第7話 これが本当の世界
夏祭りの後から、二人は昔の関係に戻っていた。
外では仲良く。内では一言も話さない。
ゆりかが話すのはくまきちだけ。のばらは手を定期的に洗う。
「痛っ!!」
のばらは時々消毒のアルコールをつけては声をあげる。
手の甲は美しく保ってはいるが手のひらは荒れている。洗いすぎだ。
いつもケアしていても、手のひらは治らない。
それだけは昔からゆりかは辛いだろうと思っていた。手を繋ぐ度。
昔に戻ったというならば、これくらいはしても許されるだろう。ゆりかは、ケア用のクリームを渡す。
「これ、手荒れに効くって聞いたから。買った。勿論通販だけど。」
のばらは少し震えながらもをれを払いのける。
「・・・お節介はもうしないで。貴女に助けられたくない。」
「ごめんなさい、出過ぎた真似だったわね。」
また二人は無言になる。
しかし、珍しいことにのばらからゆりかに話しかけた。
「嘘ばかり。貴女と私、嘘だらけの世界。」
「そんなこと・・・昔から知っている。」
別にのばらのことが嫌いになったわけではない。だからこそ冷静になったし、あまり関わりたくない。関わることによって、のばらを傷つけたくない。
「もうすぐ文化祭。ゆりか、いつも通り演じて頂戴。」
「そんなこと・・・昔から分かっている。」
文化祭。
ゆりかたちの出し物はカフェ。文化祭お約束の出し物だが、このクラスがそれをしなくてどうする。プリンセス様とプリンス様がいるのだから
だが・・・。
「どうして、私が・・・こんなに恥ずかしいメイド服なのよ。」
のばらはスカートを引っ張って言う。
膝上のスカート。中に
パニエも入っている。ふりふりのエプロン。白のヘッドドレス。胸元は大きく開いている。のばらの場合、それはあまり関係ないが。
のばらはてっきり自分のポジション的に執事のような格好だとばかり思っていた。
「プリンスとプリンセス。二人お揃いが見たいそうよ。双子的な。全然違うのに。でものばら、案外似合っているわよ。」
ゆりかが同じ格好をして言う。
のばらは彼女をジト目で見たがそれ以上は何も言わなかった。
「いらっしゃいませ!」
「来てくれて嬉しい!」
さすが、ゆりかとのばらはプロフェッショナルだった。
ゆりかはどこまでもぶりっ子になれるし、のばらはどこまでもあざとくなれる。
二人で手を繋いで頬を寄せることもできる。
ゆりかがトレーを落として転けそうになると、のばらが支えて微笑む。
二人して後ろ向きでぶつかってよろけると、手を取り合って微笑む。
どれもこれも演技だ。
美しい二人に今日も陰りはない。
だが、所詮は演技。
そろそろ、文化祭もお開きになるというところで、のばらはため息を深くついた。
ただでさえ慣れない衣装を着ているというのに、もう限界だ。
のばらは休憩に行ってくると言ってその場を離れた。
手を洗うと、一人で誰もいない裏庭で座り込む。
一人でふらふらと休憩すると出て行ったのばらを見て、ゆりかも後を追う。
気にかける義理はないのに。
ただ、ゆりか自身もかなりの疲労が溜まっていて限界だった。
「のばら、大丈夫?」
その声を聞いてのばらはびくっと肩を震わす。
これではいつもと逆だ。
「ゆりか・・・。」
「私も限界で逃げてきた。のばらも疲れてるみたい。あっちでアイス売ってたから貰ってこようか?私も食べたいし。紙でコーン巻いてたから大丈夫なはずよ。」
するとのばらは少し黙り込んだが、ゆりかをじっと見上げた。
珍しく目を潤ませて。
「二つはいらない。一つでいい。」
「ごめん、食べたくなかったよね。」
のばらはゆりかのスカートの裾を引っ張って口を開く。
「違う。ゆりかと食べたい。ゆりかと同じものを食べたい。」
「のばら・・・?」
のばらの唐突な言葉に、ゆりかは何を言っているか理解できなかった。
のばらが?
