第32話 万緑慈雨・車軸雨
――― どこにいけばいいのかな?
――― そうか、そこに行けばいいんだね。
――― ようやく、見つけた。
「よし、見つけた!!」
やり方は篤臣の時と一緒だ。篤臣の時は炎に包まれていたが、今回は水をたたえた湖の上にポツンと巨大な水の玉が浮いていた。
「うわっと!?」
水の玉を見つめたとたん、馬がパシャリと姿を消した。シャボン玉が割れたかのようにはじけたものだから、イクサは思いっきり地面に転がり落ちた。
「なんだこれ、泥?」
ぽたり、ぽたりと自ら滴り落ちるのは水ではなく泥だった。その泥は今まで見たような灰色ではなく、赤や青、黄色が混ざり合い、まるで絵の具を混ぜ込んだかのようだ。そう、紙粘土に絵の具を垂らしても見込んだものによく似ていた。
是空を持っているからか泥は自然にイクサを避けていき、立ち上がるのには苦労しなかった。口についた泥をこすり取り、イクサはへへっと笑った。
「こりゃ、一筋縄じゃ行かねぇ―――?」
ふと視線を上げたとたん、イクサは凍り付いた。黄金色の瞳が目の前の物を凝視して止まる。
「なんだ……あれ……」
泥を生み出していた水の玉の表面がひび割れていく。今まで艶やかだった表面は干からび、亀の甲羅のようなヒビが現れていく。それらはだんだんと広がり、そしてついに人一人通れるくらいの大きさになった。
びく、びくと生きているかのようにそれがけいれんをはじめ、そしてついに―――べしゃり、と何かが堕ちた。
「ああ、あぁ。やっと、やっと出られた……」
ぐしゃりと売れた果実が地面に落ちたような音がして、その中から現れた姿にイクサは絶句する。白い肌に長い髪、いつも伏せがちな目だがそのまつげは長く、クロメを縁取っていた。
「お前……あんたは……」
イクサは思わず是空を地面に落とす。それもそのはず、目の前にいた少女は春野の親友で、千紗と呼ばれていた少女だからだ。制服ではなく、私服のようだ。
「戦君、良かった。君がここから出してくれるんだね」
「おい、待て。お前、いつの間に……!」
篤臣の時はそれこそ学校の中でも気配を感じたのに、千紗には何も感じなかった。大業物を隠せるなんて思いもしなかった。それに、昨日店であった時の気配は千紗ではなかった。
「私の大業物、七番傘白波の能力。私の幻想を形にする能力。”気づかれない”能力を作って、私は見ていたよ」
そう言って千紗が取り出したのは脇差ではなく、水色の地に金の装飾が光る番傘だった。姿かたちが変わっても、それが大業物なのは変わりなく、剣とはかけ離れたその姿にイクサの背中につめたいものが流れていくのを感じた。
「面白い、世界だね。私たちが居る世界とは、違う世界。暗いけど、優しくて、寂しいけど、温かくて」
「なにもない、ここには何も」
「いいえ、あるよ。たくさん、たくさん、あるよ」
「なにがあるんだ?」
「思いが伝わってくるんだ、嬉しい事、楽しい事、悲しい事、つらい事、全部が全部伝わってくるよ」
「なにを言ってるんだ?」
「戦君の事も、分かるよ。たくさんたくさん、悩んだんだね」
くるくると千紗が傘を回しながら歩いてくる。子どものように笑いながら、こちらに歩み寄る。その歩みごとに泥は左右に避けていく。まるで花道の様だと思った。
「この世界の事、もっと早く知りたかったなぁ。そしたら、余計なことを考えなくて済むのに」
「知るべき場所じゃない、そうだろう。ここには何もない」
「……冷たいんだね、そっちの戦君は」
「どっちも俺だ。俺達は戦だ」
「違うよ、あなたは戦君じゃない」
カラカラカラ、番傘が回っていく。奇抜な色をしたパーカーとホットパンツだからか、番傘を持っている姿が違和感を増している。靴だって、厚底のスニーカーだ。
学校では地味な格好をしているから、こんな格好をしていると同一人物だと気づかない。
イクサの近くにやってくると、千紗はその瞳をのぞき込んで、くすりと笑った。くるくると番傘を回しながら、静かに笑っている。
「でも、いいかな。そっちの戦君の方が生き生きしてる」
「はぁ?」
なにを言っているのだろうか。確かに、この姿をクラスメイトに見せたことは無い。生き生きしている、とは言っても自分はある意味幽霊のようなものだ。幽霊に生き生きしている、とは変な感じだ。
笑い顔を急に収め、真剣な表情で千紗がイクサを見た。
「私はこの力でみんなの納得する位置を探しに行く」
「?」
「おいで、七番傘白波!」
パチン、と傘を閉じた千紗は地面を強く打つ。とたん、今までただただ流されるだけだった泥が千紗の身体を取り巻きはじめる。
「…………!」
泥は千紗の身体を全て覆いつくすと、持ち上げていく。そうして姿を変えた泥は硬化していき、今度は鋼のような光沢に変化していく。鈍った色は鋭い光へと変わっていき、まるでイクサたち鬼の身体に浮かぶ赤い紋様へと変わっていく。泥を全身に包まれ、千紗は大きく息を吸った。
「あのね、私今とてもわくわくしているの」
泥の中から反響している千紗の声は無邪気な子どものように感じた。ばらばらと剥がれ落ちた泥の中から現れた千紗の姿にイクサは息をのんだ。
「その姿……鬼?」
泥が巻き付いた肌は白、そしてその表面には赤い紋様。茶色がかった瞳だったのに、今は黄金に輝く。その手には両刃の双剣。衣装もゆったりとした和服に変わり、それらにはじゃじゃらと飾りがつけられていた。長かった髪は結われ、簪が風に揺れている。ひざ丈の袴には流水模様が描かれていた。
「鬼じゃないけれど、同化が進んだらそうなるみたい。どうかな、私の姿」
「どうかなって……」
答えにイクサは止まる。八尋の言葉を思い返す。同化してしまえば、この世界に繋ぎ止められ、決して元には戻れない、と。
(戦わないと、破壊しないと―――)
是空を握りしめたのに、うまく力が入っていかない。まるで砂のようにするりと力が抜けていく。動揺を隠すのに必死だった。
戦えるのか、なんて考えてはいけない。しかし、目の前の人物は―――。
「戦君、私のために消えてくれる?」
「それは断る!」
そうなの、と千紗はふぅ、とため息をついた。がくりと首を下ろし、深く息を吸って言う。知ってるよ、全部知ってるよ、と繰り返した。
「そうだよね、戦君にも事情があるんだもんね。お父さんとお母さんの仇を取らないといけないんだよね」
「?!!」
「知ってるよ、全部知ってる。私と戦わないといけないって事も、全部」
「だったら、それを手放せば!!」
「無理だよ、もう私とこの子は一心同体。破壊しないとだめなんだよ」
「あぁ、だから! 戦え!」
苛立ちで声を荒げる戦とは対照的に、千紗の言葉は静かに響いていく。
「でも、そんなことしたってお父さんとお母さんは帰ってこないんだよ」
「だったらどうした!」
「こうしてあげるね」
にこりと笑った千紗は手を打ち合わせる。その音を聞いた途端、イクサの意識が泥に呑まれていくのを感じた。
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