迷子の心
私は川島優愛。十七歳のどこにでもいる一般的な女子高生。
高校三年生になったばかりだが、もう半年経とうとしている。周りの子達は皆、進学や就職と自分の進みたい道を決めて準備を進めている。私はというと、片っ端から大学の説明会に参加してみたり、高校で求人票を眺めてみたりいまだに進路が決まらず、ただ時間を潰している。そして今日も求人票をペラペラ巡っていると「はぁ」とついつい溜息が出てしまった。
「そんな溜息ついてなんかあった?」
急にドアの方から声をかけられ、顔を上げた。
「なんだ早希か。びっくりした」
声の持ち主は、私の親友の伊藤早希だった。「ごめんごめん」と軽い口調で彼女は言った。そのまま私の座っている席に近づき、私の目の前に座った。
私が再び求人票に目を通したことで、沈黙が続く。なんとなく居心地が悪く、私は沈黙を破るように話しかけた。
「早希はやっぱり大学に行くの?」
彼女はスマホを操作していた手を止め、私の顔を真っ直ぐみつめて言った。
「もちろん。私の夢のためにね」
そう言った彼女の目はキラキラ輝いていた。
彼女はとても頭がいい。将来は製薬開発技術者になって、多くの人の力になりたいらしい。立派な夢を持っている自慢の親友だ。その裏でそんな完璧な親友を嫌に思うこともある。彼女を羨んでしまうのだ。
「早希は私の自慢だよ」
私は笑顔を貼り付けて、自分に言い聞かせるようにして言った。
「ありがとう」
その一言を聞いて、私は罪悪感を感じ黙ってしまった。
「そろそろ帰ろうか」
彼女はそんな私に気を利かせてか、そう切り出した。
家に着くと、お母さんが夕食の準備をしている。
「ただいま」
「おかえりなさい。もう少しでご飯できるわよ」
「わかった」
よくある親子の会話を交わして、私は自分の部屋に向かう。部屋に入ってすぐベッドに沈んで目を瞑る。それからどれくらい経っただろうか。きっと十分も経っていない。階段からお母さんの私を呼ぶ声が聞こえてきた。夕食ができたのだろう。重い体を起こしてリビングに向かう。
「ご飯ができたわよ」
お母さんが私専用の茶碗に白米をよそいながら言った。席には既にお父さんと妹の姿がある。私の後に帰ってきたのだろう。
「二人とも帰ってきてたんだ」
私は席に着きながら言った。
「優愛も帰ってたのか」
「今日はお姉ちゃんの好きなハンバーグだよ!」
お父さんは広告代理店に勤めているサラリーマンだ。温厚な性格で普段からどこかふわふわしている。
妹の美愛は十五歳で、私の同じ高校に通う一年生だ。とても明るい性格で、友達も多い。加えて将来は教師になりたいんだとか。
ちなみにお母さんは専業主婦だ。
「お姉ちゃん後で勉強教えてほしいんだけどいい?」
四人で他愛のない会話をしながら夕食を食べていると、美愛が私にそう聞いてきた。
私は少し明るい口調で
「いいよ。食べ終わったら美愛の部屋に行くね!」と言った。「ありがとう」美愛は笑顔でそう返した。
食事を終え、私は先に自分の部屋に向かった。一度自分の部屋に戻り、勉強道具と自分の課題を手に持ち、隣の美愛の部屋に向かう。部屋の前につきドアをノックすると、中から「はーい」と明るい声が聞こえた。ドアが開くと、美愛が「入って入って」と笑顔で迎え入れてくれる。
美愛の部屋は私の部屋と違い、今大注目のアイドルグループのポスターやグッズが沢山飾られている。まさに今時の女の子の部屋という感じだ。
私達は部屋の真ん中に置かれているテーブルに、対面した形で座り、それぞれノートと教科書を開く。
「で、どこがわからないの?」と私は聞いた。
美愛からは予想外の返事があった。
「実は勉強教えて欲しいっていうのは嘘なの」
戸惑い、口からは「え?」という単語しか出なかった。口を開けたまま固まっている私をよそに、美愛はノートを書きながら話しを続ける。
「お姉ちゃん何か悩んでるみたいだったし笑顔が作りものだったから」
私はその言葉を聞いてさらに驚いた。
