鬼の卵

@pranium

第1話

これはある事件の前夜の話、私の懺悔ともいうべき、大事な夜の話でございます。




「莉子、鬼の卵を見たことがあるかい?」


 将太は、彼の部屋でそんなことを聞いてきた。


 彼は同じ文芸部の部員で、幼いころからの良き友人である。身なりが整っていていわゆるイケメンの類であるが、少し変わっていて、浮いた話や流行りにはあまり興味を示さない。一日中、探偵小説や医学書なんかを読み耽っては、生まれつき口のきけない私に、その感想を話してくるのである。


 私もそんな彼を見て文学に興味を持ち、一緒に文芸部に入部した。部員も私が喋ることができないのを受け入れてくれたし、彼と好きなことに没頭するのが楽しかった。こうやって彼の部屋に来るのも私たちにとってはいつものことで、二人で一緒に本を読むのも当然の営みなのだ。


 私は鬼の卵なんて聞いたことが無かった。そんな本でも読んだのだろうか。いや、それなら読んだことがあるかと聞くはずだ。


「聞いたことがない、って感じだね。」


 私はうなずくと、気まぐれの手遊びの一環として、そばにあった緑色のプラスチックの箱を手に取ってみた。というのも、この箱があまりにも怪しく思えたからだ。


 それは手のひらサイズの何かのケースで、重みがあり、赤い紐で二重に巻き締められた上に、南京錠までされていた。


「莉子!それに触るな!」


 将太が怒ったように叫ぶ。私はびっくりして、急いで箱を部屋の中心にある机に置いた。恐る恐る彼を見ると、やれやれというふうにしていた。一つため息をし、私の方を向くと優しく語りかけてきた。


「莉子。これから話すことは本のことではない。でもフィクションと思って聞いてほしい。君にだけ話せることだ。」


 真剣な様子だったので、私は何回もうなずいて彼の方に座りなおした。そうして、彼は語り始めるのだった。


「僕は生まれつき、人の心の玉が見えるんだ。僕も君も、先生やテレビタレントにだって、心の玉があることを僕は知っているんだ。


 ふふふ、きょとんとするのも無理はないよ。おそらくそれは僕にしか見えなくて、玉を持っている本人も認識できない。君が僕の顔を見るのと同じように、僕には君の心の玉がはっきりと見えているんだ。


 いや、正確には目で見ているんじゃないんだ。目を瞑ろうが、耳を塞ごうが、僕は周りの人間の心の玉を認識してしまう。僕の第六の刺激の受容器が、否応なくそれを理解してしまう。防ぎようがないともいえるかもしれない。


 心の玉というのは、感情や状況に関係なく変化する。例えば、丸くきれいな状態だと安定している。逆に、汚れたり、凹んだり、歪んだりすると、持ち主に苦痛を与えるんだ。


 おそらく莉子は、それによる苦痛を知らないだろう。それは先ほども言ったように君の身体にそれを感じる器官が無いからなんだ。


 さて、ここからが本題なんだが、僕は幼いころから心の玉が歪みやすい体質だった。もっと直接的に言うと、歪みからくる苦痛にいつも頭を悩ませていたんだ。


 先ほど、防ぎようがないと言ったが、苦痛の場合も同様なんだ。体の痛みは、鎮痛剤で収まる。騒音の時は、耳を塞げばよい。不味いものは、吐き出せばよい。だが、歪んだ心の玉がもたらす苦痛はどうすればいい?


