罠家(みんか)

ましか たろう

第2話

 長いこと闇の中を漂っている感覚があったが、意識が徐々に覚醒した。耳がキーンとするような、変な感じがした。体の感覚が乏しい。薄目を開けると、天井の円い蛍光灯の光が目に飛び込んできた。俺は確か婆さんの家に空き巣に入ったのだ。今までにない成功への自信があったはずだ。古臭い蛍光灯の形から、俺はまだその家に居るらしいと分かったが、なぜかあおむけになって天井を見上げている。どうしてこんなことになったのだろうか。


 次に目に入ったのは、俺をのぞき込んでいる四人の老人の顔だった。俺は唸り声でもあげたのかもしれない。みな驚いたような顔でこちらを見ていた。一人は知った顔で、この家に住んでいる婆さんだった。残りの二人は爺さん、もう一人は性別を判じかねる容貌だった。全身がしびれるようで体が重く、俺は再び目を閉じてしまった。


 一体何があったのだろう。家の中を物色している途中に気を失ってしまったのか? まさか脳卒中? ちょっと考えにくいことだが、俺は自分が思っていた以上に緊張しており、血圧が上がったせいで大事な血管が破れたたのかもしれない。とにかく何らかの原因で気を失ったのだ。それからどうなったのだろう?婆さんが帰ってくる、家の中に不審者が倒れているのを見つける。ではここにいる他の老人たちは何だ?仲間を呼ぶくらいなら警察を呼んだ方がいいと思うのだが。それとも、ここにいる老人全員で倒れている俺を発見したのか。だとしたらもう通報されたはずだ。俺はもうじき逮捕される。顔を見られた時点でおしまいだ。


 刑務所には以前、住居侵入罪と窃盗罪で二年間ほど入った。しかしそれでも泥棒から足を洗うことができなかった。出所後二、三年は工場に勤めたのだが、一晩の仕事で大金を手に入れられることを覚えてしまうと、まじめに働くのが馬鹿馬鹿しくなった。それに、忍び込んだ家に必ず大金が置いてあるわけではないというギャンブル性も俺を虜にした。結局、娑婆に出て一年ちょっとで空き巣を再開した。泥棒稼業を続けていくなら、いつか見つかって通報されるということは十分に理解している。しかしなるべくならムショには戻りたくない。いや、絶対あんな場所に戻りたくない。刑務所で体験した様々な嫌な思い出がフラッシュバックする。


 「逃げよう」と思った。不意を突いて起き上がり、老人を殴り倒して逃げるのだ。どうせ捕まるのなら最後まで抵抗してやれ。


 ガシャン


 俺は勢いをつけて起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。起き上がろうとして初めて、体全体がサラシのようなものでぐるぐる巻きにされていることに気づいた。意識がはっきりしてくるにしたがって、周囲の状態がのみ込めてきた。俺の居る部屋も、俺の状態も異常だった。

 俺は金属の台の上に寝かされた上、ミイラのようにされて括り付けられていた。しかも口にもタオルのようなものを突っ込まれている。部屋の広さは六帖程度だったが、壁は黒くて表面に凹凸のあるクッション素材でおおわれており、圧迫感があった。床の様子はよく見えない。


「お、元気がいい」


 爺さんが口を開いた。


「ロクさんが来るのが遅かったで、もう起きちゃっただよ」

「うんにゃ、クスリが古くなってたじゃにゃあか。ちょっと早すぎるわ、こりゃあ」

「もう縛ってあるし大丈夫だで、早いとこやるずら」


 彼らは何を言っているのだろう。俺は一体こいつらに何をされるのだ? これは明らかに家の中に倒れていた泥棒を発見した老人の反応ではない。「クスリ」という言葉を聞いて、俺は自分の意識が無くなる直前、霧のようなものを吸い込んだことを思い出した。


 一人の爺さんが、もそもそと俺の腰のあたりのサラシを解き始めた。解放されるのか、と思ったのもつかの間、爺さんは鋏を取り出して俺のズボンを切り始めた。俺は体を激しく揺すって抵抗を試みたものの、膝から下と胴体はまだ頑丈に括り付けられているため、全く動くことができなかった。爺さんは、


「あんまり動くとかじっちゃう*よ」


 と間延びしたしゃべり方で言った。俺が女ならともかく、よぼよぼの爺さんが男の服を脱がせてどうするというのだ。


「お着換え、お着換え」


 俺の疑問に答えるようなタイミングで性別不詳の老人が言葉を発した。しかしそれは何の回答にもなっていない。サラシが解かれた部分のすべての布がはぎ取られると、老人たちは次に、俺に大人用おむつを履かせにかかった。俺が抵抗するので、三人がかりで必死だ。「俺にそんな特殊な趣味はないぞ、おむつが必要なのは俺よりお前らの方じゃないか」と言ってやりたかったが、猿轡のせいでくぐもった音が出るだけだ。


