枯樹逝花

まっく

枯樹逝花

「待っててくれなくても大丈夫だよ」



 満月の夜。


 そう言って、森の奥へと進む彼女に、相馬そうま奏汰かなたは、何も答えることが出来なかった。


 今の彼女の横顔は、普段、何処と無く子供っぽい表情の三崎みさきゆいのそれとはまるで違ったからだ。


 だからといって、もちろん自分だけ先に帰るわけにはいかない。





 彼女、三崎結には秘密がある。


 未知の細菌が作り出したこぶ(植物に出来るクラウンゴール、所謂いわゆる虫こぶ、正確に言えば、の様なもの)が、右の首の側面に隆起している。


 結は、その瘤が出現して以来、人の死を予知する能力を獲得してしまった。

 それは限りなく近い未来の。


 その未来は変えてしまうとさらに大きな厄災に見舞われるかも知れず、狙って見ることも叶わない。


 コントロール出来ない未来視。


 そんな望んでいない能力の獲得と引き換えに、瘤は満月の光を要求する。


 その要求を満たす為に、満月の光を全身に浴びる為に、結は森の奥の川辺へと歩を進める。


「毎度のことだから」と彼女は言うが、こんな人気ひとけの無い場所に女の子一人で来ていたなんて。


 次回からも、必ず付き添うと決めた奏汰だったが、有事の際に何が出来るのかと言われると、これもまた何も答えることができないのだが。



「寒かったでしょー」


「三崎さんこそ大丈夫だった?」


「まー、慣れたっちゃ慣れたけど。やっぱ、夏の方がありがたい」


 そう言って、少し大きめのマフラーを巻きながら笑う彼女の表情は、普段の三崎結そのものだった。


「暦の上では、もうすぐ春なのにね」




 ────よく晴れた日。散歩日和。


 結はもう少し歩きたくて、遠回りをして帰ることにした。


 いつもの道から、そんなに離れていないはずなのに、まるで景色が違うように見える。

 通り掛かった庭先に、青色の花弁に紫の筋が入った花を見つけた。


 何の花かなと近付いたその時、畳の上に突っ伏す老女の姿が脳内に飛び込んでくる。


「お嬢ちゃん、なんかうちに用かい」


 その老女だった。


 記憶を巻き戻す。

 テレビには早朝のワイドショー。

 日付は三日後。



 彼女は三日後に死ぬ。



 動揺を悟られないように。


「かわいい花が咲いていたので」


「これかい」


 老女が指で花を下からちょんちょんと触る。


「何ていう名前ですか」


「お嬢ちゃんが、口にしないほうがいい名前だけどね」


「そんな風に言われると気になっちゃいます」


「オオイヌノフグリ」


 聞いたことの無い名前だったが、後で調べてみると、大きな犬の○○の事らしい。確かに。


「ただの雑草よ」


 そう言いながらも老女の瞳には慈しみが感じられる。


「そんな所にじっと立ってるんだったら、中に入りなさいな」


 立ち去り難そうにする結に、老女は門を開いて言った。


「じゃ、遠慮なく」


 結は出来る限りの笑顔を浮かべ、門をくぐる。人の家に入るのは久しぶりだなと思った。


 庭には様々な植物が雑然と生えていて、一見手入れしていないだけにも見えるが、不思議とバランスが取れている様にも見えた。


 老女は和子かずこという名前で、ご主人が五年前に亡くなってからは、ずっと一人で暮らしている。子供は結局、出来なかったらしい。


 庭には他にも小さなうねの様なものもあり、野菜が数種類植えてあるようだ。

 しかし、そこも雑草が生い茂っており、野菜を育てるのに適しているとは思えない。


「お茶入ったから、上がって」


「失礼します」


 結は縁側から茶の間に上がる。


「これ、糠漬ぬかづけですか」


「そうよ。野菜はそこで獲れた物」


 和子が庭の畝を指差す。


「若いお嬢ちゃんには、クッキーみたいなのが良いんだろうけど」


「いえ、こっちがいいです」


 結は、歪な形の大根を一切れ口に運ぶ。大根自体の味が濃くて美味しい。


「何これ。普通の大根ですか?」


「普通じゃないよ。虫がかじった大根さ」


 和子はニカッと笑う。


「虫なんかはね、鳥とかもだけど、ちゃんと旨いもんを嗅ぎ付けて来るのさ。どんなに遠くからでもね。五感ではない何かで感じ取って」


「人間には無い能力ですね」


「いや、小さい頃はみんな持ってたのさ。でも、物心がついたら無くしちまうんだろうね、殆どの人間が」


