真夜中、イケメンモンスターとごはんを。
猫屋ちゃき
刺し身こんにゃくの漬け丼
それは、ある月のきれいな夜のこと。
疲れ果てたひとりの女が、スーパーの袋を片手にふらふら歩いていた。
その女・
「いひひ……今夜はこれを薄く切って、タレに漬けて……くふふ」
怪しげな言葉を呟いて笑うその姿は、不審者そのものだ。
もしすれ違う人がいれば、警察に通報されるか、新たな都市伝説として拡散されてしまうに違いない。
だが、幸運なことに外を歩く人間はそういない時間帯だったため、茉莉は誰にも見咎められることなくアパートまで帰り着いた。
築年数は経っているがよく手入れされて外観が気に入ったことと、家賃が周辺の物件より安かったことで選んだ物件だ。
だが難点がある。二階に上がる外階段が金属製で、足音がめちゃくちゃ響くのだ。
防犯上、音がしないほうが問題アリなのだろうが、こんな時間に帰ってくる身としてはなかなかな悩みではある。
茉莉は夜の穏やかな時間を過ごしているだろう他の住人の邪魔をしないように、足音を最小限に抑えて二階へ上がった。
「さてさて。これからこれを薄く切って
手洗いとうがいを済ませた茉莉は、そう言ってキッチンに立った。スーパーの袋から取り出したのは、刺身こんにゃくだ。
「本当は何かしらの魚の切り身がほしかったんだけど、こんな時間じゃ仕方ないよね。24時間営業さまさまだー」
茉莉は刺身こんにゃくを薄く切っていく。イメージするのはフグのお刺身“てっさ”の薄さだが、そんなにうまくはいかず五ミリくらいになっている。それでも、いいのだ。
こんにゃくをすべて切り終えると、食器棚から手頃な大きさのタッパーを取ってくる。そこにお醤油をジャパーと注ぎ、砂糖とみりんを入れ、隠し味で生姜チューブも一センチくらい入れ、菜箸でシャカシャカ混ぜる。これで漬けダレは完成だ。
ザ・目分量。でも、醤油はこだわりの九州の刺身醤油だから、美味しいことは約束されている。
漬けダレに薄切りにした刺身こんにゃくを並べ入れ、冷蔵庫で少しの間寝かせる。
その間に、茉莉はメイクを落とし、素早く入浴を済ませる。
忙しい社会人生活を送るうちに身についた知恵のひとつに、“帰宅したら座る前に風呂に入る”というものがある。
疲れた身体は、一度でも座れば終わりだ。座ったら最後、もう一度立ち上がるためにはものすごいエネルギーを必要とする。
だから茉莉は帰ってきたら簡単に夕食の準備を済ませ、風呂に入り、それからゆっくり食事することにしている。
「かー。炊きたてご飯が食べたいなー。でも、仕方ない」
冷凍庫から取り出したご飯を電子レンジに入れ、あたためる。
米があたたまれば食べられる、となったそのタイミングで、出窓を叩く不思議な音がした。
「え、何……?」
外観と家賃のほかにこのアパートで気に入ったポイントに、可愛らしい出窓がある。だが、可愛いものの少し外壁より張り出しているぶん、風の強い日なんかは小枝などが飛んできてコツコツとぶつかるのが難点だった。
風が強いようではなかったが何かぶつかっているのだろうか――そう思ってその出窓を開けた途端、ぶわっと何かが部屋の中に入ってきた。
それは最初、黒い布切れかと思った。あるいは
ああ、こういうのって原宿で見るな――それが、その男を見た茉莉の最初ほ感想だった。
かっちりしたロングコートに細身のパンツ、襟元から覗くブラウスはジャボタイ付き。それらすべてが真っ黒なのだ。そして、足元はゴツい編上げブーツ。……ブーツ!?
