第6話 貴女に汚いなんて言いたくない
のばらの恍惚とした表情、喘ぎ声。
時々、ゆりかはその夢を見る。
現実でずっと思っているせいか、夢にまで出てくる。
のばらはどこまで汚いと思っているのだろう。そして自分のこともどこまで汚いと思っているのだろう。
先日、自分を男の誘いから守ってくれたのばらは・・・。
本当ののばら?やっぱり嘘ののばら?
それも最近、ゆりかは考える。
のばらは「嘘が正しい。」と言う。
では、やっぱりあの時ののばらも嘘・・・。
「わからない。人ってどこまで嘘をつくの?貴女と私、嘘の世界はどこまでなの?」
だが、のばらはそんなゆりかにお構いなしで、いつも通りに戻る。
朝は、二人手を繋いで仲良く登校する。
「行きましょう、ゆりかさん。」
のばらはそう言うと極上の微笑みをする。完璧な演出。
でも、誰も気づかないだろうが、すぐにのばらは手を洗う。
それを見るたびゆりかは心が痛む。
お昼は、食堂で隣どうし二人して食べる。
「ゆりかさん、口開けて。」
のばらは箸でご飯をゆりかの口に運ぶ。完璧な演出。
でも、誰も気づかないだろうが、自分が食べる時は先ほど使った箸を置き別の箸で食べる。
それを見るたびゆりかは心が痛む。
放課後は、二人一緒に勉強する。
「これは、こうすればいいのよ。ゆりかさん。」
のばらはそう言って指をさして教えてくれる。完璧な演出。
でも、誰も気づかないだろうが、のばらが教科書をさしているところには何も書いていない。見せかけの勉強だ。
それを見るたびゆりかは心が痛む。
嘘ばかりの世界。
先日の本当の世界。
嘘をつかれている関係の時は幸せ。でも辛い。
本当の関係の時は辛い。でも幸せ。
「どちらがいいのか分からない。」
そんな時だった。
夏祭りがあるから、行かないかとつぐみたちのコンビに誘われた。
「でも・・・。」
ゆりかは、ちらりとのばらを見る。
のばらは勿論、つぐみたちの言葉に眉をひそめていた。
すると、つぐみはにこりと笑って返す。
「これもお仕事よ。のばら。夏祭りも一緒に行くコンビって・・・凄く良くない?」
きっと、仲を見かねたつぐみの計らいなのだろう。
ゆりかは、今となってはありがたいのか何なのか分からない。
だが珍しいことにのばらは、それなら行くと言ってくれた。
「よかった。私、ちゃんと浴衣も用意したの。ゆりかはピンク。のばらは藍色ね。貴女たちは、まな板だから似合うと思うわ。」
「またそんなことを言う!!」
ゆりかは声を荒げて言うと、これも珍しくのばらも参戦した。
「私は下品な見世物にはなりたくないの。」
つぐみは二人の様子を見ると再度微笑む。やはりこれはつぐみたちの計らいだ。
「あら、それは失礼したわ。」とだけ言ってつぐみは去っていった。
「これは一種の仕事。私、本当はそんなところ汚くて行きたくないけれど。貴女もそうでしょ?そんな人の多いところ。」
それは確かにそうであった。人ごみになればなるほど、ゆりかは怖い。
ただ・・・でも。
「大丈夫。のばらがいるから。のばらもきっと大丈夫。私がいるから。」
のばらは少し黙りここんだが、浴衣を眺めながら小さな声で呟いた。
「そういうものかしら・・・そういうものかもしれない。」
「のばら?」
「いえ、明日だったわね。別に用意することもないけれど。何か持っていくものがあったら用意しておきなさい。」
そしていつものように机に戻ると本を読み始めたのであった。
また二人で出かけられる。
でもそれは嬉しいことになるのか悲しいことになるのか。分からない。
それでも、二人でゆりかは行きたかった。ゆりかはのばらが好きだから。それだけはきっと嘘ではない。
夏祭りの日。
意外なことに、つぐみは着付けができて二人の浴衣を綺麗に着せてくれた。相変わらず、のばらは「気をつけて!触らないで!」と連呼していたが。
さて行きましょうかと言ったものの、つぐみとひばりは後で行くらしく、二人は先に出かけた。
学院内では二人は勿論手を繋いで歩く。
浴衣姿で歩く二人は一層美しい。
女学生たちはこぞって二人を見守ったのである。
だが学院を出た瞬間、勿論のばらは手を離して消毒。
のばらも私がいるから大丈夫、などとよくも言ったものだとゆりかは自分が情けなくなった。
「折角、夏祭りに行くのだからもっと明るい顔をしなさいよ。」
いつもなら、逆のことを言うのばらだったが今日は反対だ。
これもどこまで本気なのか、ゆりかにはわからない。
