空っぽの食卓に、泥臭いスパイスを
サザンクロス団地の最上階。
かつて完璧なリビングルームだったその場所は、今や白亜の戦場と化していた。
「排除! 排除! 我が家の調和を乱す異物は、即時削除します!」
天王寺家の父親——いや、父親の姿をした「白い石膏像」のような怪物が、食卓を振り回して突進してくる。
その一撃は、物理的な重さだけでなく、世界そのものを塗り潰すような「虚無の圧力」を帯びていた。
「くっ……!」
早乙女星が日本刀で受け止めるが、その衝撃に耐えきれず、床を削りながら後退する。
「局長! 私の『裁きの剣』が通じません! こいつらには斬るべき『悪意』がない! ただの『空っぽ』だからです!」
星の剣技は、相手の罪悪感や悪意を依代にして威力を増す。
だが、感情を放棄(アパシー)した彼らには、罪の意識など欠片もない。ただ「完璧な幸福」というプログラムを実行しているだけの、巨大な自動人形(オートマタ)なのだ。
「ああ、分かってるよ。こいつらは手紙の中身を捨てちまった、ただの『封筒』だ」
遼司は、飛んでくる破片を避けながら、霊子銃(レイシガン)のシリンダーを確認した。
残弾数は十分。だが、通常のデバッグ弾では、彼らの分厚い「虚飾の外殻」を貫けない。
「だったら、無理やりにでも中身を詰め込んでやるしかないな」
遼司は、瓦礫の陰に身を隠している八千代に目配せをした。
「八千代! 例のアレを使うぞ!」
「局長……! 本当にやるのですか? あれは、貴方の魂魄データに多大な負荷をかけます!」
八千代が悲痛な声を上げる。
「構わん! このままじゃ、こいつらは一生、自分の空っぽさに気づけないまま、ナイの玩具で終わる! ……そんなのは、あまりにも哀れだろ!」
遼司の言葉に、八千代は覚悟を決めたように頷いた。
彼女はタブレット端末を操作し、遼司のディテクターにアクセスする。
「情動データ転送プロトコル、起動……! ソースは『阿武隈遼司』の人生全記録(ログ)! 特に、泥臭くて、恥ずかしくて、どうしようもない『失敗』の記憶を抽出します!」
「おうよ! 完璧な家族ごっこなんて、俺の人生には無縁だったからな!」
遼司は飛び出した。
彼の霊子銃が、赤黒い光を帯びて唸りを上げる。それは、いつもの青白い浄化の光ではない。人間なら誰しもが持っている、後悔、嫉妬、焦燥、そして小さな喜び……そんな「雑味」だらけの情念の光だ。
「おい、完璧超人ども! 飯の時間だ! 俺の特製スパイスを喰らいやがれ!」
怪物と化した父親が、大口を開けて迫る。
『排除ォォォォ!』
「いただきまぁす!」
遼司は、父親の大きく開かれた口の中に、霊子銃を突き込んだ。
トリガーを引く。
ドォォォォォン!
発射されたのは、弾丸ではない。
阿武隈遼司という男の、泥臭い人生そのものだった。
郵便配達で犬に追いかけられた記憶。
集金先で怒鳴られた記憶。
妻・初喜(八千代)との初めての喧嘩。
息子たちへの小言と、反発された時の寂しさ。
そして、孫・哲人が初めて「おじいちゃん」と呼んでくれた日の、涙が出るような喜び。
「グ、グググ……!? な、なんだこれは!? 汚い! 不揃いだ! 完璧じゃない!」
父親の怪物が、苦悶の声を上げてのた打ち回る。
白い石膏のような身体に、赤や黒の斑点が浮かび上がり、ひび割れていく。
「汚いだと? それが『生きる』ってことだ!」
遼司は追撃の手を緩めない。
次は母親、そして娘の怪物にも、次々と「泥臭い弾丸」を撃ち込んでいく。
「お母さん! 貴女の料理は完璧かもしれないが、焦げた目玉焼きの味を知ってるか!? 失敗した料理を笑って食べる食卓の暖かさを知ってるか!」
「お嬢ちゃん! 親の顔色ばかり見て、いい子でいるのが幸せか!? 泥だらけになって遊んで、叱られる理不尽さを知ってるか!」
ズガガガガッ!
遼司の叫びと共に、三体の怪物は内側から膨れ上がり、その完璧な外殻を弾き飛ばした。
「嫌だ……嫌だぁぁぁ!」
「こんな感情……知りたくない!」
「心が……痛い……!」
彼らは悲鳴を上げながら、元の人間サイズへと縮んでいく。
そして、その目から溢れ出したのは、透明なデータではなく、濁った涙だった。
『完璧』という殻が割れ、その中から、彼らが捨て去ったはずの「自分自身」が這い出してきたのだ。
「……う、うう……」
瓦礫の山となったリビングの中心で、父親が膝をついていた。
その顔は、先ほどまでのマネキンのような笑顔ではない。汗と涙でぐしゃぐしゃになった、疲れ切った中年の顔だった。
「俺は……疲れたんだ……。会社でのプレッシャー……妻への見栄……娘への期待……。全部が重くて……だから、何も感じなくなりたかった……」
母親も、娘を抱きしめて泣いていた。
「私も……完璧な妻を演じるのに、疲れて……」
「お父さん、お母さん……私、本当は、ハンバーグよりカレーが食べたかった……」
娘の小さな呟き。
それが、この家族が取り戻した、最初の「本音」だった。
「……ふん。やっと人間らしい顔になったな」
遼司は帽子を目深に被り直し、霊子銃をホルスターに収めた。
ホムンクルスの身体が、高熱を発して軋んでいる。他人の人生に自分の情念をねじ込むという荒療治は、彼自身にも大きな反動を与えていた。
「局長! 無事ですか!?」
八千代が駆け寄る。
「ああ、なんとかな。……少し、胃もたれしそうだが」
星が、泣き崩れる天王寺家を見下ろして、静かに刀を納めた。
「……断罪の必要なし。彼らは今、初めて『家族』として再生を始めました」
窓の外では、日没の太陽が沈みきり、一番星が輝き始めていた。
ナイの予告したタイムリミットは、ギリギリで回避されたのだ。
「さて、と」
遼司は、泣いている父親の肩を叩いた。
「今日の夕飯は、レトルトのカレーでも食いな。……きっと、今まで食ったどのフルコースよりも美味いぞ」
父親は、涙で濡れた顔を上げ、何度も頷いた。
「……ありがとう。……ありがとう……」
その言葉には、確かに「感謝」という宛先が書き込まれていた。
「任務完了だ。帰るぞ、八千代、星」
三人は、夕闇に包まれたサザンクロス団地を後にした。
その背中は、来た時よりも少しだけ疲れていたが、確かな達成感に満ちていた。
だが、彼らはまだ知らない。
この「家族ゲーム」が、ナイにとっての単なる前座に過ぎないことを。
そして、彼らが守り抜いたこの平和な日常(第1層)の裏で、もっと巨大な「悪意」が動き出そうとしていることを。
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