第5話 バレンタイン、そして…
7「バレンタインデー」
大学の後期も終わり、短い冬休みを挟んで、後期末試験が始まった。
この後期末試験の出来で、3年生に進めるかどうか、伊藤には重要な局面を迎えていた。
既に卒論を仕上げるゼミの申し込みは終わらせていたので、後は2年生までに取得しておかねばならない最低限の単位を、この後期末試験で確実に取れるかどうかに掛かっていた。
軽音楽部の活動も、年末にクリスマス会を開催し、4年生の引退式があったくらいで、目立つ活動はなかった。
伊藤は咲江に会えない時間がもどかしかった。
(サキちゃん、今頃何してるかな…)
一方、咲江も後夜祭の後にサークル室の畳部屋へと運んでくれ、毛布を掛けてくれたのが伊藤だと後に知らされて、恥ずかしいという思いと同時に、更に伊藤のことを好きになっていた。
(伊藤先輩、試験勉強してるのかな…。会いたいな…)
大学の慣例で、後期末試験が終わったら、そのまま春休みに入る。
春先に行事があるサークルは、春休みも活動するし、軽音楽サークルも追い出しコンパがあるのでバンド毎に集まったりするが、帰省したりする学生もいるので、基本的には卒業式までサークル活動は開店休業になる。
(このままじゃヘタしたら、追い出しコンパまで会えない!)
奇しくも、伊藤も咲江も試験勉強をしながら同じ事を思っていた。
(後期試験が終わったら、とりあえず軽音サークル室へ行ってみよう)
これも、伊藤と咲江が同時に思ったことだった。
そのため2人とも、必死に試験勉強に打ち込んだ。
そして3週間にわたった後期末試験期間はあっという間に過ぎ去り、いよいよ春休みが始まった。
(サキちゃんに会いたい…)
(伊藤先輩に会いたい…)
離れていても、2人がこれまで築いてきた絆は、お互いに結びついていた。
春休み初日、伊藤も咲江も、自然と軽音サークル室へと足を運んでいた。
「せっ、先輩!お久しぶりです!」
伊藤の方が先に軽音サークル室に着いていた。
「あっ、サキちゃん!元気にしてた?」
「ハイ!伊藤先輩に会いたいなーって思いながら、なんとか試験期間を乗り切りましたよ!」
「サキちゃん、上手いこと言うようになったね」
「いえ、先輩…。一つ、アタシのお願いがあるんですけど、聞いて頂けますか?」
「ん?なんだい?」
伊藤は内心ドキドキしながら、咲江の言葉を待った。
「先輩、2月14日、金沢に帰ったりしてませんか?」
「2月14日?まあバイトがあるし、それ以外にも色々あるから、そんなに金沢へは行かないつもりだけど…」
「じ、じゃあ、2月14日、アタシ、伊藤先輩に、大切なお話があるんです。その日、サークル室に来て頂けますか?」
「2月14日だね。分かったよ。楽しみにしてる」
「ハイ!楽しみにしてて下さいね」
伊藤はもうその時点で、その日の意味が分かったし、咲江が話したい事柄も分かった。
だが焦らず、2月14日を待つことにした。
咲江は2月14日に向けて、その日から準備に入った。
「お母さーん、バレンタインのチョコ作り、どうすれば良いの?」
「咲江、今度こそバレンタインデーのチョコは成功しそうなの?」
「う、うん…」
咲江は照れながら、母に言った。
「素敵な人を見付けたんだね。よしっ、お母さん、手伝ってあげるよ。まずはね…」
咲江は母の指導を受け、世界に一つだけの、伊藤に贈るチョコレートを作り始めた。
一方伊藤は、もう咲江の気持ちを十分に受け止めていたので、2月14日が来るのが待ち遠しかった。
毎日のバイトをこなしながら、2月14日まで残り何日、とカウントダウンしていた。
その間に、家庭教師をしている中3の女の子からも、心の籠った義理チョコをもらえたりして、それはそれで嬉しかったが、やはり伊藤の本命は咲江だ。
ちなみに妹の由美は、家庭教師先の女の子から伊藤が義理チョコをもらったのを見て、今年はチョコは上げなーいと言っていた。少しだけ寂しい兄貴でもあった。
そしていよいよ2月14日がやって来た。
伊藤も咲江も、朝早くから目が覚め、いつ大学のサークル室へ行こうかと考えていた。
だがはやる気持ちは抑えられず、お互いに朝イチで大学のサークル室へと足が向いた。
先に到着したのは、伊藤だった。
(サキちゃんはまだか…)
1分1秒が待ち遠しい。
これまでの咲江との出来事を思い出しながら、伊藤は咲江を待った。
しばらくしたら、カチャッと音がした。伊藤が音がした方を向くと、いつになく綺麗に着飾った咲江が立っていた。
「伊藤先輩、来てくれたんですね…」
「当たり前だよ、大切な後輩のお願いじゃないか」
「嬉しいです。先輩、外へ出てくれますか?」
「外へ?分かったよ」
咲江は伊藤をサークル室の外へと呼び出した。
そして、大学祭の後夜祭が行われた広場へと伊藤を連れて行った。
「サキちゃん、ここは…」
「はいっ!アタシが後夜祭で寝落ちした場所です。エヘヘッ」
