2.一つの勝利

 軋む鉄が瓦礫を潰し、土を抉る。


 閉鎖された車内ではあらゆる音が鮮明に聞こえた。エンジン音、キャタピラの駆動音、押し殺した息遣い、夏の風……。不思議なことに、今はそのどれもが静かだった。


 車長の矢野はモニターにて地図を確認した。第88即応歩兵連隊配下の部隊との合流地点はもうすぐである。


 合流地点前に現れた、陸軍四型迷彩服を着た兵士が信号旗を振って停止位置を示す。腕には青いマーカーが巻いてある。


 操縦士の鈴木が戦車を停めると、矢野はハッチを開け、外に出た。夏の夜明け、ほんの少しひんやりとする風は騒いでいた。


 ○○市郊外の山林には味方の諸部隊が続々と集まっていた。それらの盾となるように、矢野は配下の戦車小隊の四両を最前列へと展開させた。

「第13中央機甲大隊所属、第1小隊の矢野一等陸尉です。よろしくお願いします」

「第88即応歩兵連隊所属、第5小隊の宮内一等陸曹です。よろしくお願いします」

 矢野は今回の作戦で行動を共にする宮内に挨拶すると、作戦の最終調整を行った。

 動画配信用のヘッドカメラとボディカメラを装備した宮内は、若いが一目で歴戦とわかる男だった。本人は野戦昇進で大したことはしていないと謙遜していたが、その戦闘動画は矢野も見たことがあった。彼ら第88即応歩兵連隊は開戦初期から激戦地を転戦し続ける部隊だった。その隊員として半年間戦い続け、そして生き残り続けてきたその姿は、素直に尊敬に値した。


 宮内と話すまで、矢野は不安で仕方なかった。矢野にとってこの作戦は初めての直接戦闘だった──敵を撃てるのか、仲間の死に耐えられるのか、単純にこの作戦はうまくいくか……──しかし宮内と話しているうちに、雑念は消えた。

 彼に背中を預ければ大丈夫だ──今はそれだけで十分だった。


 矢野は自身の乗車する戦車に戻ると、腕時計を見た。そして待った。


 定刻──作戦行動開始の無線と同時に、砲声が響いた。

 夏の静寂を破り音が動き出す。砲兵による砲撃に合わせ、軋む鉄が動き出す。エンジンが唸りを上げ、キャタピラが大地を蹴る。矢野が率いる戦車小隊の四両は、○○市へ向けて進軍を開始した。


 機甲戦力による敵防衛線の正面突破──それがこの作戦の全てだった。


 現在、この戦争の戦況は一進一退、悪く言えば膠着に陥っていた。ゆえに、お互いが決定的な勝利を欲していた。

 両軍ともに決戦の地を探していた。しかしどんな情報媒体を調べても、この地での攻勢を予測する者はいなかった。

 矢野は大隊長の言葉を思い返した──この作戦は戦争の流れを変える。俺たちが、この戦争を勝利に導くための最初の一歩となる──操縦士の鈴木、砲手の木津、他の車両に乗る隊員たちがその言葉を口にすることはない。しかし思いはみんな同じだった。

 戦争が始まってからの半年間、第13中央機甲大隊はずっと待っていた。開戦初期には首都決戦に備えていたし、その後もずっと温存されてきた。日本全国各地で劣勢が続く中、いつまでも出撃命令が下らないのは、ある意味で屈辱ですらあった。


 矢野は潜望鏡を覗き、外を見た。道なき道を、迷わずに、真っすぐに進んだ。地雷は撤去済、敵戦線には砲兵が射撃を加えている。後方は空挺部隊が攪乱し、戦車の周囲は歩兵と歩兵戦闘車が守ってくれている──今はただ、前進あるのみ。


 中間地帯を突破すると、草木の中に敵戦車を発見した。どれだけ偽装されていようとも見逃すことはなかった。ブリーフィングで嫌になるほど見た、いかにも大陸仕様といった、小回りの利かなそうな車両である。

 矢野は目標に狙いを定め、射撃開始の命令を下した。砲撃と排莢の振動、爆発と同時に火が燃え上がった。最初の一発は寸分違わず敵戦車の砲塔を撃ち抜いた。

 小隊の残り三両の戦車からも戦果が報告される。戦車隊の初撃は全弾命中。滑り出しは大成功と言ってよかった。

 戦果を確認しつつ前進を続けた。敵陣地の至る所から火の手が上がる。後続の味方歩兵も展開し、激しい銃砲撃戦が始まる。

 矢野の戦車も敵から銃撃を受けたが構わず進んだ。今は敵機甲戦力にのみ集中した。前大戦から恐竜的進化を遂げた歩兵の対戦車用携行火器は脅威だったが、それは随伴する第88即応歩兵連隊に掃討してもらうしかない。


 前へ、ただひたすらに前へ──今はそれだけで十分だった。鉄条網を、土嚢を、敵兵を踏み潰し進んだ。砲撃で敵戦車を破壊し、機銃掃射で敵兵を細切れにした。一人二人の降伏の声は無視した。逃げる敵兵は容赦なくその背中を撃った。


 やがて赤い軍旗は燃え落ちた。しかし敵の陣地を突破しても、矢野の戦車小隊は進軍を止めなかった。今、誰一人として止まる者はいなかった。


 やがて○○市の街並みが見えた。そのときには戦闘はほとんど収束に向かっていた。


 ○○市の市街地に近づくとレジスタンスが待っていた。レジスタンスといっても鹵獲した銃器を持っていればいい方で、多くはシャベルや金づちなどの日用品を白兵戦用武器にした程度の者たちだった。

 各部隊が市街地の周囲に展開する。ドローンが飛び回り、斥候部隊がレジスタンスと共に市街地へと入っていく。

 矢野はいつでも突入できるよう心の準備を整え、待った。しばらくして、安全が確認できたとの無線が入った。この方面の敵軍はすでに壊走しており、街にはいないようだった。


 矢野の戦車小隊は市街地へと入った。街はそれなりに外観を保っていたが、ところどころ破壊の痕跡はあった。市民の姿はまばらで、いても不安そうな表情は隠せていなかった。


 第88即応歩兵連隊の隊員が市役所の屋上に日本国旗を掲げた。それに合わせて、市民の誰かが国旗を掲げた。それで街には少しずつ安堵の表情が広がっていった。


 矢野はハッチを開け、戦車の外に顔を出した。照りつける夏の陽射しは眩しかったが、風はどこか冷たく、気持ちよかった。


 矢野はまず、戦車小隊の全員が無事に戦い抜けたことに安堵した。そして自らが勝利を成し遂げだことを実感した。


 矢野は共にここまで戦ってくれた第88即応歩兵連隊の宮内に感謝を伝えるため、彼を探した。宮内は住宅街にいる一人の老人と話していた。老人は木製のボルトアクションライフルを持っていた。左手には指があったが、右手の指はなかった。二人は互いに敬礼すると、握手を交わした。

「そのカメラ、映像は撮れてるのか?」

「もちろんです」

 戦車のエンジン音の向こう側から、そんなやり取りが聞こえてきた。

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