 抗精神病薬を試したが、蚊ほども効果がない。僕は生活の中でいろんなことを試して、この苦痛を和らげる方法を必死に探した。そうでないと、死んでしまいそうだった。そうしていると、ある一つのパターンを発見した。これをすると、心の玉が修復されて楽になるという、やるべきことだ。


 それは、“悪事”だ。


 きっかけは小学生の給食の時間だった。僕はナムルがどうしても食えなくて、ティッシュに包んでトイレに捨てたことがある。


 そうした瞬間、僕を悩ませていた苦痛が一気に吹き飛んで、トイレだったにもかかわらず、空気がとても美味しく感じ始めた。目を瞑って心の玉を隅々まで見てみても、真珠のようにきれいに整っていた。そして僕は、早くも確信を持った。


 それからは、僕はいろんな悪事を重ねていった。心の玉が歪むたびに人の鉛筆を盗んだり、人の家に石を投げたり、莉子のスカートをめくったりもしてみた。こうやって、苦痛からの脱出手段を探すことに苦心したんだ。おかげで小学生の間は、手段には困らなかった。


 中学に入ると、僕はさらに過激な悪事を求めるようになった。一般的な薬と同じく、悪事による回復にも“刺激への慣れ“があることに気づいたんだ。

 

 もうイタズラ程度では楽にならなくなって、僕はついに犯罪に手を染め始めた。ゲーム屋での万引き、暴力を伴ったいじめ、置き引きなど、手軽にできる範囲のものは一通り試した。中でも、近所に空き巣に入って、財布や宝石を盗んだ時なんかは、回復を通り越して快感さえ覚えた。


 そして今は高校生、僕は今一度、自分の心の玉が歪みやすいという体質に向き合ってみた。自分のそれをよく観察すると、一つの異常に気付いた。自然に歪んでいると思っていた心の玉は、なんと内側からの力で変形させられていたんだ。他人のものを観察してもそんな現象は見られず、僕だけに起こっていることだと分かった。


 さらに観察を続けていると、次第にその現象のことが分かってきた。変形のたびに、内側から何者かが殴っているような感覚を覚えること。悪事を働いて心の玉をきれいにすると、中にいる者が非常に苦しんでいること。次第に僕は、おそらく僕の心の玉の中には、何か鬼のような邪悪な存在が閉じ込められているのだろうと考え始めた。


 心の玉が破られると、その持ち主は死んでしまう。これは直感で分かるんだ。中の存在は、それを顧みずに心の玉を内側から殴りつけて、突き破ろうとしてくるのだから、鬼かそれに類するものには間違いない。


 僕はこの戦いに終止符を打つため、中の鬼の息の根を止めるほど、一気に心の玉を浄化してしまおうと考えた。つまり、今までに手を出していない、とっておきの悪事を働こうと考えたんだ。莉子なら、そのとっておきの悪事が何か、分かると思う。


 そう、殺人、だね。


 僕は、殺人が行われた場合、どれだけの快感を味わうことになるか、心の玉の鬼にどれだけダメージが入るかを想像すると、胸躍らずにはいられなかった。


 早速、どこでどうやって殺人を遂行するかを考えた。


 例えば、トイレの個室で絞殺する場合、これも素晴らしい。バレやすいというデメリットはあるが、首を絞めている間の快感は想像を絶するだろう。


 例えば、校舎からクラスメイトを突き落とす場合、これもまた趣がある。証拠は残りづらいが、対外的には自殺のかたちになるので、やりがいは不足するかもしれない。


 最終的に考えたのが、爆殺だ。派手に大量の人間を殺せるのは魅力的に思える。特に、教室で使えば一度に20人さえも夢ではない。その日中は脳内モルヒネか何かの、快楽物質が止まらないかもしれない。


 そうして僕は、理科の知識を利用して爆弾を作った。しかし、これを部屋に置いておくのは危険だ。莉子を入れたとき、変にいじって爆発させてはいけない。これを防止するため、紐でくくったり、南京錠を掛けたりして絶対に開かないようにしたんだ。


 多分、明日の昼には僕の心の玉は、中の鬼に破られるだろう。


 決行は朝のつもりだが、莉子は僕のクラスに来てはいけないよ。これでも、莉子には死んでほしくないんだ。」




 彼の話を聞き終わると、自然と涙があふれてきた。これほど喋ることができないのを恨んだことは無いかもしれない。


 私は泣きながら首を横に振り、彼にすがりつくことしかできなかったのである。

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