潔癖症の・・・のばらが?
私とはもう演技でしか話さないのばらが?
「お願い。」
だが、あまりにものばらが真剣な目で懇願するものだから、ゆりかは頷くしかなかった。
もしかしたらという期待を少しこめて。
数分後。ゆりかはアイスクリームを一つだけ買ってきた。
のばらの好きな味がわからなかったので、なんとなくストロベリーを選んだ。以前、のばらが食べていた気がするから。気がするだけかもしれない。二人の記憶は嘘だらけなのでいつも曖昧だ。
「のばら、先に食べて。」
そう言うものの、のばらは首を振る。
「一緒に食べたい。ゆりかと一緒に食べたい。」
「え・・・駄目よ、のばらそんなことしたら!」
すると、のばらはアイスを持つゆりかの手を上からぎゅっと握った。
「お願い、一緒に食べて。」
「・・・わかった。一緒に食べよ?」
二人は両側からアイスを舐め始める。
二人で持ちながら。
ゆっくり舐める音すらゆりかは官能的に思える。
目の前で、のばらが舌を出す。ゆりかの舌と混ざり合いそうだ。
二人、吐息の音を聞き合う。
目線は合わせたり逸らしたり。
ゆりかが、さらりと流れてきた自分の髪を耳にかけた時、のばらは持っていたアイスを投げ捨てた。
「のば・・・んんっ!!」
そして、のばらはゆりかの口に食らいつく。
多分これはアイスを舐める延長線上だ。
だってこんなにも甘くて冷たくて・・・美味しい。
あれ?
キスって苺のような匂いだっけ?味だっけ?
いつもしていたキスはもっとずっと苦かった。
溶ける。きっとこのまま二人は溶けていく。
ゆりかがそう思っていると、のばらは彼女を抱きしめた。
力強く。
そして、何度も何度も同じことを繰り返して言う。
「綺麗、綺麗、綺麗!!大丈夫!!私、大丈夫!!」
「のばら?」
のばらは、ようやくゆりかを引き離すと笑って言うのだ。
「私!分かったの!!ゆりかに触れる方法、抱きしめる方法、キスできる方法。簡単なことだったのよ。これは、いつもの時のように演じてるから大丈夫って思えばいいのよ!」
そして、のばらはゆりかを押し倒す。
「大丈夫、ゆりかは綺麗。私も綺麗。私、きっとできる。きっとゆりかと気持ち良くなれる!」
のばらはそっとゆりかの胸に手を振れる。そしてもう一度ゆりかに顔を寄せようとした。
「やめて!!」
のばらは思い切りゆりかに突き飛ばされた。のばらは予想外のことに動くことができない。
ゆりかを見ると泣きながらのばらに訴えかけている。
「やめて、のばら!そんな風に私に触らないで!!そんなの結局、嘘の感情じゃない!そんなの、いつもと変わらない嘘の関係じゃない!!そんな気持ちでされても私、全然嬉しくない。」
「ゆりか・・・?」
「こんなの嫌。こんなのって酷い。例え、嘘の関係でこんなことできても、のばらはその代償を払わないといけないじゃない!!結局、汚いままなのよ!!」
「だい・・・しょう?きたない・・?」
途切れ途切れの言葉を残してのばらは、どさりと倒れてしまった。
ゆりかは慌てて彼女を抱き起こす。
おそらく気を失っているのだろう。
そんなにも彼女は無理をしていたのか。
「のばら、のばら・・・ごめんなさい。」
「・・・ん。」
のばらが目覚めると見知らぬ天井。
辺りを見回すと、どうやら保健室のようだ。少し離れたところにゆりかがが椅子に腰掛けていた。
そうか、倒れたのね。
「また、私。ゆりかを傷つけてしまったのね。」
ゆりかは無言で下を向く。
「今思うと、私・・・ずっと、ゆりかを傷つけてきたのね。私、ずっと綺麗なものなんてないって思っていたから。ゆりかが汚いってずっと思っていたから。でも、違うの。汚いのは私。」
「のばら?」