「よく分かったね」と私が呟くと「これでも姉妹だからね!」とノートを書く手を止め、私の顔を真っ直ぐ見て自信ありげに言う。少し迷ったが私は、美愛になら相談できるかもしれないと思った。決意し、話し始めようとした瞬間部屋の扉がノックされた。
「2人ともお茶持ってきたわよ」と扉の向こうからお母さんの声がする。
「入って」と美愛が言うと、扉が開きお母さんが入ってくる。
「勉強の方はどう?」と聞かれ、美愛が何事もなかったように答える。
「ちょうど今お姉ちゃんが教えてくれて問題が解けたところ」
「あら、そうだったの」
二人がこんな会話を交わしてる間も私は、上の空でまったく話しが入ってこなかった。一通り会話が終わったところでお母さんは、部屋を出ようとして扉に向かって歩き出した。
「お茶ありがとう」
お母さんの背中に向かって私と美愛は一言お礼を言った。
また二人だけの空間になった部屋は、沈黙で静まり返っていた。
「さっき何か言おうとした?」
美愛が沈黙を破る。
私は今度こそと思い話し始めた。
「私自分が何をしたいのかわからない。何をするのが正解なのか」
美愛はノートを書きながら静かに私の話しを聞いている。口を挟むことはない。
「小学生の頃は将来はこうなりたいって漠然とだけど考えてた。でも今は何になりたいか全然分からなくて周りを見てると自分に自信がなくなる。挙げ句の果てには親友を羨ましいとまで思ってる」
私は目の前の妹に誰にも言えなかった、心の内を全て話した。頼りない姉の姿を見てどう思っているかなんて考える余裕はなく、ただただ全てを吐き出す。私が全てを話し終わると、静かに聞いていた美愛が口を開く。
「お姉ちゃん大学行ってみたらいいんじゃない。歴史得意でしょ」
予想外すぎる言葉に私は「え?」と言うしかなかった。それからは、お互い無言で自分の課題を進めていた。
翌日の放課後、私はバイト先に行くまでの間昨日の美愛の言った言葉の意味を考えていた。私は平日夕方から家の近所のコンビニでアルバイトをしている。今日は私より二つ上の大学生、山吹和馬さんと同じシフトだ。
バイト先に着き準備を素早く済ませ、レジに入ると和馬さんが先にいた。
和馬さんは気さくな人で、シフトが被ると必ず自分から挨拶してくれる。
「優愛ちゃんおはよう!」
「おはようございます」
前の時間に入っていたスタッフさんと交代が終わり、2人っきりになってからしばらくは、お客さんもそれなりに来るので、ひたすらレジ周りの作業をしている。
20時を過ぎて、お客さんの入りが落ち着くと世間話しをする余裕が出てくる。普段だったらここで私も他愛のない話しをするのだが、昨日のことが気になりすぎてほぼ集中できていない。そのためレジをしている時も、何度か失敗しそうになってしまった。和馬さんのフォローがなかったらどうなっていたか。
「集中しなくちゃ」と呟く。
きっと深刻そうな顔をしていたのだろう、隣から急に名前を呼ばれる。
「優愛ちゃん?」
顔を上げると和馬さんが心配そうな顔をしている。
「あ、すみません!」
私は慌てて謝る。
「謝らなくていいよ。今日ずっと元気なさそうだけど何かあった?」
優しい声でそんなことを言われたものだから少し泣きそうになってしまった。
和馬さんなら何かわかるかもしれないと思い、終わったら話してみようと思った。
「終わったら話し聞いてもらえますか?」
と聞いてみると和馬さんは優しく「もちろん!」と言ってくれた。
22時になり夜勤の人に引き継ぎをし、和馬さんと2人で勤務を終える。
帰り支度を素早く終わらせ、二人で近くの公園に向かった。コンビニから公園までは五分程度のため、無言で歩いていてもすぐに着く。ベンチに腰掛け一息つくと私は早速話し始めた。悩んでいること、昨日の美愛の言葉、包み隠さず話した。バイト先の先輩にこんな相談する日が来るなんて。
正直すごく緊張している。
「どう思いますか?」
なんて返ってくるだろうと少し話しをしたことを、後悔しそうになりながらも和馬さんの言葉を待った。
和馬さんの第一声は想像もしなかった。
「いい妹さんだね」
優しい笑顔を向けられる。
私は意味が分からずポカンとしていた。
先輩は続けた。
