隙間噺:2

@heavey0340

怪文書:バストサイズ測定おじさん


──バストサイズ測定おじさんの朝は早い──



 朝、鳥の鳴くよりも早くに目を覚まし、庵のすぐそばにある川で顔を洗う。良く干したタオルで顔を拭き、身支度を整え、川上へ。

 彼が居を構えたのは、人里に程近い山の麓。まばらに広がる雑木林の川の傍。後ろ指さされる職業であることは承知の上。

 人々の耳目を避ける為に村から距離を置いて建てた庵は見た目はボロくとも、彼にとっては麗しのわが城だ。

 その庵を背後に、朝陽と川のせせらぎを供に半刻ほど歩けば、重く響く水音が聞こえてくる。


 滝だ。飛沫を上げ、轟音を伴い流れ落ちる水流を前に、手荷物を近場の岩の上に置き、ざぶざぶと水を分け入り川へと入っていく。

 何をするのか、と問われれば。滝行である。絶え間なく降りしきる水に打たれ、心身の汚れを打ち払うのだ。


 彼に生業について、口さがなく罵る者も多い。何せ、縁もゆかりもない大の男が、女性の体に触れるのである。

 まして胸を触られるなど、嫌悪感を露にするのも当然だ。

 しかし、彼は言うのだ。


「いやらしいこと? そりゃ、考えた事ありますよ。なんたって若い女性が多いですから。でも、そういうのってね、伝わるんですよ。私の掌から、お相手の方に。それは嫌でしょう。だからそうならないように、毎日身と心を清め、仕事中はずっと、頭の中で神への懺悔を繰り返すんです」


 性欲。煩悩。およそ人とは切っても切り離せぬものだろう。

 であれば御するより他に無い。一個の職人として、一人の人間として。客に不快な思いをさせる訳にはいかない。

 日々の滝行も、彼の職人としての矜持あってこその行いだ。


 荒々しく打ち据える水に身体を曝す事、四半刻。

 目を閉じ、微動だにしなかった彼は、そこで漸く水から上がる。

 先程荷を置いた岩の傍で服を脱ぎ、タオルで身体を拭いて新しい服を手に取る。

 袖を通せば人心地ついたように息を吐き、火を起こして冷えた体を温めた。

 ついでに木の葉包みを手荷物から取り出し、中から穀物を練り固め串に刺した餅を取り出すと、起こした火でそれを炙る。

 じっくりと熱を通し、表面に焦げ目がつけば裏返す。香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、腹の虫がぐうと唸る。

 熱さに顔を顰めながら噛り付く。カリカリした表面を歯で破れば、ふわりと広がる焦げ目の香ばしさと、穀物の優しい甘さに舌鼓を打つ。

 滝の音と、先刻よりも強くなった木漏れ日に身を委ねつつ、川のほとりで朝食を済ませる。一日の中で最も、彼が心を落ち着けられる時間だ。

 食事が終われば、餅の焼き上がりを待つ間に絞っておいた濡れた衣類と手荷物をまとめ、先ほど来た道を同じく半刻かけて帰っていく。


 そうしてたどり着いた我が家の前に人影が見えた時、彼は驚いた。

 繁盛するような商売ではないが、ここ最近は来客も珍しく、長らく暇を持て余していたところだったのだ。

 心なしか、足は早まり。その足音と息遣いに気が付いたのか、ぼんやりと庵を眺めていた来客は彼の方へと顔を向けた。

 あどけない、少女の顔。薄い灰色の髪に、同じ色の瞳。儚げで、放っておけばそのまま透けて消えそうな……


「あの」


 彼の思考は、人知れず何処かに飛んでいたようで。少女の声に、現実へと引き戻された。

 この世のものでは無いような印象を与える少女だったが、当然、そのようなことはなく。しっかりと現実に根付いて、不安そうな顔で彼を見ている。

 いけない、と。呆けていた顔を慌てて引き締め、いらっしゃい、と穏やかに声を掛ける。

 もしも少女が客だとするならば、第一印象は肝要である。掴みに失敗してしまうと仕事が出来ない。

 彼はいつだって、女性の味方であらねばならないのだ。

 それ故、きちんと職人としての顔を見せる。客であるにしろないにしろ、悪印象を与えないよう立ち回らねば。

 


「ええと、ここで胸の大きさ? 計ってくれるって聞いたんだ……ですけど」


 果たして彼の見込み通り、少女は“客”であるらしく。稚気を感じさせるたどたどしい言葉には、表情の通り、やはり隠せぬ不安が見えていた。

 話を聞くとどうやら村の者に話を聞いたらしく、わざわざ村はずれの辺鄙な庵にまで足を向けたのだそう。

 庵の中へと案内し、椅子をすすめ。努めて真剣な表情で話を聞きながら、彼が視線を下に向けると、成程、服の上からでも隠せぬほどに、少女の胸部は前へと張り出していた。華奢な体、儚げな雰囲気とは不釣り合いな、“肉”の質感である。

