花束の捨て方

江戸川台ルーペ

 第六感に従って僕は彼女の事が好きになったのだと思っていた。


 高校二年生に上がった時、別々のクラスだった彼女と同じクラスになった事で、僕は何かしら運命のようなものを感じていた。彼女はとても背が小さく、髪もショートで素っ気なかったし、声も小さかった。いつも大柄な ──もっとも彼女の隣にいれば、どんな女の子でも比較的大きく見えてしまうものなのだけれど、まるで姉妹のようにいつも一緒にいて、その二人には他者を寄せ付けない雰囲気があった。だから、同じクラスの男達と「誰がかわいい」「誰それと誰これは付き合っているらしい」というようなありがちな雑談の中で彼女の名前が出てくる事は無かった。僕も聞かれるたびに適当な名前を挙げて、彼女への小さな恋心を悟られないように気を付けた。好きな女子として彼女の名前を挙げることは、少し変わった好みの持ち主として、妙な誤解をされそうな気がしたからだ。それ程までに、彼女は小柄で、我々と別の世界に、まるで陽だまりでまどろむ二匹の猫のように大柄な女の子と一緒に居た。一体彼女たちは二人で何の話をしているのだろう、と僕は訝しんだ。


 そもそも、僕が彼女を好きになる要因が分からなかった。会話を交わした事もない。なのに、一目見た時から、魂が吸い付くように彼女にピタリと寄り添ったのだ。この一方的に溢れる心の動きに僕は戸惑ったし、誰に相談する事もできなかった。僕はままならない体と面倒くさい心を抱えながら、二学期を迎えた。


 担任の教諭が田舎に帰る、という事で、急遽クラス全員で上野駅まで見送りに行く事になった。教え子を妊娠させ、もう学校には居られなくなったのだという噂があった。その教え子は二年先輩で、結婚と同時に高校を退学するという。本当かどうかは分からない。だが、ありそうな話だ。

 出発前のホームで、横に立つ女性のお腹は確かに少しふっくらとしていたようだったが、誰もその事について触れなかった。クラスの代表が募った金で買った花束を渡し、教諭が「みんなありがとう、元気でな」とありきたりな挨拶をして列車が発った。列車を見送った後、見送りに来たクラスの者達は三々五々に帰って行った。


 僕は小さな花束を持て余していた。元担任は気の良い男性で、辛気臭い他の先生に比べると勢いがあった。きっとそうした所が女子生徒にも人気があったのだろう。偶然、僕と同じ駅に住んでいたので、何度か顔を合わせた事があった。そうした際には挨拶をするぐらいで、込み入った話などはしなかったが、僕は彼に不思議なのようなものを感じていて、個人的に花束を渡そうと持参していたのだ。しかし、出発前に会話を交わす事も、それを渡す事も出来なかった。担任は体育会系の男子生徒達にも支持されていたのだった。そこに割り込んで花束を渡すような真似は出来ない。


 僕は夕方の上野駅のゴミ箱の前で逡巡した。ゴミ箱はうろんとした口を開けており、その中に駅弁の食べ残しや、デパートの紙袋などが雑多に捨てられていた。僕は家族に事情を話し、花束の金を貰って買ったものの、それを渡す事が出来なかったという事がバレるのが嫌だった。これを持って帰る訳にはいかない。大勢の足音が背後に行き交う雑踏の中で、僕は持ち手が細くなってしまった花束をゴミ箱に突っ込む事に躊躇した。それは人としてやってはいけない物事の一種であるような気がした。


「●●君?」


 背後から細い小さな声が聞こえて、振り返ると彼女だった。僕は固く花束を握り締めていて、その私服姿の彼女の姿を可愛いと思う余裕もなかった。その隣にはいつもの大柄な子もいて、二人で僕をじっと眺めていた。


「何してるの?」


「何でもないよ」


 と僕は答えた。何故かひどく惨めな気持ちになって、喉につっかえ棒が引っ掛かっているような声が出た。


「何でもない事ないでしょう?」


 彼女が小さな声で言った。


「何でもないって」


 僕は少しぶっきら棒になって言った。そうしないと涙が溢れてしまいそうだったからだ。


「イノリ、今日誕生日じゃなかった?」


 大柄な子が突然口を開いた。


「え?」


 彼女がパチクリと目を瞬かせた。


「イノリ、今日誕生日じゃんね?」


「あ、そう……だった?」


「そうよ」


 大柄な子が僕にツカツカと寄ってきて、僕の腕を掴み、固く握り締めていた花束を彼女の方へと突き出した。


「イノリ、誕生日、おめでとうだって」


 大柄な子がいたずらっぽく言った。


「え?」


 僕は戸惑った。


「ほら、誕生日おめでとう、って●●君も言って」


 大柄な子が僕の手ごと、彼女の前で花束を揺すった。


「誕……生日、おめでとう」


 と僕はモゴモゴと小さな声で言うと、彼女も小さな声をもっと小さくして


「どう……も、ありが……とう」


 と言って、花束を受け取った。渡す時に微かに手に触れ、その感触はいつまでも火傷のように僕の指を焼いた。


「良かったね、イノリ!」


 大柄な子がニコリと笑顔を見せて、彼女もおずおずと、なかなか姿を現さない日の出のような笑顔を作った。


「花束、貰えると嬉しい」


 と彼女は小さな声で言った。


「本当は……」


 と僕が言い掛けたところで、大柄な子が


「●●君」


 と途中で遮り、


 僕の肩に手を置いてしみじみと


「それは言わなくていい事だよ」


 言った。思ったより、大柄な女子では無かった。僕が遠くから二人を見ていた時よりもその子はずっと大人びていて、口の脇には黒子があり、それが彼女の感情の表現と魅力を一層高めていた。僕は、なんにもも見えていなかったのだ。


 その後、僕は小柄な彼女と付き合うようになって、別れた。僕は何もかもを曖昧にしたまま大人になり、就職し、今に至っている。その度に、あの第六感を純粋に信じる事が出来た、花束の捨て方が分からなかった僕と、誰かに差し伸べられた暖かい手のひらを思い出す。僕たちは誰かに渡そうとした花束をいつの間にか手放していて、その事に気付かないままでいる。もしかしたら、今でも彼女とすれ違っているのかも知れない。あの頃に置き去りにしたままの第六感が、時折行き場所を求めて、胸の中でむずむずと疼くのだ。





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花束の捨て方 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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