# 13. 一触即発
「――事務所もだって?」
「ええ、やられたわ。どれもこれも滅茶苦茶、デスクの抽斗もぜんぶ抜いて引っ繰り返されてた」
ロニーはすぐに警察に通報し、昨夜話したロシツキーに伝えてくれと頼んだ。パトカーは十分程で到着し、昨夜と同じに現場検証が始まるなかロシツキーと、今度はスーツ姿の刑事も一緒にやってきた。
ルカの部屋と違うのは、衣服の類がないことだった。そのおかげで、あるものすべて片っ端から荒らされているとはいえ、昨夜見たルカたちの部屋よりはまだいいほうで、なくなっているものがないかなどは出勤してきたエリーやマレク、パティと一緒になんとか手分けして確認することができた。
「なにも盗られなかったのか?」
「現金は置いてなかったし、貴重品なんて元からないしね。ジー・デヴィールのファンにとって値打ちのあるものならいっぱいあったと思うけど、そういうものは壊されたりしただけで、なにも盗られてないみたいなのよね。いちばん痛いのはPCかしら。エリーがしっかりバックアップをとってくれてたから、まだよかったけど……」
この日、公演を行うサズカ・アリーナのバックステージ、控室の並ぶ通路で、ロニーはリハーサルを始めるために集まったバンドとクルーたちに話をしていた。
まず昨夜、ルカとテディの自宅が何者かに侵入され、酷く荒らされたのだと話すと、ヴィトとルカを除き一同は驚いて目を瞠った。が、ロニーが犯人は金品目的の窃盗犯でも偏執的なファンでもないらしいということを説明し、続けて今朝の状況を話すと、ルカも含め皆は一様に不安そうな表情に変わった。
「え、他にも同じような被害に遭ったところがいくつかあって、そのうちの二件が偶々、とかじゃないんですか?」
「空き巣狙いなら当然盗んでいったはずのものが残ってたんだ。それで続けて事務所もじゃあ、俺らが狙いだとしか思えないな」
「しかし……それじゃあ、犯人はなにが目的でそんなことを」
「ルカの部屋と事務所に
ドリューとジェシが困惑した表情で首を振る。
「確かにわけがわからんが、それじゃ他のところも狙われるかもしれねえよな? 俺らのことをただ気に入らねえって輩かもしれんし」
「ええ、それも考えてみんなのフラットには警官が張ってくれてるわ。一応、テディの前に住んでたところもね」
ユーリとテディに向かって云ったあと、ロニーは「そういえば」と付け足した。
「テディ、昨夜はどうして電話にでてくれなかったの? メッセージも入れておいたのに」
するとテディは一瞬ユーリと顔を見合わせ、意味深な笑みを浮かべた。
「……電話にでられなかった理由、聞きたいの?」
ぴんときて、思わず目を逸らして天井を仰ぐ。まったく、と思いながらちらりとルカのほうを盗み見ると、彼はしらじらと無表情を装ったような、なんともいえない顔をしていた。藪をつついてしまったと察し、蛇がでてくる前にとロニーは話を変えようとしたが――
「そういやおまえら、昨日の朝はいったいなにしに事務所へ行ったんだ?」
ルカが尋ね、テディははっと顔をあげた。
「昨日って? 事務所になんか行ってないけど」
「昨日は行ってないな。なにか勘違いしてんじゃないか?」
「ああそうだ、事務所には行ってないんだよな。でも建物には入ったろ? 事務所の傍まで来てたのに、顔をださずにすぐ帰ったのはなんでだ? いったいどこになんの用があったんだ?」
素っ惚けるふたりにルカは畳み掛けるように訊いたが、テディはますます頑なに否定した。
「行ってないって云ってるだろ。それに、そんなことどうでもいいじゃない」
「いや、どうでもよくないな。おまえが嘘をついてるって俺は知ってるからな。見てるんだよ、ロニーのデスクの後ろの窓から、おまえらが帰ってくところを。わざわざ離れたところにバイク駐めて、ふたりでいったいなにをこそこそと――」
そこまで云って、ルカは言葉を切ると眉根を寄せ、探るような目でテディを見た。「まさか、事務所と俺らの部屋、おまえらが荒らしたんじゃないだろうな?」
テディとユーリの表情が変わる。ロニーはいったいなにを云いだすのと、慌ててルカを嗜めた。
「なにを云うのルカ、そんなことあるわけないじゃない!」
しかし既にユーリが気色ばみ、一歩前にでていた。
「いまの、本気で云ったのか、ええ? もう一回云ってみろ」
「
ユーリがルカに掴みかかり、ドリューが背後にまわって止めようとする。ジェシはあわわ、と狼狽えて一歩下がり、テディは止めようとせずルカを睨みつけていた。