「のばらだって顔が怖い。」
「私はいいの。行くのが嫌だから。」
これは本心だろう。多分。
ゆりかは嬉しいのか悲しいのかもう何が何だかわからない状態だ。
それでも夏祭りに行かなければならない。仕事のめに。そして自分のためにも。
二人は近くの神社に向かって歩き出す。
のばらはいつも早歩きだ。
肩で風を切って歩く。
それは二人で演じている時も一緒で、ゆりかも慌てて歩調を合わせていた。
ただ、今日は履き慣れない下駄のせいでそうも行かない。それに対してのばらはいつもと変わらず。
しかし、のばらはチラリと振り返ってゆりかを見ると、歩調を合わせてくれているようだ。何も話はしなかったが。
そういうことを中途半端にされるので、ゆりかはいつも期待をしてしまう。結局、それは無駄になるのだけれど。
「最悪。どうして、こんなに人がいるのよ。どうして、こんなにうるさいのよ。」
「夏祭りだからでしょ?大体、それでも行くって言ったのは、のばらじゃない。」
「それはゆりかが、私がいるから大丈夫・・・って言うからよ。じゃないとこんな所には。」
のばらが何かを小声で言っているようだが、祭りの賑わっている音でゆりかは聞き取れない。
「ごめん、のばら。何を言っているか聞きとれなかった。もう一回言って。」
「聞く必要なないから別にいい。」
そして、のばらはそのままで店が連なる道へと入って行った。
のばらはいつも勝手だ。
ゆりかはそう思うものの、ついて行くしかない。
相変わらず、のばらは出店に見向きもせず歩く。
「のばら、何かお店見たら?これじゃ、意味がないわよ。」
「意味はあるわよ。ここに来ただけで。」
「でもほら、あの林檎飴美味しそうよ?」
そう言ってゆりかは真っ赤な林檎飴を指差す。
「嫌よ!どうしてこんなに土煙が舞う所に置いているものが食べられるのよ!何よあの真っ赤な着色料は!?毒林檎よ!そんなもの食べたら私、窒息するじゃない!!」
「じゃあ、のばら。金魚すくいで遊びましょうよ。」
ゆりかは金魚の水槽を指差した。
すると、のばらは鬼の形相で怒鳴る。
「嫌よ!どうして!あの気持ち悪い魚類をすくわなければならないの!?汚い!臭い!信じられない!!そんなもの手に触れてでも見なさいよ、私の手は死ぬまで臭いわよ!貴女、馬鹿じゃないの!!」
のばらは本気で嫌なので全力否定しているのだろう。言っていることは実に滑稽だが、のばらは真剣に言う。あの聡明なのばらが怒る言葉は全く馬鹿らしい。
でものばらはあくまでも本気なのだ。
だからこそ、ゆりかは堪えきれなくて思わず声を出して笑ってしまった。
「何よ!?何がおかしいのよ!!私は!こんなに真剣なのに!!」
「だからよ。のばら、冷静になって考えてよ。全部言っていることおかしいわよ?」
のばらは目線を上にすると、しばらく黙り込んで、うーんと唸る。
「私、そんなに変なこと言ってた?」
「言ってたわよ。毒林檎で窒息って何よ、一生臭いって何よ。大体、金魚のこと魚類なんて言う人いる?可笑しい。」
ゆりかがあまりにも笑うものだから、そして正論だったから、のばらもつられて微笑む。
「嫌だ。私、馬鹿みたい。」
その微笑を見て、ゆりかは目を丸くして言葉を失う。
「何?」
「初めて見た。のばらが笑うところ。」
「私が?いつ笑ったのよ!?」
「今。」
「そんなことしていない。もししたとしたら何よ?気持ち悪いとでも言いたいの!?」
ゆりかは首を振る。そしてゆりかは微笑んだ。演技をしている時のように。
「楽しそうで、綺麗だったわ。」
のばらはその言葉をきくと嫌悪の表情を見せた。
「私、楽しいって思ったことない。昔も今もこれからも。」
「のばら・・・?」
すると、のばらはゆりかの手首をつかまえると自分に引き寄せる。
「ゆりか、そんなに私と祭りを楽しみたいのならそうしてあげる。いつも通り演じましょう?」
「のばら、私はそういうつもりで言ったんじゃない!私は・・・っ!」
だが、のばらは耳を貸さない。そしていつも通りの微笑みを見せるとゆりかの手を取ってぎゅと握る。
「夏祭りだわ。ゆりかさん。一緒に楽しみましょうよ。」
のばらはゆりかと手を繋ぐと、すすんで出店へと赴く。
林檎飴を見れば美味しそうだから買ってあげると言う。
そして自分が舐めるとゆりかに、どうぞ?と渡して微笑む。
金魚すくいを見れば、これ楽しそうねとゆりかにもたれかかりながら楽しそうにすくう。
これをしましょうよ!
