのを知っているのかいないのか、ティーカップを返した月乃は席を立つ。
WCと書かれた扉が閉じたとき、クラウディオは入口側から嫌なプレッシャーを感じた。それと同時にそこから飛び退くが、それはもうほぼ無意識で反射的だった。その直後、頑丈な扉が吹っ飛び壁に突き刺さる。店の中はその一瞬で客のほとんどが臨戦態勢をとった。
客の多くが鉄火の間をくぐり抜けた猛者である。態度のデカい半グレが乱暴に来店した程度で「ジャック・ポット」の扉は吹き飛ばない。異様な状況に全員が警戒する。
クラウディオもすっかり風通しの良くなった入り口を睨みつけたまま身構えた。
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