第8話 予感
「なーなー! 頼むよ!」
あれから数日が経ち、戦たちは中間考査を控える時期になった。孝則が隣のクラスに顔を突っ込み、何かを必死に頼んでいる。昼休みだからか、周りには生徒がまばらに散らばっている。
(ノリちゃん、苦手な科目あっただろうか?)
友人は部活が大好きな典型的な体育会系だが、勉強をおざなりにする性格じゃない。近づけばその声も鮮明になっていく。
「お前が出てくれないと、今度の練習試合マジできついんだってば!」
(部活の方かぁ~)
中間考査の間は部活は控えるように達しが出されているのだが、他校との練習試合となれば話が別になる。他校とのスケジュールの関係で、どうしても行わなければならないこともあるのだろう。子どもの頃からおかげ堂を手伝っていた戦にはとんと縁のない話だ。
(入ったら何か変わったのかな)
立ち聞きするのは悪い気もするけれど、孝則の背後を通りがかった途端、声が聞こえた。
「孝則。俺はバスケやらないって、言ったろ?」
バスケやらないってさ。
(真っ当な返しだよな。勉学にいそしむこそ、学生の本文だ)
とっとと去ればよかったのに、変に気配を出したせいか、孝則がこちらを振り返った。ばたばたと足音を鳴らしてこちらにやってくる。
「あ! セン! いいところに来た!」
「ぐ、偶然、だよ?」
なにも悪いことをしたわけじゃないのに、立ち聞きしたことが妙に心に引っかかる。ぎこちなく答えると、孝則は特大のため息をついた。
「こいつ、バスケ部の同輩でさ。すげー強いの」
「……」
窓から上半身を出し、枠に腕をのせている男子生徒がこちらを見た。戦は孝則以外とはあまりしゃべらないので、よそのクラスの生徒の事はよく分からない。
(俺の体質がそうさせている、とは思いたくないな)
対象の視界から外れた瞬間、その人の記憶から己が抹消されるなんて、もはや何かの呪いだとしか思えない。八尋はなんてことはない、とは言うけれど戦にとってはとても重要な案件だ。
「よ、よろしく」
あまりよく眠れていないのか、目の下に薄くクマを作っている生徒は、戦をじっと見た。切れ長の目に三白眼なので、ものすごく威圧感がある。
「ああ、あんたが孝則の知り合いか。あんたからも言ってくれよ、俺はもうバスケをしないって」
「そんな事言うなよ! 篤臣っ!」
篤臣、と呼ばれた生徒はまたもや面倒くさそうな視線を孝則に向けてくる。パン、と自分の足を叩いて投げやりな声で返す。
「俺は足を怪我して、前みたいに走れないって言ったろ」
「それお前の冷静さを監督もコーチも買ってるんだって! キャプテンだって――」
「うるせぇよ!」
いきなりの大声に、戦はびくりとした。
「俺はもうバスケをやらないって、何度言ったら分かるんだよ! お前しつこいんだよ! 俺は、バスケをやっている暇なんてないんだ!」
篤臣の口から留めなく溢れてくる言葉に、二人は声を失った。気づけば、辺りの生徒たちが野次馬のように集まってきている。
「ノリちゃん、行こう」
素人目だが、これ以上この生徒に言う事はないだろう。孝則の無邪気さが時に毒になる事もあるだろう。
「あ、ああ……」
孝則はまだ何か言いたそうだったけれど、無理矢理引きずっていく。まるで散歩から帰るのを拒否する犬のようになった孝則を皆が笑っている。そりゃそうだろうな。
何人もの生徒の間通り抜けると、音が聞こえた。
チリチリ。
それだけじゃない。
(なにか、焦げる臭い?)
鼻に何かついたけれど、そのにおいはほんの少し。例えるなら、道すがら漂ってきたような、その程度のものだ。
けれど、その臭いには心当たりがある。
(あの日の炎の臭いだ)
街のほとんどを焼き尽くし、戦の”今まで”を塗り替えた炎と同じ臭いだ。
――― あの炎は、おそらく”大業物”の仕業かと。
大業物。辞書で調べると品質の高い日本刀を指す言葉で、戦に押し付けられたあの白い刀もまた大業物というなら、あれと同じものがこの学校のどこかにあるという事だ。戦は、臭いを辿ろうと踵を返す。
(探さなきゃ。もう二度と、あの事件を起こしちゃだめだ)
「おーい、セン」
「な、なんだ?」
「チャイム。予鈴なってるって」
ゴーンゴーン。
「ノリちゃん、一つ訊いていい?」
「なんだ?」
「五限ってなんだっけ?」
「うん、物理だな」
「……急ごう」
「だな!」
はははっと孝則が笑いながら駆けていく。時間に厳しい担任は、チャイムが鳴り終わるまでに戻らないと、烈火のごとく怒るのだった。
「で、ここは公式を使い、導くことが重要だ。単位をそろえることを忘れたら原点だからなー」
担任の声が遠く聞こえてくる。生徒の態度はまちまちで、ちゃんとノートをとっている者もいれば、別の科目の教科書を開いている者、早々に諦めて自分のしたいことをしている生徒もいる。
(あの焦げ臭さ、引っかかるな)
イクサでもすぐに気付いた、というのに誰も気にしている様子はなかった。という事は、大業物の仕業とみて間違いないだろう。
(火を使う剣かぁ……)
イクサはノートのかたすみに、一般的な両刃剣を小さく描き、炎の絵を添えた。まるで勇者の剣の様だ。炎の力を宿す県、それだけでゲームの世界のようでわくわくする。でも、それは戦が回収しないといけないものだ。
「おい! 聞いているのか!?」
(炎の力を弱めるなら水? でも、俺の是空にはそんな力は―――)
「庵!!」
「は、はい!!!???」
いきなり呼ばれたので、戦は立ち上がった。あたりを見渡せば、赤い顔をした担任がこちらを睨んでいた。
「次のページの問題を解いてみろ」
次のページとはいったい。黒板を見てもどこの問題をしているのか全く分からない。教科書と黒板を交互に見やる。
「???」
「聞いていなかったのか?」
「はい、すみません」
「家の手伝いがあるかもしれないが、今は勉学に集中しろ」
「すみませんでした……」
すごすごと座るとくすくすと笑う声がするが、その声に怒る気はなかった。
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