ロニーは息を呑みながら、ルカの襟首を掴みあげているユーリの腕に飛びついた。
「なにやってるのやめなさい!! ルカ、あなた云い過ぎよ! ユーリが怒るのも無理ないわ、撤回して! ユーリも離しなさい! ヴォーカリストの喉よ!!」
ロニーが必死に云うと、ユーリは忌々しげにルカを突き飛ばすようにして手を離した。なんとか暴力沙汰にまでは至らず、とりあえずロニーがほっとしたのも束の間――
「そんなこと云ってさ、実はなんかやばい奴の奥さんにでも手ぇだしたんじゃないの。それが旦那にばれて報復されてるとかさ」
テディが突拍子もないことを云いだし、ロニーは目を丸くした。ルカもかなり驚いたようで、ぽかんと呆気にとられた顔でテディを見ている。
「はあ? なに云ってんだテディ、そんなこと俺がするわけないだろ?」
「どうだか。誰にでも愛想ばらまいてるルカのことだから、ちょっと遊んで勘違いさせた女がいても驚きはしないけどね」
――ルカがまさか、人妻と浮気をするなんて想像もできない。ロニーはそう思っていたが、テディがそんなふうに云うとなんだか有り得るような気がしてしまう。
しかし、とにかく今はこれ以上言い合いをさせず、頭を切り替えさせることだ。
「と――とにかく、誰がなんの目的でかわからないけど、なにか悪意があってのことかもしれないからしばらくは身の周りに注意してね! ボディガードも頼もうか、どうしようかって迷ってるんだけど……」
意外なことに、真っ先に返事をしてくれたのはテディだった。
「まあ実害もあるわけだし、なんだか気味も悪いけど……でも、話を聞いてると誰もいないときを狙う犯人みたいだから、ガードまでは要らないんじゃない?」
「だな。ツアー中は大抵大人数で動くんだし、俺らになんかあったりはしないだろ」
「普段はクルーの人たちと一緒だし、会場には警備の人もいますしね。こんなことがあったって耳に入れとくだけで大丈夫じゃないですか?」
そんなふうに軽く云うテディ、ドリュー、ジェシの三人に、あの惨状を見ていないからだとロニーはルカと視線を交わしたが――あと六時間後にはライヴ本番なのに、あまり神経質にならせてもいけないと思い直す。
「そう? じゃあ、とりあえずボディガードの件は保留にしておくわ。話は以上よ、しっかりリハーサルしてきて!」
そう云うと、ルカとユーリは互いにふんと外方を向き合いながらも、ステージのほうへ向かって歩きだした。ジェシとドリューもその後に続き、テディは小走りにユーリの隣に肩を並べる。
その様子を見て、ロニーは思った――テディは明らかに嘘をついていたけれど、ふたりは本当はなにをしに
どうしようもなく気になった。ユーリは性格的には頼りになる兄貴分タイプだが、どうも危なっかしいテディと一緒だとろくなことをしていないような気がする。――否、初めは逆だったか? しかし、今はそんなことより、またどこかに侵入されないかのほうを気にかけるべきか。
ロニーはふぅ、と息をつくと、リハーサルの様子をアリーナ席から観るため、通路の反対側へと歩いていった。
『みんなありがとう! 最高にエキサイティングな夜だった。また会おう、バイバイ!』
――プラハ公演を無事に終えたあと。いつものように速やかに車に乗りこみ、一同は予約してあるホスポダへと向かうため、会場を後にする――はずだった。
バンドの付き人たちが、既にまとめてあったメンバーの荷物を先に車に積んでおこうと、控室に入ったときだった。微かにステージのほうからオーディエンスの歓声が聞こえるリノリウムの床の通路に、ヴィトの驚愕した声が響いた。
誰か、誰か来てくれ! と叫ぶその声に、ロニーは警備員と一緒に駆けつけた。そしてヴィトが指をさす控室を見て、信じられないと目を瞠る。
「……いったい、なにが起こってるの?」
控室の中は、床一面にルカの私物や衣服が散らばっていた。
壁にずらりと並ぶ、メイク用のライトと大きな鏡。その鏡のひとつに、マーカーで乱暴に書き殴られた文字があった。
『
ロニーはその何度も重ね書きしたらしい黒い文字に、ぶるりと身を震わせた。明らかに脅し文句である。
「ヴィト、他の部屋は!?」
「いま、荷物を運んだばかりですけど……ユーリの部屋はなんともないです」
ドミニクが答えた。それに倣うようにブルーノとグレン、カイルもあらためてドアを開けたりしてこっちへ来る。