あれもしてみましょう!
美味しいわね!
貴女とここに来れて嬉しい!
一緒に楽しめて嬉しい!
「私は何も嬉しくない。何も楽しくない。」
ゆりかは、先程まで何も感じなかった雑踏が急に辛くなる。
気にもしなかった人の目線も声も。
全て怖くなる。
「どうなさったの?ゆりかさん。」
「ねぇ、のばら。そろそろ辛くない?」
「奇遇ね。私もそう思っていた。」
「あっちのはずれに行かない?誰もこなさそうだし、水道もあるみたい。」
「・・・そうね。」
雑踏から外れた茂み。
きっとここには誰も来ない。
嘘もつかなくていい。
気分が悪くなっていたゆりかにのばらは2本あるラムネ瓶を1本差し出した。
「のばら?」
「買ってきた。どうせ、人混みによってたんでしょ?私もついでに手を洗ってきた。」
「ありがとう。」
「別に。」
二人は無言でラムネを飲んでいたが、空で音がしたので見上げてみた。
木の間から花火が見える。合間を縫って見える花火は、何か一層美しいものがあった。
「花火だわ。綺麗・・・。」
ゆりかはそう呟くと、のばらをふと見てみた。
言葉こそ発さないものの、のばらもそれに見惚れているようで、空をずっと見つめている。
その表情は穏やかで。いつも演じてくれるのばらのようで、でもそれ以上で。
そしてあの時の恍惚としたのばらにも少し似ていた。
「のばらも綺麗。」
その言葉で我に帰ったのばらは、また嫌な顔をする。
「やめて。この世に綺麗なものなんてない。」
「そんなことない。のばら、すごく綺麗。楽しそうな顔をしているのばらは綺麗。」
「だから、やめて。綺麗なんて存在しないし、私は楽しいとも嬉しいとも思ったことない。ましてや、心地よいとか気持ちいいとかも思ったことはない。」
そう言われて、ゆりかはまた思い出す。
あの時ののばらを。
そして気づくと声に出して言っていた。
「嘘。あの時の・・・一人でしてる時の・・・のばら。悦んでいた。気持ちよさそうだった。綺麗だった。あんなのばら初めて見た。私はその綺麗なのばらがずっと頭から離れない。」
「貴女、まだそのことを言うの?そんなに私のストリップショーが楽しかったの?」
呆れ顔でのばらがそう言うと、ゆりかは泣きそうな顔で答えた。
「違う。私は・・・きっと。あの時からのばらに恋をしている。あんなのばら、反則よ。あんなに見たことのない表情ののばら。すごく綺麗だったもの。のばらはあの時、何よりも気持ち良さそうで。低俗な言い方をすれば、私もそれを見て、きっと興奮していたのね。」
「・・・・・・。」
「じゃあ教えて、のばら。あんなに汚いことが嫌だったのに。なぜあんなことをずっとしていたの?」
のばらはじっとゆりかを見つめた。その目は特に嫌悪のあるものではなかった。そしてふいっと顔を逸らすとぽつりと話し出した。
「私、昔から気持ちいいって思ったことがない。全部気持ち悪いから。何をしたら楽しいの?何をしたら気持ちいいの?何をしたら普通の人に近づけるの?高校に入学した時、同級生が話してた。この前、寮の部屋で二人で繋がりあったって。何よりも嬉しくて気持ちよかったって。」
「のばら・・・。」
「それは本当なの?それは嘘なの?それをすると本当にそうなるの?みんなそうなの?汚くて、気持ち悪いことなんてないの?私も同じ感情持てるの?かといって二人でするなんてできないから、一人でやってみたの。貴女がいない時、ひどい時は寝ている時。でも分からない。何回しても。気持ちいいし汚い。どちらもあって分からない。気持ちいいって何?気持ち悪いって何?ねぇ、何が本当なの?嘘なの?教えて、ゆりか。」
「・・・それは、私にも分からない。私の病気と同じように答えは見えない。でも私はあの時ののばら、とても綺麗だと思った。みんながするような表情だったと思う。でも、私にはそんなこと言ってほしくないよね。汚い私には。何を言っても、私の言葉はのばらに届かない。のばらは私のことを汚いって思い続けている。どれだけ私がのばらが好きでも、のばらには全部嘘に見えるし聞こえる。私とのばらはずっと嘘ばかり。嘘ばかり。私の気持ちは嘘じゃないのに。二人の仲は嘘ばかり。」
