第五章 記憶、仇、禁忌を紡ごう(1)
夜、『小鳩』専用のボロい学生寮にて。
レンは木の天井を眺めていた。
学生寮は、『無限図書館』の外に建てられている。『無限図書館』は単なる魔術学園ではなく、あらゆる魔術師、魔力の行使を管理する場でもあった。それの建つ街は、驚異的なことに学園の所有だ。小国ともいえるほどの面積を、学園は有している。
結果、ひとクラスにつき、一区画が与えられていた。だが、『小鳩』クラス所有の区画面積は当然狭く、寮の立地も悪い。周囲には誘致された店舗などもなく、不便このうえなかった。建物も老朽化が進んでおり、部屋によっては雨漏りもする。
カビ臭い布団の中、レンは瞬きをくりかえした。
頭の中では、ずっとひとつの言葉が渦を巻いている。
『代わりに、私が君の仇をぶっ殺してあげるとも!』
(俺はそんなことを望んでいるのか? いや、人の死を望むことは、俺にはできない。俺という存在に、そんな強い思いを抱く資格なんてない……だが、)
あの災厄を起こした者が、なんの咎も負わずに生きている。そう聞いた時、レンの頭よりも早く体が反応した。今でも、彼の指には床を何度も殴りつけた傷跡が残っている。
許してたまるものかと、レンは叫ぶように思った。
絶対に、許してはならなかった。
あの災厄を起こした者を、生かしてはおけない。
自然と浮かんだ考えに、レンはハッと息を呑む。
その時だ。
「レン氏ー。うるさいですぞー」
「ディレイか……声に出してはいないんだが」
二段ベッドの上から、声が降ってきた。ディレイの不機嫌な訴えに、レンはそう返す。
すると、当然のように、ディレイは応えた。
「声に出さなくとも聞こえてくるものですなー。何やらぐるぐるとお悩みの様子。しかも渦巻いておるのは黒い思念でありますな。いやはや、物騒、物騒」
「……お前、変なところで鋭いよな」
「ひっひっひっ、お褒めに与かり誠に光栄」
「褒めてねぇよ」
声を殺して、二人は会話を交わす。別のベッドで、誰かが盛大に寝返りを打つ音がした。イビキも絶え間なく聞こえてくる。その中で、ディレイは囁いた。
「忠告しておきましょうかね。夜に暗い思想は巡らせないことです。睡眠の足りない頭で物騒なことを捏ねくり回したところで、まともな答えなど出ますまい。今日は寝ておしまいにするがよかろうですぞ。明日には、レン氏らしい答えも出てきましょう」
真剣に、ディレイは語る。彼の声には、心底からの労りが覗いていた。『レン氏らしい答え』。その言葉に対し、レンは唇を噛む。そんなものが、果たして存在するのだろうか。
だが、彼の苦悩に気づいたのか、ディレイは歌うように続けた。
「レン氏は本来まっすぐな人物です。それをお忘れなきように」
「……ディレイ」
「なんです?」
暗闇の中でも、彼が首を傾げる様が見えるようだ。軽く唇を緩めて、レンは告げた。
「ありがとうな」
「まあ、こう見えて、私は友人想いですからなぁ」
くいっひっひっと、ディレイは不気味に笑う。
ああと、レンは思った。ベネやディレイと日常をすごしていると、時折、彼らを騙している気分になる。空っぽの人形が、人に紛れて一体何をしているのかと。だが、きっと、ディレイならば、レンの本質を知っても笑ってくれるだろう。そう、思えた。その時だ。
うるせぇよ! との叫びと共に、枕が飛んできた。ディレイは面白いほどに見事な直撃を受ける。どうやら、頭を起こしていたせいらしい。そのまま、彼はベッドから落下した。
瞬間、レンは見た。
ディレイが隣の男子生徒の足首を掴むのを。
巻き添えを喰らって、もう一人が落下する。
パッと明かりがつけられた。
なんだどーした、てめぇ許さねぇぞ、この野郎、上等だかかってこいや! そんな声が入り乱れる。部屋中は、枕が飛びまくる騒ぎと化した。流石に本棚を開示する者はいない。
だが、拳もあり、ルール無用の乱戦の始まりである。
目の前で繰り広げられる騒動を見ながら、レンは考えた。それから、彼はうんと頷く。
こういうのも、悪くない。
「よしきた、来い」
ベッドから、レンは飛び降りた。ディレイに加勢し、彼は暴れまくる。
どっしんばったんと家が軋んだ。埃が舞い、枕が舞い、人が舞う。
しばらくすれば、寮母の雷が落ちるだろう。
文字通り、魔術で全員が感電させられる道が待ち構えていた。
それでも、『小鳩』のこんな日常は楽しいのだった。
***
「で、昨日、男子は寮母さんに怒られたって? バッカでー」
「うるさいな。男には戦わなくちゃいけない時があるんだよ」
「そう言って月三で感電させられてるから、戦いの価値が低いんだよね、価値が」
馬鹿にしつつも、ベネは楽しそうに笑う。