「ちょっとぉっ! 靴! 靴を脱いで! 土足厳禁だよ! ここはジャパンなんだッ!」
部分的に冷静な思考を取り戻した茉莉は、目の前のゴシック男に向かってそう言い放った。忙しくても掃除はマメにしているのだ。侵入者に汚されてなるものか。
「あんた、この俺を前にして真っ先に言うのがそれか?」
男は呆れたように言って、何だか妙なポーズを取った。脚をクロスさせて立ち、片手を額に当てている。フィギュアスケーターが演技の最後にする決めポーズか、ナルシストのネタとしてコメディアンがやるのくらいしか見たことがないようなポーズだ。
だが、目の前のゴシック男は容姿が整っていて、その妙なポーズが不思議と似合っていた。
そんなことに気がついて、茉莉の頭は一気に覚醒する。
「うわー泥棒ー!!」
「え!? 盗らない盗らない!」
「じゃあ人殺しかー⁉」
「いやいや、
「ほんならあれか!? 私にひどいことしに来たんか!? あの手のスケベな本みたいに!?」
「んー、あんたがどの手の本を読んでるかわかんないけど違うかな〜」
「じゃあ何!?」
とりあえず身の危険を感じた茉莉は、大股一歩で壁に立てかけてあったフローリングワイパーを取りに行って、男に向かって構えた。それを見て驚いたのか、男は両手を挙げた。丸腰アピールのつもりらしい。
「違う違う。ただ、俺カッコイイだろ?って言いたかったんだ」
「はあ」
「ほらほら。何か賛辞の言葉を投げてくれていいんだぜ? 『すってき〜』たか『眼福ぅ』とか」
「いや、何しに来たんだよ」
長い柄を構えたまま、茉莉は呆れた。何かよくわからないが、目の前の男は馬鹿っぽいなと思った。容姿は整っていているが、中身は残念ということだろう。
「よく聞いてくれた。実は血をもらいに来たんだ。俺は吸血鬼だからな」
思いきりドヤ顔で男は言った。
抜けるような白い肌や角度によっては赤く見える暗褐色の目は、確かに言われてみれば吸血鬼っぽい。だが、冷静に見れば黒髪のハーフっぽいイケメンだ。……ただのイケメンではなく、頭がちょっと残念なイケメンだが。
「あー、はいはい。吸血鬼ね。今、そういう時期だもんね。でもさ、そういうのは街中でやりなよ。渋谷とか池袋に行ったら、お仲間いっぱいいるんじゃない?」
「は? いや、これハロウィンのコスプレじゃないから!」
茉莉がカレンダーをちらっと見てから言えば、意図がわかったらしく男は気分を害したようだった。
「もー、とにかく血ぃ吸わせろ! ちょっと吸ったら帰ってやっからよ! ……って、え? 何この人……すげぇ不健康……」
男は苛立ったように茉莉の腕を掴むと、そこに牙を突き立てようとした。だが、その動きを止めて顔をしかめる。
「ふ、不健康って、何でわかるの?」
「そりゃ、よく見りゃわかるし、触ればわかるよ。うわー……栄養足りてないし、エナドリの匂いがプンプンする。俺、エナドリの体臭がする人間って苦手なんだよなー」
「た、体臭……」
あけすけな男の物言いに、茉莉は
「黙れ小僧! 善行のつもりで献血に行ったのに栄養状態が悪くて断られた、哀れな社畜の気持ちがお前にわかるか!? 好きで不健康なわけでも、エナドリまみれなわけでもないっ!」
「え……ごめん」
茉莉が怒りをあらわにすると、男はたじたじになった。
そうやって思いきり怒ったところで、茉莉のお腹が悲しそうな音を立てた。
「そうだった。今から夕食なんだった。変なやつを相手にしてる暇なんてなかった」
疲労と空腹に加え怒りで冷静な思考がログアウトしてしまった茉莉は、プリプリ怒りながらキッチンに向かった。
そしてご飯をあたため直し、それを丼に盛ると、その上に冷蔵庫で寝かせておいた刺身こんにゃくを並べていく。
きれいに並べ終え、その上に刻み海苔を散らしたらできあがり。刺身こんにゃくの漬け丼だ。
「うふふ、おいしそっ。本当はかいわれ大根か大葉がほしかったところだけど、刻み海苔でも美味しいよね。それじゃあ、いただき――」
「何それ。質素だな」
丼を手に、茉莉が箸を手にした途端、男から容赦のないツッコミが入った。
楽しみにしていた夕食を前に男の存在をすっかり失念していた茉莉は、その言葉にピキッと来た。
「何をぉー!? 社畜の貧乏飯って言ったな!? 別にお金がなくて魚が買えなかったわけじゃないからな! 仕事終わってスーパー行ったらもう魚がなかっただけだからな! 馬鹿にするなっ!」
