常寂光寺の恋

永嶋良一

1.常寂光寺

 阪急電鉄嵐山駅の改札を出ると、蝉しぐれが頭上からふってきた。夏の終わりの嵯峨野だ。お昼過ぎの太陽が地面に反射して陽炎が揺れていた。


 渡月橋を渡ると、天龍寺に向かう観光客を尻目に、僕は天龍寺を通り越して常寂光寺じょうじゃっこうじに向かった。晩秋の紅葉で有名なお寺だ。紅葉には早いためか、境内に観光客はまばらだった。


 僕は汗を拭きながら境内を歩いた。そして、本堂の手前の鐘楼のところで若い女性と会ったのだ。


 女性は楓の紅葉を連想させる真っ赤なワンピースを着て、鐘楼を見上げていた。おしゃれな麦わら帽子をかぶっている。晩夏の太陽が麦わら帽子に跳ね返されて、女性の顔に深い影を作っていた。


 「暑いですね」


 僕は声を掛けた。僕はよっぽど人恋しかったのだろう。人見知りな僕が知らない人に声を掛けることはめったにない。まして、相手は一人旅らしい若い女性だ。僕は声を掛けてから後悔した。こんな人気ひとけのないところで声を掛けるなんて、警戒されて当たり前だ。


 女性がこちらを向いた。そして、片手で麦わら帽子のひさしを持ち上げた。目鼻立ちの整った美しい顔が、太陽の白い光の中に浮かび上がった。白い光の中で驚いた表情が僕を見つめていた。


 僕は何だか恥ずかしくなった。そして、照れ隠しにまた声を出した。


 「嵯峨野は初めてですか?」


 「ええ・・傷心旅行なんです」


 女性はそう答えると、恥ずかしそうに首を少し傾けた。その仕草が可愛くて・・僕の心臓がどくんと鳴った。僕はドギマギしながら言葉を返した。


 「そうですか・・実は僕も一人で傷心旅行です。あの、東京から来ました」


 僕たちはすぐに意気投合した。女性は瑠香るかと名乗った。僕は瑠香と二人で嵯峨野を歩いた。その夜、僕たちは化野あだしの念仏寺ねんぶつでらに行った。

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