War at the Warfield
寸陳ハウスのオカア・ハン
1.一つの敗北
空は燃えていた。
宮内は空を見ていた。灰のちらつく空には黒煙が立ち込めていた。時折、どこからともなくドローンが現れては、冬の空のどこかへと消えていった。
どれだけ空を見上げていたのか──どこからか、人の声が聞こえた。しかし今は、空も、音も、熱も、何もかもが遠くに感じられた。
「立て! 移動するぞ!」
誰かが宮内の頭上で叫んでいた。返事をしたつもりだが、声が出ているかはわからなかった。体は動かせたので、声のする方に向かい、宮内は首を縦に振った。
「怪我はない! ヘッドカメラもボディカメラも生きてる! 運が良かったな!」
手が目の前に差し出された。腕には青いマーカーが巻いてあった。宮内は老人の手を握り、立ち上がった。
老人は菊花紋章が刻まれた木製のボルトアクションライフルを担いでいた。それは前大戦どころか旧大戦で使用された旧帝国陸軍の小銃であり、現代ではほとんどアンティークの類いの物であった。
宮内は老人が誰かを思い出した。そんな物を現代で持っていて、しかも戦場で使用している人間を宮内は一人しか知らなかった。
日本語ではなく英語だろうか、すぐ横にいたもう一人の老人が何か叫ぶ。もう一人は白人で、米軍の5.56mm旧式アサルトライフルを持っている。
旧帝国陸軍の小銃を持つ老人は○○市領土防衛隊に参加する佐藤だった。もう一人のアメリカ人は旧帝国陸軍小銃の元の持ち主で、外国人義勇兵兼インストラクターとして従軍するスミスだった。
特徴のあり過ぎる二人組だった。二人とも正規軍人である宮内より装備は充実していた。銃はそれぞれに光学機器などのアタッチメントを搭載したカスタム品であり、ヘルメットやプレートキャリアのセットアップも特殊部隊と見紛うほどで、迷彩服も今では傭兵の代名詞となった米軍旧式迷彩であるマルチカムを着用していた。
二人とは、宮内の所属する陸軍第88即応歩兵連隊が○○市防衛の任務で訪れた際に出会った。二人とも前大戦時は軍人であり、極東戦線で共に活動していたという話を宮内は思い出した。
二人に促されるまま、宮内は陣地から退避した。スミスが先導し、担ぐ佐藤と担がれた宮内がそれに続いた。
振り返った背後、大きく穿たれた陣地は燃えていた。砲弾孔の周囲には木と鉄と肉が飛散し、燃えるガソリンは黒煙を上げていた。
敵の戦車砲だったのだろうか。たった一発の砲撃で分隊は壊滅した。死体が残っている者はまだマシな方であり、分隊の残り六名のうち、半分は跡形もなくなっていた。
なぜ自分は生き残ったのか……、それも五体満足で……──考えたが、何もわからなかった。
「おい、映像取れてんだよな!?」
宮内の肩を担ぐ佐藤が耳元で叫ぶ。
「これが世の中に出回ったら、どこぞの戦争研究所の偉い学者やらネットの自称戦術家の素人どもがグダグダ言うんだろうな! ガソリンスタンドの横で迎撃するなんてアホなんじゃねーかって!」
実際、その通りだと思った。銃砲火はガソリンスタンドに飛び火し、すでに誘爆していた。しかしこの場所での迎撃が、劣勢に回る国防軍にとっての、宮内の所属する陸軍第88即応歩兵連隊にとっての、最悪の中での最良の選択肢だった。
「生きて帰ったら一発ぶん殴っあと直接言ってやれ! 俺がそのときの生き残りだってな!」
佐藤は笑うと、宮内の肩を強く叩いた。
目の前で薬莢が飛んだ。歩きながら、宮内はスミスの銃口の先を見た。
赤い軍旗は燃えていた。幹線道路沿いには敵戦車が展開していたが、多くはこちらの対戦車兵器で破壊されていた。
煙の向こう側には日本国旗が見えた。郊外で待機していた数少ない味方戦車は前進を始めているようだった。
また目の前で薬莢が飛んだ。スミスが引き金を引くのとほぼ同時に、歩兵戦闘車の影から飛び出した敵歩兵は倒れた。倒れた兵士の腕には赤いマーカーが巻いてあった。敵の死体を見て、宮内は自分が戦わなければいけないことをようやく思い出した。
その後の記憶は曖昧だった。助けてくれた二人は宮内を小隊に預けるとすぐに別の場所に移動していった。小隊に合流したあとも戦闘は続いた。宮内も命令に従い、銃を手に敵を撃ち、弾を運び、歩兵用対戦車火器を構えた。どれだけ戦ったのか。やがて戦闘は収束していった。
赤い軍旗は燃え落ちていた。敵軍主力の撤退を見届けたあと、戦闘に参加した各部隊の点呼が行われた。基本的に臨時訓練しか受けていない一般市民で構成された○○市領土防衛隊の損耗は激しかった。対して、宮内の所属する国防軍や、ほぼ軍人である外国人義勇兵の損害はそこまで大きくもなかった。
○○市へと侵攻する敵軍の足止め──その期間は過ぎた。
「任務は完了した。各自、撤収の準備を」
連隊長からの命令に宮内は思わず胸をなでおろした。任務は達成された。生き残った部隊員の空気感もほぼ同じだった。
宮内はヘッドカメラとボディカメラからSDカードを抜き、映像科の隊員に渡した。それをもって、この戦闘における宮内の任務は終わった。
戦闘後、国防軍は○○市の防衛は不可能と判断し、街の放棄を決めた。撤退の準備を整えると、宮内は佐藤の家を尋ねた。
どこにでもある住宅街の、どこにでもある普通の家だった。玄関には奥さんと娘さんの三人で映った写真が置いてあった。
国防軍の撤退に合わせ、外国人義勇兵たちも○○市を去っていた。ちょうど宮内と入れ替わりとなったスミスも、英語で佐藤に別れを告げていた。
「そろそろ行きます。お世話になりました」
「……そうか。元気でな」
多くを語らずとも、佐藤は言葉の意味を理解してくれているように見えた。
「すいません……。街を守り切ることができず、放棄することになってしまって……」
「気にすんなって。ここで変に消耗戦になっても仕方ないし、お前は命令に従えばいい」
そう言うと、佐藤は宮内の肩を軽く叩いた。
「佐藤さんはこれからどうするんですか?」
別れ際、宮内は訊ねた。残酷な質問であったが、訊かずにはいれなかった。
「ここが俺の家だ。ここが俺の故郷だ。だから気長に待つさ。またお前たちが帰ってくるのをな」
佐藤は笑うと、今度は強く宮内の肩を叩いた。
宮内は視線を落とした。今、顔を合わせることはできなかった。佐藤も宮内から顔を逸らし、玄関横に置かれた写真を見ていた。一瞬だったが、その目は微かに震えていた。
少しの沈黙のあと、宮内は敬礼し、別れを告げた。佐藤も敬礼し、それに答えた。
退路を進むトラックの中では全員が虚ろな表情をしていた。誰もが無言だった。誰もが疲弊していた。誰もが今を生きている実感を喪失しているようだった。それは宮内も同じだった。
なぜ自分は生き残ったのか……、それも五体満足で……──泥まみれのブーツをぼんやりと見つめながら、宮内は考えた。
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