「じゃ、虫の知らせなんかは、その名残でしょうか」


「今度、大根齧ってる虫に聞いてみるかい」



 私の能力は虫の知らせの極みみたいなものだ。出来れば本当に虫に聞いてみたいものだと、結は思った。

 脳の奥底に眠っていた第六感を、首の瘤の中に潜む細菌が、目覚めさせたのかどうかを。




「今日はありがとうございました。しかも、何か色々もらっちゃって」


「人に物をやるのは、年寄り共通の趣味みたいなもんさ。それよりも、また気が向いたらおいでなさいな」


「はい、必ず」


 三日後に。





「で、明日がその三日後」


「うん。相馬くん、朝起きれる?」


「たぶん」


「電話で起こす? 私、朝の強さには自信ある」


 結は腰に手を当て、胸を張る。


「じゃあ……」


「何だなんだー、嬉しくないのかー、憧れのモーニングコールじゃないのかー!」


 とても嬉しかったが、実は奏汰も朝は強い。必ずアラームが鳴る前に起きるので、少し気が引けてしまったのだ。


 それに結が無理に明るくしようとしているのも、胸をチクチクと刺す。


「サメにはロレンチーニ器官ってのがあって」


「相馬くん、なに急に」


「そのロレンチーニ器官は、サメの第六感って言われていて、微弱な電気だって感知出来るみたいなんだけど」


「そうなんだ」


「筋肉の動きとかもそうなんだけど、心の動きも結局は、全部脳が作り出す電気信号な訳で」


「うん」


「死を間際にした人だけが放つ、特殊な電気信号を、三崎さんは受け取れるようになったのかなって、ちょっと思って」


「なるほど。そういう考え方もあるのか」


「荒唐無稽な話だけど」


「じゃあ、首の瘤がロレンチーニ器官? 

 みたいなもんだ」


 そう言って、結はマフラー越しに首の瘤を触る。


「僕にも第六感が眠ってるのかな」


 もしも、努力をして、それを獲得出来るのであれば、どんな努力もいとわないのに。


 命を削ってでも、それを手に入れて、三崎結を孤独の世界から救い出してあげたい。


 奏汰は強く強くそう思った。





「ふーっ、救急に連絡入れてきた。公衆電話って、なかなか無いもんだねー」


 結は少し息を切らしながら言う。


「こういう時は、下調べが必要だね。今回の反省点」


 周りに人がいないのを確認し、二人で並んで手を合わす。



 心の中で、『人生のゴールおめでとうございます。完走お疲れ様でした』と言って、拍手を送る。



 それが、どんな形の死であっても。


 見送る時には、必ずそうしようと二人で決めていた。



「相馬くん、ちょっと手の臭い嗅いでみて」


「なに、何か変な物でも触ったの」


 そう言って、奏汰は遠慮気味に鼻を近付ける。


「別に何もしないけど」


「そっか。やっぱ三日くらいじゃ、ね」


 結は自分でも指先をクンクンとしている。


「実は、和子さんの糠床ぬかどこを分けてもらって、毎日混ぜてるんだ」


「そうだったんだ」


「うん。あの家もいつか更地にされて、庭の植物たちも取り払われてしまうだろうけど、その植物たちの子孫は、虫や鳥がいろんな場所に運んで増やしてくれるだろうし」


「そうだね」


「私は、ずっと和子さんの糠床を守っていくよ」


 結は、いかにも慣れていない手つきで、何かを混ぜるような仕草をする。


「でもさ、それって臭いが染み付くものなの?」


「そんなの分かるわけないじゃん! 初めてなんだからさ!」


 結は口調とは裏腹に、晴れやかな顔をしていた。


 今まで何も無いであろうと思っていた死者の為に出来る事が見つかったからだろう。


 見送る全ての死者に、同じ事をしようと考えるなら、また一つ大きな十字架を背負ってしまうのだが、まだ起きてもないことを心配しても始まらない。


 どんな時でも、三崎結の側に自分だけはいようと、奏汰は決意を新たにした。


「美味しい糠漬けが出来るようになったら、相馬くんにも、どんどん食べてもらえるからね。楽しみにしてて」


「あぁ……うん、楽しみにしてる」


 奏汰は先ほど決意を新たにしたばっかりなだけに、食べ物の中で、糠漬けが一番苦手だとは、とても言えなかった。

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