 体に合う下着が無いのかな、と問えば、返ってくるのは頷きで。少女の苦労が偲ばれた。

 それじゃあ計測するから、服を脱いでくれるかな──そう言って、不味い、と口を噤む。見れば、少女の顔には警戒心が。

 長い暇に勘が鈍ったのか、久しぶりの仕事に気が逸ったのか。失敗に冷汗をかく彼に、しかし少女は頷いて見せた。




 暴


 力




 人は視界を殴りつける事も出来るのだと、その時彼は思い知った。

 神よ! と今すぐ滝へと走りだしそうになるのを堪え、ありがとう、と。彼は努めて冷静に礼を述べる。

 ありがとう、私の言葉に怯えないでくれて。ありがとう、私の事を信じてくれて。ありがとう、おっぱ──


「わあ!?」


 自然と動いた右手が彼自身の頬を張り倒していた。突然の暴挙に驚く少女に、何もない、大丈夫と告げ。

 彼女の体を冷やしてはいけない、と、早速仕事に取り掛かる。

 大質量の肉に圧倒されながら、まずは下着を検分する。確かにサイズは合っていない。

 窮屈そうに収まる肉はむにゅりと柔らかく下着の縁に乗り、珠のような肌には僅かに、擦れて赤くなった跡。

 流石にこの時ばかりは、哀れみが勝った。年頃の少女の胸は繊細なのだ。

 許可を得てから下着へと手を伸ばし、留め具を外

 



 暴


 力




 神よ! と彼の精神は既に滝へと走り出していた。とめどなく流れる水の、その怜悧さと清らかさで我が身、我が心を清めてくれ! と。

 しかし彼の心を乱れさせ、精神の逃避行へと誘ったのが少女ならば、それを引き留めたのもまた少女だった。

 羞恥に頬を染め、僅かに体を震えさせる少女の信頼に応えねばならあっちょっと待っておにくがふるえて


「わあ!?」


 自然と動いた右手が彼自身の頬を殴り倒していた。再度の暴挙に驚く少女に、何もない、大丈夫と告げ。

 心を無にし、いっそ断頭台へ赴く心持ちで、曝け出された少女の胸へと手を伸ばす。

 ずしり、と、確かな重み。掌に伝わる熱。僅かに汗ばんだ肌が吸い付いて。

 少女の桜色の唇が「う」「あ」とささやかな呻き声を漏らす。

 手を動かす度にやわやわと形を変えるそれを、自身の経験と勘に照らし合わせて計測していく。

 精神世界の断頭台はひっきりなしに上下してもはや裁断機が如く。さながら今の彼は金太郎飴である。


 そうして煩悩と戦う事しばし。

 ふと、胸の裡に去来するのは。奇妙な懐かしさだった。

 郷愁、と言う感覚に近いのかもしれない。何処か遠い、帰る事の出来ない場所を思うような。

 少女の顔を見る。羞恥に染まる頬。掌から伝わる感触にも、同じものが伝わって。

 それ以上に、隠された小さな恐怖に気が付いた。

 ボロボロの庵。刺された後ろ指。長らく来ない客。

 ああ、そうか、と。彼の心が、すとんと腑に落ちる。


 この世のものではないのは、彼の方だったのだ。


 終わったよ、と少女に伝えたのは。どういう意味合いの言葉だったのか。

 頬が赤いままに頷き、着衣を整える少女へ向けて、ありがとう、と声を掛ける。


「……どういたしまして」


 目を逸らしながら答える少女は、恐らく最初から全てを知っていたのだろう。

 心根の優しい少女だ、と。彼は思う。その優しさが故、身を委ねてくれ、彼の無念を晴らしてくれたのだ。

 今の彼を繋ぎとめているのは無念などではなく。職人としての矜持。

 着衣を整え終えた少女に、口頭でサイズを伝えると、離れた町にある職人の名前を告げ、下着を用立てて貰うよう告げた。

 確か、ある程度大きさに都合がつく下着の開発に着手していたはず。腕のいい職人だ、彼が話を聞いたのがもう何年前かは分からないが、きっと既に完成している事だろう。

 そうして彼はゆっくりと目を閉じる。魂が何処へ導かれるかは定かではないが。

 ありがとう。最後にいい仕事をさせてくれて。そう告げる末期の顔は、酷く安らかな顔をしていた。




___________________________________




「……」


 やがて誰も居なくなった庵で、少女……ステラ・ポラリスはきょろきょろとあたりを見回す。

 近隣の村で受けた依頼は、『村の近くに出没する幽霊をどうにかして欲しい』と言うものだった。

 依頼人曰く。『バストサイズ測定おじさん』なる幽霊は、目立って害こそ及ぼさないものの、その在り様から怯える女子供も居る。

 しかし、彼に悪意がある訳でもなく。死して尚生前の生き方に縛られており、自分が死んだ自覚もない。

 神官に祓わせるのも、どうにも哀れで収まりが悪い……と。

 害が無いなら放置しておけばいいのではないか、と言う声も当然、仲間内からは上がったが。

 困っているなら放ってはおけない、とステラが言い。それならば、と他の面々が追従する形で引き受ける事となったのだ。

 