「テディの部屋も異常ないです」
「ジェシの部屋も無事です」
「ドリューさんの部屋も荒らされたりはしてません」
控室は、多くのアーティストが共演するイベントなどではバンドごとに一室、ソロであれば相部屋になることもあるが、単独でのコンサートでは大抵ひとり一室を使う。この日もそうで、控室のドアにはそれぞれ、メンバーの名前を記した紙が貼ってあった。
他の部屋が荒らされていないということは――フラットや事務所を荒らしたのは、ルカを標的にしてのことなのだろうか。しかし、いったいなにが目的なのだろう。
そして、あの鏡に残されたメッセージは――
「――ああ、ここもやられちまったか。しかしこのメッセージは……どうも捜し物がみつからないんで、犯人も切羽詰まってきてるのかもしれないな」
その声にはっと振り向く。いつの間にどこからやってきたのか、昨夜のパパラッチがまたカメラを構え、そこに立っていた。
「あなた、どこから入ったの!? ここは関係者以外立入禁止よ、すぐに出ていって!」
「まあまあ。なあ、云ったろ? ちょっと身の周りに警戒したほうがいいって――」
「まあまあじゃないわ! あっ、もしかしてあなたが犯人じゃないの!? 出ていってっていうのは撤回するわ、いま警察に連絡するからそこで待ってなさい!」
ロニーがスマートフォンを取りだしながら云うと、居合わせていた警備員三人が男の周りを固め、拘束した。
「いやいや、俺じゃないさ。もしも俺なら声なんかかけずに、とっくに帰ってるだろう? 俺はこの奇妙な侵入犯に興味があるだけだ。金のためにパパラッチなんか始める前は事件記者をやってたもんでね。……ああ君、ここのポケットに名刺があるから出して、彼女に渡してくれないか。……そう、そこ」
云われたとおり、警備員のひとりが男のポケットから名刺の束を取りだし、一枚抜いてロニーに寄越した。
「『フリーランスフォトグラファー』? わざわざ名刺をいただいたのになんだけど、なんの意味もないわね」
「名前が書いてあるだろ? イヴァンだ、よろしく」
「よろしく、さよなら。次に会うのは裁判所かしら」
そんなふうに男――イヴァンとロニーが話しているうちに、ステージを捌けたバンドがこちらに向かって歩いてきた。どうしていいかわからずに立ち尽くしていたヴィトが、慌てて控室を覗くが――当然、タオルの類も床の上で踏み躙られている。
「いいわヴィト。……みんな、おつかれさま。でも、帰るのはちょっと待って。またやられたわ」
皆が驚いて立ち止まる。「俺の楽屋?」とルカが開いたままのドアから覗き、まじかよと汗で濡れた髪を掻きあげた。
「おい、あの文字――」
ユーリが云い、気がついていなかったルカが再び中を見る。ジェシが「なんですかあれ……」と顔を強張らせ、ドリューとテディも文字を見て顔色を変えた。
警察への連絡を済ませ、ロニーは皆に云った。
「みんな、警察に話を聞かせてほしいって云われたから、悪いけど帰らないで待っててもらえる? なるべく早く済ませてもらうから」
「
「おまえに云われたくないな。俺はなんにもしてないぞ、こんなふうに脅される心当たりなんか、まったくない。……もちろん、人妻に手をだしたりもしてない」
今はそんなことより、着替えてなにか飲みたいとルカが云うと、ヴィトが困った顔でそれを見た。
「そうか、着替え……」
床に散らばっているシャツを見て、まいったなとルカが頭を掻く。すると。
「しょうがねえな。俺のを着とけ」
「たすかる」
ユーリとルカのやりとりにほっとする。ライヴ前のいざこざはもう霧散したようだ。おとなになった――というよりも、ルカもユーリも瞬間的に感情を爆発させはするが、熱りが冷めてしまえばけろっと忘れるタイプなのだ。もちろんライヴを終えたばかりだというのも大きいだろう。だが。
「……ほっとけばいいのに」
テディがぼそりと呟いた。――まさかテディは、ルカが人妻と浮気をした所為でこんなことになっていると、本気で思っているのだろうか? それとも荒らしたのが自分たちじゃないかと云われたことを、まだ怒っているのだろうか。
ロニーは、生真面目なルカがそんなことをするわけがないことも、本気で思ってもないことを口にすることがあるのも、誰よりもテディがいちばん知っているはずなのにと、首を捻った。
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