「優愛ちゃん自身が悩んでるまま興味もない企業に就職して後悔するより少しでも自分の得意なことをできる場所に進んでその中でゆっくり答えを探して欲しいんじゃないかな」
優しい言葉で、私の中で突っかかっていたものを取り除くように、美愛が言っていた言葉の意味を教えてくれた。はっと気づいた時には、自然と涙が出てきていた。目の前の和馬さんは急に泣き出してしまった私をみて、あたふたしている。私は大丈夫だということを伝え、謝罪をした後すぐに帰ろうと思い立った。帰って美愛にお礼を言わなきゃと思った。
「和馬さんほんとにありがとうございます!お疲れ様です!」
私は頭を下げお礼を言った。
和馬さんは笑顔で「お疲れ様」と言って手を振ってくれた。それからは振り替えらずとにかく走った。
それまでの私は大学は目的や夢がないと行ってはいけないものだと思っていた。だから全てに焦っていたのだ。和馬さんと話して悩みを解く鍵を見つけることができた。
家に着くと真っ先に美愛の元へと向かった。美愛の部屋の扉を思いっきり開け、泣きながら抱きつく。
「ありがとう」
泣きながらこう言った私に美愛はすごく戸惑っていた。
「どうしたのお姉ちゃん」
「美愛のおかげで答えがみつかった。」
そう伝えても美愛は何のことかわかっていない様子だ。
「私大学に行こうと思う」
美愛に向き合いそういうと、戸惑っていた美愛の表情がどんどん笑顔になっていく。そして満面の笑みで「そっか!」という妹の姿があった。それからは何故急に決意したのか、和馬さんと話したこと全部を話した。
私が落ち着きを取り戻してからは、お母さんとお父さんにも今まで悩んでいたこと、大学に行くことを決めたことを話した。
次の日登校して早希に会うと、まず初めに謝った。
「ごめんなさい」
早希はなぜ謝罪されているのか分からない状態だ。それもそうだ。急に親友が今まで心の中で、妬ましく思っていたなんて、思ってもみなかったはずだ。
「今謝ってるのだってただの自己満でしかない。それでも口にしなかったとしても嫌なこと思ってほんとにごめん」
深々と私が頭を下げていると、頭上からクスッと笑う声が聞こえた。不思議に思い顔を上げると、早希がお腹を抱えて笑っていた。
「そんなの気にしないでよ!てか廊下の真ん中で急に頭下げるからびっくりしたよ」
私はとにかく謝ろうという気持ちが先立って、何も考えず廊下の真ん中で大きな声で謝罪して頭を下げていた。周りの生徒達が、ジロジロこちらを見ながら通り過ぎていく。
「なんかいろいろごめん」
急に恥ずかしくなって、苦笑いしながら言った。
「まぁ少し腹立つからジュース奢りね!」
悪戯っぽく言った早希を見て、私は心の中でほんと私の自慢だよと言った。
「あ、そういえばもう一つ」
「何?まだ何かあるの?」
「実は私大学行くことにした」
早希は驚きで声が出てなかった。
一瞬無言になると早希が口を開く。
「応援する!一緒に受験頑張ろう!」
泣きそうな声でそう言ってくれた。
「ありがとう!」
私も泣きそうな声で返した。
そこからはとにかく勉強の日々だった。周りよりかなり遅れて進路を決めたため、挫折しそうになって気合いを入れての繰り返しをしていた。唯一の救いは成績がそれなりに良かったこと、皆勤賞であることなど学校での行いが良かったので、志望校への推薦が受けられるということだ。
推薦だと受験方法は面接のみのため、今やっている勉強は全て大学に入ってから、できるだけ困らないようにするためだ。
そんなこんなで毎日流れるように過ぎていった。
そんなある日、和馬さんからメッセージが来た。
「実は優愛ちゃんに会わせたい人がいるんだ。」
一体誰なんだろうと思いながら返信をする。
「どんな人なんですか?」
「それは会ってからのお楽しみ!」
「わかりました。楽しみにしてます」
今はまだ自分の世界がさらに広がるなんて、思いもしない私はそう返した。
それぞれの生き方 乃上詩 @utanogami
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