不吉な予感

桝克人

不吉な予感

窓を揺らす風、打ち付ける大粒の雨、その度に足元がぐらつくような感覚に陥ったと父は語る。田舎の産院は建物自体も古く、待合の廊下に吊り下げられた電気は左右に少しだけ揺れていたそうだ。

 分娩室に入ってから一時間経っても生まれてこないと、病院で待っていた父と祖父母はやきもきしていた。父に限っては携帯を取り出しては時刻を確認しポケットにしまう。そして二分も待たずにまた携帯を取り出してまた時刻を確認する。そんな無意味な行動を何度も繰り返していた。


「なんか嫌な嵐だねぇ…」


 薄暗い廊下、どこからか入ってくる生暖かい風、廊下に備え付けられたコチコチと鳴く古時計、長引くお産、誰よりも不安なのは愛する妻で違いないとは思っても、実母の言葉に、父の不安は膨張し今にも吐き出しそうだった。


 どーーーーーーん!!!


地響きは耳をつんざき、頭から足へと身体の中心を轟音が落ちた。いや、落ちたのは轟音でなく稲妻である。


「生まれました。可愛い女の子です」


 父は訳がわからなかった。想像していたお産は分娩室からほにゃほにゃと生まれたことを喜ぶ泣き声が聞こえ、涙ながらに感謝の言葉を伝える―——現実は自分の耳に入ったのは雷神の怒りだった。驚きから涙は零れるどころか大きく見開かれた眼は乾いていた。


「新生児室で準備が出来たらまたお呼びします」


 「わかりました」と言いかけたところで時刻の確認だけに一時間以上使っていた携帯がバイブレーションを奏でる。


「はい、もしもし。ああお隣の…え、今なんと言いましたか?」


 宝くじに当たる確率より、オスの三毛猫が生まれる確率より、もしかしたら隕石が頭にあたる確率よりも低いのではないだろうか。耳を疑う現実から逃れるように頭の中は信ぴょう性などない思考がぐるぐると渦を巻いていた。


『おたくの家、燃えています』


◆◆◆


 私は『まれ』と名付けられた。名前の由来は言わずもがな偶然が重なった奇跡だと言う。とはいえ、新しい生命が生まれた日、家は全焼するという不幸に見舞われた人には自慢し辛い。不幸中の幸いは、火災保険に入っていたこと、田舎の家で周囲に家がなく被害は我が家だけだったことだ。因みに新しく建てられた家は集落の中では一番モダンな日本家屋である。


 とにかく生まれてきた経緯は幼い頃から耳に胼胝ができる程何度も繰り返されてきた。面白おかしく話してくれるのは良かったが、ある日近所の人と話す祖母の言葉で私の人生は呪いの鎖に繋がれる。


『不吉だと思ったわ』


決して私を貶めたわけではない。会話の前後には嵐の日に雷が偶然家に落ちたなんて不吉だと思った、でもそんなことより孫が無事に生まれて嬉しかった。そう言ったのだ。しかし幼い私の耳には強烈に残り神経を苛むように自分は不吉な子だと思い込んでしまうことになる。

 もしかしたらその火事は私が生まれたせいかもしれない。何の根拠もなければ、当たり前ながらそんなわけもない。

 思い込みは自ら縛られていく。それからというものの自分で行動したことが何か悪いことを引き寄せないか考えるようになった。


 これから起きる悪い未来を想像し、そうならないように気を付ける。道路を渡る時は車が急に曲がってこないか確認し、試験前は悪い点数をとらないように勉強する。とにかく準備を怠らなければ悪い未来はやってこないと信じた。


 努力は必ず実るわけではない。どれだけ気を付けていても悪い予想は形を変えて現実化した。車に気を付けても別の角度から自転車が飛び出しぶつかって、時間をかけた試験勉強は、点数に繋がらない———これはただ勉強が苦手なせいでもあるが。

 それでも予想をしておくと心がまえが出来てショックはある程度緩和される…気がした。


 神経を尖らせているせいか、年月重ねるうちに、なんとなく悪い予感が冴えてくるようになる。どうしてそういうことが出来るのかわからないが、気にし続けた経験値というのだろうか。空気で『なんとなく』感じるのだ。

 予感しても悪いことを避けられるわけではないし、悪いことが起きると「やっぱり」と思う。落胆だけが残り決して幸せではない。どん底に落ちる程の衝撃を和らげるだけだ。


「いい予言ってないの?」


 慣れ過ぎたせいか、それが普通で当たり前だと思っていたので、友達の言葉はある意味衝撃的だった。


「稀の予言って驚かされることもあるけど、いい予言って聞かないよね。なんかしてみてよ」


 目からうろこだった。悪い予感が当たるなら、良い予感を思い浮かべればもしかりたら良いことも起きるのではないかと初めて気づいたのだ。湧き上がる気持ちの名前がわからない。まるで新鮮な湧き水が溢れるような心地よさだった。 


 とはいえ経験がない。そう言うと、やってみないとわからないとせっつかれ、試しに彼女が片思いしている男子と両想いになると言ってみると、彼女は喜び、即効で告白をしに行った。私は後悔した。もしその予言が当たらなかったら彼女は打ちひしがれるだろう。下手をすれば私のせいだと怒るかもしれない。私は必死に願った。


(どうか、どうか、成功して!)


 彼女は想い人と共に嬉しい報告をして私に抱きついた。私は心から安堵した。そして勇気が出て来た。


 もしかしたら本当に予言は当たるのかもしれない。

 その日から私は考えを改めた。悪い予感が全て当たらないように良い予感も当たるとは限らない。それでも沢山予言をすればひとつやふたつは当たるかもしれないと。


 手始めに大学受験の合格から予言してみよう。

 未来がどうなるかわからないが、私の第六感は当たる、そう予感した。

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不吉な予感 桝克人 @katsuto_masu

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