第8話イルマの特技
偽装結婚から二月と半分が過ぎた頃、目に見えてわたしに届く手紙の量が増えた。
最初はほんの数通増しだった。しかし一週間も過ぎた頃には、普段の十倍を軽く超えていて、盆に乗った手紙の山を見て思わず引いた。
「ふふふっイルマったらうっかりさんね。
ルーカス宛の物も混じっているのじゃなくて?」
「いいえ混じっておりません」
「じゃあ……、検査前なのね」
毒物やら刃物やら、誹謗中傷の混じった手紙などは差っ引かれるのが当たり前。
きっとその前に違いないわ。
「いいえ残念ながら、こちらに有りますのは、確認済みで、かつ奥様宛てのお手紙でございます。
どうぞこの現実をお受入れください」
「ハァ……
今日は一段と多いのね」
「奥様がご結婚されてそろそろ三ヶ月になります。結婚生活も落ち着いたであろうと、新たに縁を結びたい方々から届いているようでございます」
イルマはその場で手早く手紙を二山に分けた。
そして彼女はまずは二割ほどに分かれた方をこちらへ差し出してきた。事前に並べてあったのだろう、これらの手紙の裏には、友人知人から始まり交流のあった人の名や家名が書かれていた。
「えーとまさかと思うけど、残りは……?」
「先ほど申し上げた通り、こちらは『これから』の方々でございます」
さあさあとばかりにお盆を出してくるので、最初の数通を裏返して名を確認した。
うん知らない。
あの多忙極まる初の月のこと。夜会でチラッと顔見世しただけの人なんて、わたしは案の定これっぽっちも覚えていなかった。
なんせこちらは最高爵位の公爵家、覚えるべき相手なんて殆どいない。
しかし知らないからと言って、八割をすっぱり切れないのも貴族社会である。
「イルマ、申し訳ないのだけど頼めるかしら」
「畏まりました」
その一つがこれで、彼女は家名を聞くだけで、その家のざっとした家族構成や親族関係まで空で言えるように日々訓練している。
イルマからヒントを貰って、何とかほそ~い記憶を呼び起こしていった……
手紙を分けたら今度はお返事を書いていく。
残念なことに手紙とは、了承だけでなく、お断りの方にも返事が必要な事だろう。
当然、ここでもわたしはイルマに助けられた。
わたしと同じ年に生まれたイルマは、生まれた時からわたしに仕えることが決められていた。そのため彼女は、わたしと同じ筆跡で文字を書けるように訓練されている。
まあそれでも数は半分になっただけ、二人で励まし合いながら乗り越えた。
それにしてもね。確かに暇だと言ったわよ?
でもわたしが望んでいたのはこういう事じゃないわ!
待ちに待った土曜の晩餐の日。
わたしはお断りの返事を書いた相手の一覧をルーカスに渡した。
「お返事は止めてあるから、問題があったら明日までにお願いね」
イルマの仕事に不備は無いと思うが、
「ああ確認しておく。
んんっこれはなんだ?」
それは一覧に付けたもう一つの紙。
「見たとおり請求書よ」
「そう言う意味じゃない。
何故こんなものが付いているのかを聞いているんだ」
「だってお返事を書くのは公爵家のお仕事でしょう。だったらわたしがお給金を貰うのは当然の権利よ」
「ハァ!? 手紙の返事くらいで金をとるのか!?」
その台詞にはさすがにカチンと来た。
「そりゃあそうでしょう。わたしとイルマがここ数日どれだけ頑張ったと思っているのよ」
「頑張っただと?
ふんっ笑わせるな。この程度で片腹痛いぞ」
「何が言いたいのよ……」
「よーく考えてみろ。妻のお前にこれだけ来ていたのだぞ、旦那の俺にこれ以上の手紙が来ていないと何故思う!?」
言われて見えれば確かにその通り、この手の話ならば、妻より旦那の方が間違いなく来ている手紙の量は多いだろう。
だからってねぇ?
「みっともない。それ何自慢?」
「なっ!? お前が言い始めたんだろうが!」
「違うわ、わたしは労働の対価の話をしただけ。愚痴を言い出したのはそっちが先よ」
「ちっ、あー言えばこー言う。昔からお前は変わらんな」
「はいはい、わかった解った。もうお腹一杯よ。
でも、それはそれ、これはこれ、お金はちゃんと払ってね」
言い返そうと思ったのは一瞬。女の愚痴を黙って受け止める甲斐性もない小さい男には、はっきり現実を突き付けてやる方が効果があると気づいたのだ。
わたしの態度が変わり本気だと気づいたのだろう。
ルーカスは冷や汗を流しながら、
「……なあエーデラ。もう少し負けてくれないか?」と懇願してきた。
「嫌よ」
「そんなことを言わずに頼むよ」
「今後の為ために一つ教えてあげるわ。
そう言うことは、せめて文句や愚痴を言う前に頼む事ね」
交渉の目が潰えるや、ルーカスは皿の上のグリンピースを突き始めた。
あーもう情けない。
幼馴染じゃなかったらとっくに縁切りしてるわ。感謝なさいよ!
すっかり静かになったのでわたしは食事の手を進め、ルーカスを置いて席を立った。
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