のばらは起き上がると、ベッドに座って足をぶらつかせる。
「私の母はね、私よりずっとずっと潔癖な人だった。いつも手袋をしていた。私、小さい頃からずっと言われてた。あれも汚い、これも汚い、触ったら死んでしまう。全部気持ち悪いものだ。世界は汚いもので溢れている。」
のばらは、まだ足をぶらぶらとさせる。手は枕を撫で続けている。
「だから、私も何の疑問も思わず全部汚いって思ってた。世界は汚いって。ただね、母は私を触る時も手袋をしているのよ。ある日、母が手袋を外した時に私がその手を触ったの。そしたら、汚いって振り払われたのよ。笑っちゃうわよね。」
「のばら・・・。」
「・・・私も汚かったのよ。」
のばらはようやくベッドから降りて靴を履いた。
そして、窓のカーテンを開ける。
「私、分からなくなった。世界が汚いから綺麗な私が触ってはいけないのじゃなくて。私が汚いから綺麗な世界を触ってはいけないのじゃないのか。どっちだろう。どちらかが嘘。でも分からない。だけど、後者だったら嫌だから。怖いから。私、世界が汚いことにした。その方が楽だから。たとえ、そっちが嘘でも。」
「・・・・・・。」
ゆりかは、何を話しかければいいか分からない。ただ、聞くしかなかった。
「考えるのは嫌。人って楽な方選ぶでしょ?だから全部汚いことにした。気持ち悪いことにした。そうしたら本当に全部そうなっちゃった。すごいよね。考えるのが嫌で自分に嘘をついていたら、本当にそれが正しくなるの。」
ゆりかは夕陽が差し込む窓を見て、折角開けたカーテンをまた閉めてしまう。カーテンの隙間からだけ夕陽が差し込む。
「私、嘘をつきすぎて。分からなくなった。そして段々知りたくなった。結局、何が気持ちいいの?何が気持ち悪いの?何が綺麗なの?何が汚いの?答えはどっち?みんなのしていることを聞いてはやってみた。でも、どっちつかず。分からない。」
のばらは自虐的に笑いだす。
ゆりかは相変わらず彼女にかけるべき言葉が見つからない。
「世界は汚い。絶対そう。楽になりたかったのに、結局自分が辛いだけになった。でも、それでもよかった。だって世界は汚い。これが正しいから。私は、ずっとこれで生きて行こう。そう思っていた。自分でも驚いちゃうのだけれど、いつからだっけな。私・・・いつからかゆりかに触りたいって思うようになった。でも、触れられない。今も。こんなにゆりかは綺麗なのに。何で触れないのだろう。そして今、初めて全て分かった。それは私が汚いから。」
「のばらっ!そんなことは・・・。」
「見てよ、この手のひらも。汚いでしょ?」
のばらは荒れて傷だらけてになった手のひらを見せて、力なく笑う。
「本当に綺麗なものが初めて分かった。ゆりかには・・・私、触ってはいけない。私、ゆりかを汚いものにしたくない。そう思ったら自分の行為に震えが止まらない。吐きたくなる。私、気持ち悪くなった。そんなこと言いたくない。私、ゆりかに言いたくない。だってゆりかは、きっと自分のことが汚いって思っている。世界が汚いと本当に思っていた時に、私がずっと汚いって言っていたから。だから誤解させて傷つけてしまう。」
「そんなこと・・・そんなこと言わないで。」
「でもどうしても、触れたくて。嘘の関係なら、ほら。私は綺麗でしょ?だから。でも、結局傷けたよね。」
ゆりかは慌ててのばらの手を取ろうとしたが、彼女はすっと避けた。
「違う、違う、のばら。のばらは誰よりも!」
「のばらは誰よりも汚くて、気持ち悪い。綺麗なのはゆりか。これが本当の世界。」
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