綾月百花

 俺、稲田柊には、不思議な力があった。

 それは、すごく幼い頃から備わっていて、特別な力だと知ったのは、まだ最近だ。


 どんな力かというと、声が聞こえるのだ。

 普通に聞こえる人の声とは違った女性の声だ。耳ではなく、頭に直接聞こえる。


 あまりに幼い頃から、その声が聞こえていたので、それを意識したのは最近だ。


 授業中に『ここ、テストにでるよ』と彼女は教えてくれる。


『あの子、可哀想に、お弁当忘れてきたわ』


 その後に、指摘した生徒は、本当に弁当を忘れて、ついでに、小遣いも忘れて、お昼を抜いていた。


 俺は、自分の中に自分の以外の人格がいるのかもしれないと思った事もある。

 精神疾患かもしれない。

 でも、違うようだ。



『その電車に乗っては駄目よ。事故に遭うわ』



 目の前で開いた扉の中に、俺は踏み込めなかった。


「退けよ」


 俺の後ろに並んでいた俺のクラスの男子生徒が、電車に乗らない俺を押しのけて、電車に乗っていった。


 同じ制服を着た学生もたくさん乗っていった。


 電車の扉は、俺の前で閉まった。


 そうして、電車は出発した。


 俺は待合の椅子に座った。


 次の電車まで、それほど待たなくても、すぐに来る。


 10分くらい待つだけだ。


 けれど、椅子に座った俺は、ホームに響いた「電車脱線事故の為、運休となります」という放送を聞いて、無意識に頭に触れた。


 今は声はしない。


 電車に乗っていたら、自分は電車の事故に巻き込まれていた。 


 料金の払い戻しをしますという放送を聞いて、俺は改札に向かった。



 その事故が遭ってから、俺は自分だけに聞こえる声を殊更、意識するようになった。

 俺を押しのけて電車に乗っていたクラスメイトは、死んだ。

 学校の大多数が、その電車を利用したので、学校でも慰霊祭が行われた。

 電車通学していた俺は、事故の影響で電車が止まってしまったので、代替えのバスで通学することになった。


 高校を卒業して、大学に通っている間にも、声は聞こえていた。

 静かで、的確で、俺は声の示すように生きていった。

 大学で彼女ができたのも、声のお陰だ。



『彼女、あなたに気があるわ。声をかけてみたら?』



 俺はかなりシャイだ。

 声がしたから、声をかけることも簡単にはできない。

 大学のカフェで、その彼女が俺の前に並んでいた。

 もう声はしなかった。

 でも、気になる。


 彼女はかなり可愛かった。

 背中まである髪は、少し色素が薄いのか真っ黒はなかった。肌もやはり色素が薄いのか白い。目元は綺麗な二重で、サクランボのような可愛い唇をしていた。

 美人かどうかと言ったら、俺には過ぎたくらいんに美人だ。

 本当に彼女が俺に興味を持ってくれるのなら、ずっと大切にしたいと思える。

 性格は分からないが、おとなしそうに見える。


 目で追っていると、目の前で彼女が飲み物をこぼした。

 店員から受け取るときに、手が滑ったようだ。飲み物が、彼女の着ている白いワンピースを汚した。

 店員が慌てて、謝罪しながら彼女の洋服をタオルで拭っているが、白いワンピースは汚れて、下着が透けてしまっていた。

 咄嗟に、俺は上着を脱いで、彼女に差し出した。



「使って」


「でも、汚れてしまう」


「高い物じゃないから、気にしないで」


「お借りします。ありがとうございます」



 彼女は俺の上着を着たら、短めのワンピースみたいになった。

 彼シャツみたいで、なんだか可愛い。

 彼女が頼んでいたのは、アイスコーヒーだったようだ。


 俺は二つアイスコーヒーをオーダーして、まだ片付けをしている彼女に一つを渡すと、店を出ていた。

 俺は不器用だけど、俺には俺を導いてくれる声がある。

 縁があるなら、きっと導いてもらえるだろう。

 それから一週間後くらいに、俺は講義室の中で声をかけられた。


「稲田君、この間は、ありがとう。下着が透けてしまっていたから、すごく助かったの。クリーニングに出したから、お返しするのが遅くなって、ごめんなさい」


 彼女は篠田葵と名乗った。

 大学を卒業してからも、お付き合いしている。

 勤め先は違うけれど、同棲を始めた。

 今では柊と葵とファーストネームで呼び合っている。

 声は今でも聞こえる。

 俺を導く声は、誰の声だろうと考えた事はあるけれど、結局、思い当たらない。



「葵、今日は1本早い電車に乗った方がいいよ」


「うん、分かった」



 そう、声が聞こえたのだ。

 いつもの電車で事故が起こると……。



「行ってきます」


「行ってらっしゃい」



 葵はスーツを着て、駆けていった。

 俺も出掛ける準備をして、戸締まりをして出掛けた。




『葵が死ぬ』



 俺はハッとした。

 時計を見る。

 電車に乗る時間だ。