「いや、そこまでツッコんでないし……」
「ふん。いいもんね。美味しいからいいもんね」
男の言葉に勝手に傷ついた茉莉だったが、出来上がった夕食を前にいつまでも男を相手にしている理由はない。
「いただきます」と改めて手を合わせ、丼に箸を入れた。
まずは、刺身こんにゃくをひと切れ摘み、それだけを口に運ぶ。
口に入れると、こんにゃく特有のトゥルンとした食感が楽しい。それを噛みしめると、こんにゃくに沁みていた漬けダレがジュワッと出てきて、そのうまみがたまらない。
うまみがなくならないうちに白米を口に運び、それを噛み締めながら刺身こんにゃくのひと切れで白米をひと口ぶんくらい包む。そしてそれをまた口に運ぶ。
漬けダレはよく沁みていて、その甘じょっぱい味わいに茉莉の箸は次々動いた。わりと多めに持っていた白米も、順調に胃袋に収められていく。
「何だよ、それ……うまそうだな」
質素と馬鹿にした男だったが、茉莉の食べっぷりに興味を持ったらしい。じっと見つめて、物欲しそうにしている。
その視線に気がついて、茉莉はニマッと笑う。
「吸血鬼って、普通の人間の食事はできるの?」
「ああ、問題ない」
「それなら、食べさせてあげるよ」
言ってから、茉莉はキッチンへ行って冷凍ご飯をあたため、まだ残っていた刺身こんにゃくの漬けを乗せ、自分が食べていたのと同じ漬け丼を再び作った。そしてそれを、吸血鬼の前に置く。
「どうぞ、召し上がれ」
「いいのか? いただきます」
男は丼を手にすると、ガツガツと勢いよく食べ進めた。スプーンと箸の両方を添えて見たのだが、選んだのは意外にも箸だった。そして意外なほどに箸使いはちゃんとしていて、いい食べっぷりだった。
「色が地味で何だそれって見た目だったけど、これうまいな」
「でしょ」
あっという間に平らげて、男は満足そうに言った。それを聞いて、茉莉も得意げな顔になる。
「これ、なんて料理だ?」
「えっと……〝ヘルシー漬け丼〟かな?」
「いや、
「そっか。じゃあ、〝心癒やすこんにゃく漬け丼〟かな。魚が売り切れてて絶望した私の心を癒やしてくれたからね、刺し身こんにゃくが」
「まあ、確かにうまいけどな」
満足そうに食べていたはずなのに、男は納得いかないという顔をした。
「これは肉じゃないからな……動物性タンパクを摂らないと、元気にはならんだろ」
言ってから、男はじっと茉莉を見つめる。赤い、不思議な色の目だ。ルビーというよりガーネットのような、深くてちょっぴり暗い赤だ。
そんなふうに異性から見つめられた経験が最近あっただろうか――そう考えて、何だか貴重な体験のように思えて茉莉も見つめ返した。男はきれいな顔をしていて、なるほど確かに眼福だ。
「あんた、名前は?」
「茉莉。日野茉莉」
「マツリか。俺はティット」
名乗るや否や、ティットはバサッとコートを翻して、いつの間にか窓際にいた。どうやら、もう帰るらしい。
「あんた、俺の好みの血の匂いがしたんだよなー。素材はいいはずなんだ。だから、健康にはくれぐれも気をつけてくれよな。――今度、肉でも持ってまた遊びに来る」
「えっ、あ、ちょっと……!」
意味深なセリフを放って、ティットは窓から飛び出していった。慌てた茉莉がそのあとを追うも、下には誰もいない。
もしやと思って見上げたが、空に見えるのはきれいな月と、それに照らされるコウモリのような小さな影だけ。
「……何だったんだろう。本当に、吸血鬼?」
あまりにも不思議な体験に、茉莉は夢でも見ているのかと思った。だが、振り返って小さなテーブルを見れば、そこにはふたつの丼が確かに並んでいる。
疲れ果てて見た夢ではなく、現実にあったことである証だ。
それでもやっぱり信じられなくて、その夜茉莉は何だかよくわからない気分で首を傾げつつ眠りについた。
「肉持ってきたぞー! 牛肉の塊だ!」と言ってティットがまた飛んでくるのは、それから数日後のこと。
イケメンモンスターとのご飯は、悲しき社畜の茉莉にとって、ちょっとした癒やしになるのだった。
真夜中、イケメンモンスターとごはんを。 猫屋ちゃき @neko_chaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます