分岐点

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 新聞の社会面に出ていたその記事はとても小さなものだった。

“北朝鮮帰還脱北者、北朝鮮政府を提訴”

 彼女の記憶は数十年前に遡った。

 中学を卒業した彼女は希望していた洋裁学校に入学し、楽しい日々を送っていた。

 ある日、夕食を終えると父親が突然

「共和国に帰国することにした」

と宣言するようにいった。

 とっさに彼女は

「何で? 私は今の暮らしで十分だよ」

と反発した。

 彼女は、共和国すなわち北朝鮮に行くことが嫌だった。それは理屈ではなく、感性が拒絶するのだった。この地を離れたら何か恐ろしいことが起こるのではないか。

 特に根拠はなかった。後で振り返ってみれば、第六感というものだったのかも知れない。

 彼女のこうした気持ちとは関わりなく“帰国”準備は着々と進められた。もちろん彼女は拒否したままだった。

 学校での充実した授業、友人たちとの交流、映画、お芝居、歌謡曲、彼女の周囲には楽しいことでいっぱいだった。将来は洋装店を開くという夢もあった。

 後日、分かったことだが、在日朝鮮人としては、自分たちは恵まれた環境にいたのだった。他の同胞たちは経済的な困難、日本人との軋轢等々で苦しい日々を送っていたそうだ。だから、社会保障が整っている地上の楽園である祖国を目指したのであった。

逆に、日本での生活に特に不自由さを感じない自分たちは別に海を渡る必要はないはずなのだが……。

 すったもんだの末、彼女は学校を卒業した後で“帰国”することになった。その間、叔母のところに身を寄せた。

 いよいよ出発の日となり、彼女は家族と共に新潟港に行った。ここから船に乗って北に向かうのである。

 出港時刻となり、両親と妹弟たちは乗船し甲板からテープを投げた。地上でしっかりと受け取った彼女はそれを握りしめた。これが、永遠の別れになるとはこの時は予想だにしなかった。


 数ケ月後、彼女のもとに妹から手紙が届いた。おかしな内容だった。

 自分たちは何不自由なく暮らしている、帰国してよかったと肯定的な文章が続いた後、文末に洋服、下着、靴、靴下、タオル等々から日用雑貨、薬、はては味噌醤油の仕送り要求が書かれていた。

「何不自由ない生活なのに何故」

と思ったが、彼女は叔母夫婦の協力を得てこれらの物品を送った。

 その後、数年間、こうした手紙が届き、そのたびに仕送りしたが、ある日、これが途絶えてしまった。

 家族に何かがあったのでは思ったが、確かめる方法は彼女にはなかった。

 学校を卒業した彼女は、当然“帰国”などせず、叔母のもとに身を寄せ、夫婦が経営していた中華店の手伝いをした。叔母夫婦には世話になりっぱなしなので、その恩返しの意味だった。洋裁店を開くことは夢で終わってしまった。ただ、時々、叔母や知人に頼まれると仕立てをすることはあったが。

 二十代半ば頃、彼女は店の常連の男性と結婚した。戦争(第二次大戦)で家族を全て失った天涯孤独の人だった。彼は彼女の事情を全て承知の上で一緒になってくれた。

 夫は如才ない人で起業したところ見事に成功した。

 人柄もよい彼との間にはすぐに子供も生まれ、彼女は穏やかな日々を送った。ただ、北にいる家族のことを思うと胸が痛んだ。

 こうして日々は過ぎて行った。

 夫の商売も順調で、その間様々な人々と知り合うようになったようだ。そうした一人から彼女の家族の消息がもたらされた。

 結局、両親も妹、弟も既に他界していた。彼女もそれは承知していたが、改めて知らされるとやはり辛かった。

「あの時、もっと強く“帰国”に反対していれば…」

 今更、意味のないことと思いつつも悔いるのだった。

 

 あれから、更に歳月は流れ、子供たちは独立し、夫婦二人の生活になった。

 手入れの行き届いた一軒家で彼女は夫との余生を楽しんでいる。

 彼女は改めて新聞に目を落とす。

 提訴した人々はもしかしたら自分だったかもしれない。あの時が、この人々と自分の運命の分かれ道だったのだろうか。

 彼女はテーブルに置いてあったスマホを手に取ると、記事に出ていた連絡先にメールを送った。支援金の送り先を問い合わせるためだった。

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分岐点 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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