 俺はスマホで連絡した。

 けれど、葵は出ない。

 俺は駅に走った。




 その頃、葵は、老婆の荷物を持ってあげて、手を引いていた。

 早く出たから時間に余裕があった。

 柊に早く電車に乗るように言われたが、駅の近くで、歩けなくなっていた老婆を放っておけなかった。



「次の電車に乗れるわ」


「すまないね」


「いいのよ。今日は早く出てきたのよ。会社には遅れないわ」



 駅の構内に入って、老婆の代わりに切符を買ってあげて、手を引いて歩いて行く。

 乗るはずだった電車は出てしまった。

 老婆の手を引き、ゆっくり階段を上っていく。

 鞄の中で電話が鳴っていたが、老婆の荷物が嵩張って、出ることができない。

 ゆっくり、ゆっくり階段を上っていく。

 苦しげな老婆を励ましながら、やっと階段を上りきった。



「列に並びましょう」


「ありがとうね」


「いいえ」



 葵は電車に乗るための列に並んだ。

 電車が走ってきた。

 扉が開いて、乗っていた人が降りて、次に電車に乗る列が進む。

 葵は老婆の手を引き、一緒に前に進む。

 その時、「葵、乗るな!」と柊の声がした。



「柊」


「退け」


 後ろにいた人が抜かしていく。


「乗らないと遅刻しちゃう」


「その電車は乗っちゃ駄目だ」



 柊の手が、葵の手を握った。



「おばあちゃん、ごめんね。次の電車にしましょう」


「いいよ」



 老婆は椅子を見つけて、そこに移動して座った。



「柊、どうしたの?柊も遅刻しちゃう」



 俺は葵を抱きしめた。

 救えた。



「電車は事故で止まる。ここを出よう」


「何を言っているの?」


「いいから」


「おばあさんを途中まで送っていくのよ」



 ふと老婆が座った椅子を見ると、老婆の姿は消えていた。


 葵が持っていた老婆の荷物も消えている。




『死神よ』




「葵、行こう。ここも安全じゃない」



 俺は葵の手を引いた。



「今日は休もう」


「でも」


「休もう」


「分かった」



 駅で列車の事故の放送を聞いた葵は、蒼白な顔をしていた。

 葵を連れて、家に戻った。


 死神に葵は狙われているのか?

 守ったから安全なのか?


 一生懸命に聞くが、声は聞こえない。

 聞こえないから、安全なのか?


 今まで、警告を守れば、声はしなくなった。

 きっと安全なのだろう。


 俺は声に耳を傾けながら、これからも生きていくだろう。


 一度目は俺の命を守り、今度は、俺の彼女の命を守った。


 二年、同棲をして、結婚を申し込んだ時、葵から別れたいと申し出があった。

 どうやら、同じ会社の同僚を好きになったらしい。

 準備していた指輪は無駄になってしまった。

 リサイクル店に持って行って、指輪を売った。

 葵との生活に終止符を打った。


 それから、一週間後に葵の友人から連絡をもらった。

 葵が死んだと言う。

 死神は諦めてはいなかったのだろう。

 葵は俺という守り神を捨てて、死神の元に行ってしまった。



 声は今でも聞こえる。

 仕事のこと。些細なこと。新しい彼女とも会わせてくれた。



「俺、第六感があるんだ。声が聞こえて、危険な事が起きる時、教えてくれるんだ」


「すごいわ。私が危険な時も教えてね」


「そうだね」



 今度の恋人は恵という。料理教室で知り合った女性だ。


 俺は今度の彼女には、秘密を打ち明けた。


 彼女は実家から仕事に通っている。


 大学を出たばかりで、俺の会社の近くの会社に勤めている。


 仕事終わりに待ち合わせして、食事をしたりお酒を飲んだり、一緒にお料理教室に通ったりと、楽しく過ごしている。

 恵は俺との結婚を望んでいる。



『結婚したらどう?』



 声の示すまま、俺は恵に求婚した。

 恵は喜んでくれた。


 今回は指輪を用意しなかった。

 一緒に選びたかった。


 恵は葵よりも明るく、元気で、それに葵に負けないほど美しかった。

 俺は声が示すとおり、結婚した。


 今でも声が聞こえる。



『子供ができたな』



 声の言った通り、数週間後に恵から「赤ちゃんできたみたい」と聞かされた。



『大丈夫、今度は幸せになれるわ』



 声は、俺を励まし、支えてくれる。

 俺は俺だけに聞こえる声に感謝している。

 俺を導き、幸せの場所に連れて行ってくれる。

 声は俺の道しるべだ。

 きっと俺の命が尽きるまで、声は聞こえるだろう。聞こえていて欲しい。


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綾月百花 @ayatuki4482

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