 残ったもう一人の婆さんが、壁にブルーシートを貼っている。視界の端に、蛍光灯の光を反射して光るものがあるのに気付いた。それがどうやら大きめの出刃包丁であると理解した瞬間、俺は自分がこれからどうなるのかを悟った。


 くぐもった声は悲鳴に変わった。

 これから俺は殺されるのだ。


 この老人たちは、おれを殺すために集められたのだ。この家はそれ自体が巨大な罠だ。俺はこの婆さんをエサにするためにこの家に侵入したつもりだった。だが実際は俺の方が罠に誘い込まれたエサだったのだ。


 ……これはひょっとして完全犯罪ってやつじゃないか。俺のようなやり口の空き巣は百パーセント通報されるから、警察の介入がある前提で行動する。物色した場所をきれいにするより、短時間で仕事を終えてその場を離れる事を優先するのもこれが理由だ。俺は自分が特定されるような痕跡を残さないために細心の注意を払う。指紋を遺さないように綿の手袋をはめるのはもちろんのこと、下足痕ゲソコンから辿られないように侵入時に履く靴は毎回量販店で新品を買い求め、一度使ったら捨てる。周囲の人の記憶に残らないように、なるべく目立たない、記憶に残らなそうな服装を選んで偵察に来る。

 俺は周囲から存在に気づかれないように行動した。この家と同じように住宅街の風景に溶け込むよう振舞った。いうなれば俺はここに存在しないはずの人間なのだ。存在を認知されていない人間が殺されても誰も気づかない。まったく、よく考えたものだ。


 しかしこいつらの目的は何なのだろう。俺は泥棒だが、この家からはまだ何も盗んでいないし、向こうは今日初めて俺と会ったのだから俺に恨みがあるわけではない。俺をあの出刃包丁で解体して、臓器売買でもするのだろうか。ヤクザならまだしも、こんな老人たちに臓器密売ができるとは思えない。


 「お着換え」が終了すると、誰かが俺の死角でジャッキのようなものを操作したらしく、俺の寝かされている台の足側が徐々に高くなっていった。目線が下がり、床が視界に入ってくる。床にはすでにブルーシートが敷き詰められており、その上に金属のトレイのようなものが置かれていた。この家の婆さんが俺の顔を逆さからのぞき込んで言った。


「あんた、わたしが何歳だと思う?」


 猿轡を咬まされているのだ。訊かれても答えられる訳がない。


「数えで丁度百一んなるだよ」


 それを聞いて俺は目を剥いた。老人の年齢というのは分かりにくいが、それでも百歳と思えなかったからだ。八十歳くらいに見えますよ、は誉め言葉なのだろうか……?そもそも、こんな老人に成人の男一人を殺そうとする精力があること自体驚異的だった。


「ここにいる一番若いので八十九だね」


 ここにいる老人たちの他にも共犯者がいるのだろうか。まあ、あと何人共犯がいたところで俺の運命は変わりそうにないが。


「どうしてわたしらがこぎゃぁ元気だか分かるかね? それはお前さんみたいな若いもんの力をもらってっからだ」

「若いもんの生き血は滋養ンなるからね」


 それを聞いた瞬間、怒りがこみ上げた。それが俺を殺す目的か。ちょっと信じがたいことではあるが、奴らは俺たちの払った年金でのうのうと生きているだけでなく、生き血まで吸い取ろうというのだ。手足が自由だったら間違いなく殴っていた。おれは怒りに任せて体をよじった。そこで猿轡が外れた。俺は絶叫した。


「ああああああぁ!ふっざけんじゃねぇよクソババァ!誰かぁっ!誰かこいつら捕まえてくれええぇぇぇ!」

「この部屋は防音はばっちりだぁね」


 きっとそんなことだろうと思ってはいたが、叫ばずにはいられなかった。ブルーシートからわずかにはみ出た壁の一部からして、おそらく部屋の防音は手作りだ。防音材を部屋の内側から貼り付けただけである。もしかしたらわずかにでも音が漏れるかもしれない。そしたら外にいる誰かが通報してくれるかもしれない。いや、単純に俺はこの鬼畜老人どもを罵らずにはいられなかった。今まで音をたてないように、通報されないように忍び込むにはどうすれば良いかという事ばかり考えてきた俺が、死ぬ時に大きな声で叫んで、警察が来るのを望むなんて、皮肉なことだった。

しかしこれは、無駄な抵抗だったようだ。


「スズさん、ちょっとうるしゃぁで、寝かいてやって」


 老婆が焦る様子もなく言った。


「ハイヨ」


 そう答えた婆さんが注射器のようなものを首筋に刺すと、俺の意識はそこで消えた。



| 注*かじる ― 静岡の方言でひっかくの意 |

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