塚崎亜也子

side S

 

 静江は、携帯電話を片手に、部屋の窓際に立った。

 ふと見ると、音もなく、霧雨が降っている。


 電話は秋吉からだ。この間友達の紹介で会った男で、人好きのする声と顔をしていた。歳は少し上。普通に会社員。特に断る理由もなく、携帯電話番号を交換して、そして、今日初めて電話で話している。

 霧雨に包まれた街は、心なしか三割増で美しく見える。

 霧雨の時に男女が出会えば、三割増で美しく見えるだろうか。三割増でカップル成立の確率があがったら面白いのに、と静江は電話の内容をそっちのけで、少し笑った。


 電話の向こうで、秋吉が窓を開けようとする音がした。


「雨、降ってるわよ」


 静江の声に反応したかのように、また、窓が閉まった。

 煙草を吸おうと思ったのに、と秋吉の声。


「そう。換気扇の下で吸ったら?」


 そうする、と秋吉は答えて、また、少し、足音。それから、テレビの音。

 電話の内容はたいしたことのない雑談。十二時を知らせる鐘が鳴る。明日が休みでなかったら、起きていない時間だ。

 秋吉は、煙草に火をつけたようだった。

 静江はその沈黙に耐えかね、自分も煙草を引き寄せた。

 火をつけたそのとき、秋吉は言った。


 明日も、雨が降っているかな。


 静江は天気予報も見なかった。明日は予定がなかったからだ。素直にそれを秋吉に告げる。秋吉は軽く笑った。


 静江さんは、雨は好き?


 静江は、そうね、きらいじゃないわ、と答える。


「特に、霧雨なら、好きよ」


 そうか、と秋吉の答える声。そして、


 明日、もし雨がやんだら、会おう、と言おうと思っていたんだけど、逆に、雨が降ったら、会おう、って言おうかな。

 

 秋吉は言った。

 静江は、くすくす笑い出した。

 テレビのリモコンを操作して、秋吉の電話の向こうの音に合わせてチャンネルを変える。天気予報をやっていた。

 明日の予報は、雨八十パーセント。


「いいわよ。雨だったら、会いましょう」


 秋吉は、静江がテレビをつけたことに気付いていないようだった。

 静江は、なんとなくくすぐったい気持ちになりながら、少し笑った。


 よかった、と秋吉の声がする。

 静江は、明日が霧雨であるように、と祈った。

 三割増に美しく見えますように、と、祈った。

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