「そうそう、あの時サキちゃんをおんぶして運んだんだけど、ごめんね、その時サキちゃんのお尻を抱えたし、おんぶしたからサキちゃんの、その、胸が俺の背中に当たっちゃってさ…」
「ううん、そんなの、気にしてないです。それより、コレを受け取ってもらえますか?」
咲江はバッグから、小さな包みを出し、伊藤へと差し出した。
「サキちゃん、コレは…」
「アタシからの気持ちです。先輩、開けてみて」
伊藤は丁寧に包み紙を剥がした。中には箱があり、箱の蓋を取ったら、チョコレートが現れた。
チョコの上には、こんな言葉が書いてあった。
【イトウマサキセンパイ、大好き♡】
「サキちゃん…」
「…アタシ、中学も高校も、男運がなくて、恋愛なんて一生出来ないんだって思ってたんです。でもそんなアタシが大学に入って、伊藤先輩に出会って、これが最後の恋と思って、伊藤先輩のことを思い続けました。伊藤先輩はどんな時も、アタシの味方になってくれて…アタシ、凄く、嬉しくて…」
咲江はそれまでの明るさから一転、涙ぐみながら、必死に言葉を紡いだ。
「先輩の彼女になりたい、そう思ってサックスの練習も頑張りました。まだまだ下手な私を、先輩は上達したよと褒めてくれました。本当に嬉しかったです。先輩、これからはアタシを、サックスの後輩だけじゃなく、恋人…彼女にしてくれないですか?アタシの、お願いです。絶対に先輩を幸せにします!」
伊藤は咲江の心からの告白を受けて、涙が溢れてきた。
「サキちゃん、ありがとう。実は俺も、箱根合宿の時から、サキちゃんは単なる後輩じゃ無くて、俺が守ってやりたい、愛しい存在になってたんだ。だから…俺こそ、サキちゃん、俺の彼女になってくれないか?」
2人は目と目を合わせた。どちらからともなく、自然と笑顔になった。
「先輩…。アタシの初めての彼氏になってくれるんですね」
「もちろん。サキちゃんも、これからずっと、俺のそばにいてくれる?」
「はいっ!もちろんです!」
自然と2人は抱き合い、キスを交わした。
「これからも仲良くしようね」
2人同時に同じセリフを言い、お互いに照れてしまったが、その後も2人は笑いながら、何度も唇を重ね合った。
************************
終 章
「お母さーん、チョコ刻んで溶かしたら、今度はすぐ溶けちゃって、慌てて取り出したら、また塊になっちゃった。ねえねえ、どうしたらいいの?」
アタシが旦那さんとの思い出に浸ってる内に、娘は勝手にチョコ作りを段取り悪く暴走させていたよ。
「あーあ、細かく刻みすぎたんでしょ?塊になる前に、カップとかに流し込まなきゃ。しょうが無いね、もう一回作り直そうか!」
「ホント?お母さん、ありがとー」
「ただし!お父さんへのチョコも作るんだよ」
「分かってるって。お父さん、アタシからのチョコがなかったら、見てて笑えるほど落ち込むもん」
ピンポーン!
「ただいま~」
「あっ、正樹くん、お帰り~」
「何々、チョコの匂いが凄いけど」
「それは、女同士の秘密だよねー、真美」
「そうそう、お父さんは匂いだけ嗅いだら、とっととお風呂に入って!」
「はいはい、そうするよ」
伊藤は咲江が大学を卒業すると同時に、結婚に踏み切った。
何より咲江自身が、大学を卒業したらすぐ結婚したいと言っていて、伊藤の両親にも、石橋の両親にも、伊藤家に就職します!と言っていたのが大きかった。
幸い真美という子宝にも、結婚して1年目に恵まれ、常に明るい咲江にリードされて伊藤は会社に勤める事が出来た。
今ではサキちゃんという呼び名が更に進化して、サッちゃんになっていたが、咲江は付き合い始めた頃と変わらず、正樹君と呼んでくれる。
それが伊藤には、いつまでも新鮮味があって、嬉しかった。
伊藤が服を脱ぎ、風呂に入ると、脱衣場に人影が見えた。
「正樹君、たまに一緒にお風呂に入ろうよ」
咲江が服と下着を脱ぎ、浴室へ入ってきた。
「ああ、たまには良いよな。若い時を思い出すよ」
「ブーッ!」
「えっ、何か違ってた?」
「アタシ達は、まだ若いの!その気になれば、もう一人…どう?真美の弟か妹…」
咲江はそう言って、体を洗っている伊藤に迫ってきた。
「うん。俺はサッちゃんとなら、いつでもいいよ」
「じゃ、じゃあさ、今年のバレンタインデーは、アタシと正樹君がカップルになって20回目の記念日だから、勝負しない?」
「いいよ、その勝負、受けて立とう!」
「アタシも勝負仕掛けるから、覚悟しててね♪」
アタシの白馬の王子様は、大学を卒業してからじゃなくて、在学中に見付けちゃった。
正樹君、ありがと♪
一生よろしくね💖
【完】
バレンタイン of 私と旦那、そして娘 イノウエ マサズミ @mieharu1970
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