ゆりかは、悲しい顔はせず微笑んだ。
花火の明かりが彼女の輪郭を照らす。
柄にもなく、のばらそれに見惚れてしまった。そのせいか、いつもは言わないことまで口走る。
「私とゆりかは嘘ばかり。でもゆりかとじゃないとあんな嘘つけない。ゆりかじゃないと本当は見せない。いつからだか分からないけどゆりかといると安心する。だけど私の気持ちいいは、きっと偽物。ゆりかの気持ちいいは、きっと本当。ゆりかの私への気持ちもきっと本当。でも私のゆりかへの気持ちは何だろう。ゆりかは汚い。きっと汚い。それは、本当なの?嘘なの?最近分からなくなる。」
「じゃあ、確かめてよ。のばらが何回も確かめたように。私が汚いかどうか確かめてよ。」
花火の音がする。
ラストなのか、幾重にも乱れて咲く。
夜なのにこんなにも眩しい。
「変なの。ゆりかが眩しい。」
「私は、のばらが眩しい。」
のばらは這うようにゆりかに近づく。そして、そのまま顔を寄せ彼女の唇にゆっくりと自分の唇も近づける。
二人とも薄く瞳を開いたままで、ゆっくり。
「だめ、できない。」
触れ合う寸前でのばらは止めた。
「きっと、私、ゆりかが傷つくこと言ってしまう。そんなことしたくない。今はしたくない。」
するとゆりかは、躊躇うことなくのばらの手を取った。
のばらは、少しビクッとなったものの拒否はしない。
「いい。傷ついてもいい。今はして欲しい。のばらにキスして欲しい。傷つくなんて怖くない。キスされないことが怖い。」
「・・・ゆりか。」
のばらはもう一度唇を寄せる。
二人の唇はそっと触れ合った。
そしてそのまま、どんどん深くなる。
のばらの舌がゆりかの中に入ろうとした時だ。のばらは思い切りゆりかを突き飛ばした。
「っっ!のばら?」
途端、のばらは口を抑えて震え出す。
「嫌・・・言いたくない、そんなこと・・・言いたくない!!でも私、我慢できない・・・!」
「のばら・・・?」
「汚い、汚い、汚い!気持ち悪い!!」
ゆりかは別団、悲しくはなかった。
こうなることは全部分かっていたから。
それでも少しの間、ゆりかは気持ち良くなりたかった。
「のばら、そっちに水道があるから。」
ゆりかがのばらに触れようとすると、思い切り振り払われた。
「触らないで!!」
そう言うと、のばらは水道に駆け寄り水で自分の口を濯ぎ続けた。時々、嗚咽のような声も聞こえる。
ひとしきり流し終わると、のばらはまた肩を震わせ始める。
「ごめんなさい、ゆりか。ごめんなさい・・・ゆりか。ごめんなさい。もう嫌。私、本当は誰も傷つけたくない。でも、私の行動は嘘ばかりする。ごめんなさい、ゆりか。ごめんなさい。お願い、ゆりか・・・助けて。」
いつも強気で憎まれ口ばかり叩いては、ゆりかを汚いというのばら。
もう汚くてもいい、傷つかないとゆりかは思いはじめていた。
でも、のばらはどうだろう。
ずっと謝っている。
こんなに震えて謝っている。
気持ち悪い思いをさせているのは何者でもない、ゆりかだ。
のばらを傷つけているのは何者でもない、ゆりかだ。
ゆりかは全ての力を失ってのばらに近づく。決して彼女には触れないで。
「のばら、謝るのは私の方だよ。もう、やめよう?今まで通りの関係を続けよう?無理する必要ないよ。仲良く美しく、そういう嘘の関係でいようよ。部屋の中ではお互いに憎み合おうよ。私、こんなに傷つくのばらを見たくない。」
「ゆりか・・・?」
「帰ろう?のばら。大丈夫。私と手は繋がなくていいから。もう、無理はしないで。お願い。」
のばらは下を向いた。
相変わらず小刻みに震えている。
「ごめんなさい、ゆりか。本当に汚いのは、私。助けて・・・ゆりか。」
のばらの声は、ゆりかには届かなかった。
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