 「お嬢様~!!!!!!」


 胸から下がる三角形の金属片を握り締め。ステラが祈りを捧げていると、声。しかしそれは衝撃を伴うもので。

 近場の茂みから飛び出し、勢いそのままに抱き着いたメイド姿の女性。

 後に続くのは、耳の尖った清流そのものの髪色の女性と、頭頂部付近から垂れさがる毛に覆われた大きな耳と野暮ったい眼鏡の少女。

 言うまでもなく、ステラと旅を共にする仲間たちである。


「……痛いよ、ニャンニャン」

「ですが私心配で心配で……」

「過保護だなぁ。分からんでもないけど」

「いやまあ仕方ないっしょ、今回の場合」


 やいのやいのと言いながら。ニャンニャン、ディーネ、メイベルの三人が……一人は飛びついたのだが……集まって。

 されるがままになっているステラにそれぞれ、心配と労いの声をかける。

 一番年若いステラにこの役を任せることに最初は難色を示した三人だったが、ものの見事に


 板

 板

 幼児体系


 である。依頼人からの『平たい胸の人はお呼びでないので』と言う言葉に拳で返しながらも、頷かざるを得なかった。

 しかし終わってみれば、当のバストサイズ測定おじさんはなんら変なことをすることもなく

 いや女性の胸を触るのは十二分に変どころかHENTAIな事ではあるのだが。こうして無事に依頼達成となったのだから、

 ほっと胸をなでおろすばかりである。神官でもあるメイベルなどは今にも飛び出さんばかりだったのだが。過ぎた話である。


「……ん」

「どうしたのさ、ディーネ」


 ぴくり、と僅かに耳を震わせ、あらぬ方向へと視線を向けるディーネに、怪訝そうな声でメイベルが問う。


「なんでもないよ」


 にかりと笑って、「さ、二人を待たせるのも悪いし、帰ろ」と促せば。

 良く分からないなりに「ま、いいか」とメイベルは頷いて。村へと向ける足を、ステラも抱き着くニャンニャンを引き摺るようにして追いかけた。

 そうして誰ともなく、こう呟いた。


「……それにしても……」




___________________________________




 一方。少女たちから少しだけ離れた木陰には、男の影が三つ。

 一人。異国風の装束を身に纏った男、ツバキ。一人。貴族風の衣装を身に纏った男、ゴッドリープ。

 一人。依頼人の男、である。


 元々ステラが胸を曝け出すのに、同行する訳にはいかない、と村に残る事を決めた二人だったが。

 用が有るので席を外す、と告げた男の瞳に、好色の影が差すのを見逃さなかった。

 後をつければ、ぐるりと迂回するようにして件の庵へ男は向かい、見つからない様に身を顰めた、鞄から何かを取り出したのだった。

 そこを押さえた。口を塞ぎ、首筋に短刀の刃を当て、地面へと引き倒す。

 万一にもステラの視界に入らぬよう……逆に視界に入れぬよう距離を離し、そこで改めて尋問の時間と相成った。

 ディーネは最初から気付いていたようではあったが……


「まあ、任せてくれたという事だろうな」


 あるいは覗きでもすれば一生揶揄うネタでも出来た、と言ったところだろうか。

 ひとりごちるツバキの前で、依頼人の男は問うまでもなく頭を地面に擦り付け、泣いて命乞いをしていた。

 鞄から取り出したのは、彼らも依然見た事が有る、主に風景や人物を記録する為の機械で……まあつまり、盗撮である。


「罪を認めるというのなら、私から言う事は何もないのである。村の警備隊の元、しっかり悔い改めるのだぞ」


 腕を組み、いかにも哀しそうに振舞うゴッドリープだが、告げる沙汰には容赦は無い。

 未遂に済んだとはいえ、犯罪は犯罪である。それを許すような人物ではなかった。

 が、概ねツバキも同意である。相手が罪人とはいえ、無意味に痛めつけるような趣味は無い。

 女性陣に沙汰を任せないのも、彼女たち……特にステラの事を慮っての事だ。

 好色な目で見られていたとあっては、それこそ彼女が心を痛めてしまう。

 よって、秘密裏に事を済ませることにしたのだ。

 どうやら向こうも片付いたようで、ゴッドリープ付きのメイド猫の声がこちらまで届いてきていた。

 無事に終わって何よりと、男の鞄を改め、依頼料として幾許かの金銭を抜き取り。

 そうして誰ともなく、こう呟いた。



「……それにしても……」



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────バストサイズ測定おじさんって、なんだ────




 





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