目の周りに青痣を作りながら、ディレイも満更ではなさそうだった。傷は治療属性の魔術を使える者に頼めば、すぐに消える程度のものだ。だが、ディレイいわく、喧嘩の傷は残しておくのが男の勲章らしい。そこは、レンにはよくわからないこだわりだった。
その時だ。教室の入り口に銀髪の輝きが姿を見せた。アンネだ。起きるのが遅かったらしい。猫のように、彼女は欠伸をした。眠そうに目をこする姿に、ベネが声をかける。
「アンアンおはよー」
「ああ、おはよう、ベネベネ」
「待った」
思わず、レンは制止をかけた。明らかにおかしな単語が聞こえた。急展開についていけない。だが、その間にも、女子二人はいぇーいと掌をぶつけ合っている。
何事かと頭痛を覚えながら、レンは尋ねた。
「お、お前ら。昨夜のうちに何があったんだ」
「いや、レンを賭けてカードで戦ったんだけどね? そのイカサマ技術と何回負けても再挑戦を許してくれる度量に惚れ込んださね。レンの隣は流石に譲れないけどさ。仲良くしてもいっかなーって」
「いやいや、ベネベネの負けても負けても食いついてくる姿勢はなかなかだったよ。その精神は私も見習わなければならないね」
「えへへー」
アンネの台詞に、ベネは嬉しそうに笑う。そもそも、何故、人を勝手に賭けているのかとレンは聞きたかった。だが、仲が良くなったのならばよかったかと、彼は一応納得する。
その隣で、ディレイも深々と頷いていた。
「戦い、親睦を深め合う美少女達……よきものですなー。野郎同士とは華が違いますぞ、華が。心なしかいい匂いもします」
「単刀直入に死んで」
「ベネ氏のお望みとあれば」
「えっ、お前、死ぬの?」
レン達がそんな馬鹿げた騒ぎを続けている時だ。
ごほんっ……と切なげな咳払いの音がした。
しばらく恒例のごほっごほっ、げっほんおっほんが続く。
皆が静かになると、アマギスは教壇に本を置いた。改めて、彼は口を開く。
「……昨日の暴走事件では、先生は大した活躍ができなかったですよね?」
「いきなり暗い」
「そんなことないとも。現に鳥の王を倒してくれたのは先生の魚の王だったじゃないか!」
元気よく、アンネが励ました。よくもまあ、流れるように嘘をつくものだ。そう、レンは呆れる。だが、アンネの言葉で、アマギスは少し気を取り直したらしい。
ぽつぽつと、彼は報告を続けた。
「えー、暴走した上級生は未だ精神錯乱中で、話が全く聞けません。元々、この学園では物語による事故も、居合わせた者達による対処も日常茶飯事ですからね……先生、そういうとこどうかと思うんですけどね。今回も特に協力してくれた、リシェル君に加点が入って終了ですよ……先生には何もありませんね……頑張ったのに」
「そりゃ……先生ですからね」
呆れながらも、レンは言う。しばらく口髭を弄りながら、アマギスはいじけた。だが、なんとか踏ん切りをつけたらしい。全員の顔を見回しながら、彼はしみじみと言った。
「皆さん、無事に鳥の王から逃げられて何よりでした」
正確には、レンとアンネは逃げられていない。二人は取り残されたのだ。だが、ベネ達と別れた後、二人は別ルートで無事講堂から脱出を果たしたということにしてあった。
その後、魚の王が鳥の王を倒した。
応援が来た時、すでに現場には誰もいなかった。
──そういうことに、なっている。
本当は、アンネが鳥の王を倒した後、二人はバレないようにこっそりと皆と合流したのだ。その事実を反芻しながら、レンは思う。
アンネがいなければ、被害は更に拡大したことだろう。だが、それを誰かに言う気は、彼には当然なかった。もしもそうすれば、彼女は困るだろうとわかりきっているからだ。
(結局、あの力はなんだったのだろう)
ペンを回しながら、レンは考える。アンネは『禁書』と言っていた。レンの感覚も、アレは『世界を呪う』書物だったと告げている。ならば、間違いはないのだろう。
アンネは禁書を使えるのだ。
煽情的で挑発的なドレス姿。
鍵を胸に挿し込む姿。
禁書を詠唱する姿。
様々なアンネの姿が、瞼の裏に蘇る。
詳しく聞くべきことは山のようにあった。
混乱しながら、レンは軽く唇を噛む。
「えー、ではですね。本日は初級の水、風、炎、土、のいわゆる四大属性といわれる物語について、お話をしていきますね」
アマギスは授業に入った。
その声を遠くに聞きながら、レンはアンネの横顔を睨んだ。
彼女は彼の視線に気がつく。ぱちりと、アンネはお茶目に片目をつむった。
そういう反応をするなと、レンは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます