第4話 汚い、汚い、汚い
"演じきる自信がない"
のばらからそう言われて、ゆりかは一瞬固まった。
いつも確固たる自信で演じてみせるというのばら。それなのにそんな台詞を弱気で言う。
のばらはそれほどに冷静でいられなくなっているのだ。
そして今までになく必死になって言うのだ。
「そうだ、私、行かない。熱があるって行かないことにする。そうする!」
それを聞いてゆりかは黙り込む。
無理だ。
ゆりかはゆっくり首を振る。
「無理よ。例え本当に熱があっても私たちは行けと言われるわ。私たちが行かないと意味がないの。多分だけど、単なる学院長の我儘だけじゃない・・・そういう目的もあるのよ。常に一緒。常に美しい関係。ずっとずっと私たちがみんなを幸せにしないといけない。忘れたの?私たちは広告塔なの。」
「そんな・・・。無理だわ。きっと私は耐えることができなくなる。そんな長時間、私は耐えられる自信がない。」
先日のゆりかのパンを食べた行為ですら短時間しか持たなかった。
それを五日間。常に見られている。
絶対に粗が出てしまう。
いや、それよりも。
ゆりかはこんな苦しんでいるのばらを見たくなかった。
苦しむのは自分だけでいい。
「のばら、私・・・貴女に負担ができるだけかからないように頑張るわ。だから・・・。」
ゆりかはのばらに手を差し伸べた。
いつも嘘の関係で、のばらがしてくれるように。しかし、所詮それは嘘の関係の時だけだ。
「うるさい!!」
のばらはその手を思い切り振り払った。
こんなこと日常茶飯事だ。
だが、今日ばかりはいつもに増してのばらの怒りが伝わってくる。
「いつも誰が貴女をカバーしているのよ!?貴女なんて信じられない!!それに貴女には分からない。私の潔癖の辛さは。貴女なんてただのコミュ障でしょ?それと比べようにならない!同じにしないで!!」
それを聞いて、ゆりかはカッとなる。
今にも彼女の頬を叩きたい。突き飛ばしたい。
辛さなんて比べないでほしい。
ゆりかがどれだけそのことで辛い思いをしているか。だから、そんなこと言ってほしくない。特にのばらには。
では彼女を引っ叩くことができるのか。
できない。
自分も種類は別としてその辛さもわかるのに叩くなどできない。
そして、そのようなことをしたらどうせ言われるのだ。汚い。どうせ言われるのだ。
そう思うと不思議とゆりかは冷静になってきた。
手の力が抜けていく。
そして、のばらに今言える最善の言葉をかけた。
「ごめんなさい。」
楽しみにしている日はあれほど待ち遠しく長く感じるのに、嫌だと思う日はいつだってすぐに来る。
ゆりかとのばらは二人、手を繋ぎながら合宿所へと向かった。
勿論、バスも隣の席。
ずっと二人は手を繋ぎ続ける。
前から後ろから視線を感じる。
話し声が聞こえる。
"ずっと二人は一緒なのね!"
のばらは手を繋ぐことが嫌がっているが、ゆりかは視線とヒソヒソ話を聞くことが何より嫌だった。
どういう目で見ている?どんなことを言われている?
嫌なことばかり考えてしまう。
ゆりかもまたずっと耐え続けていた。
のばらはというと、さすがに1時間ほどずっと手を繋ぎっぱなしでは辛いようで次第にゆりかの手を握る力が強くなる。
駄目だ。早く到着してくれ。
のばらではなくゆりかが冷や汗をかいてそう祈る。
そうこうしているとやっとバスは止まった。
のばらを見ると、安堵したような疲れたような表情である。
まだ何も始まっていないのにこんな様子では、この後彼女はどうなってしまうのか。
不安に思いながらも、皆が泊まる大部屋に案内された。
少しだけの救いはクラスごとに分かれていることだ。
しかし、のばらはそんなこと全く関係ないようで、今にも吐きそうな気持ちを必死に抑えている。
まだこんなことは学院内と同じはずなのに、これから起こることを想像しすぎて緊張をしているようだ。
「大丈夫?のばら。」
のばらの耳元でそっとゆりかは言う。
そうするとまだプライドは生きているらしく、ひと睨みするとこう言い返してきた。
「うるさい。そんなに顔を近づけないで。ゆりかに心配されなくても大丈夫。」
みんなと一緒に勉強することは大丈夫。
誰とも触れることもない。
これは学院生活と同じ。
みんなと食事することは大丈夫。
誰とも触れることはない。
これは学院生活と同じ。
ただ、早く手を洗いたい。
他の人もする手を洗う行為ではなく。
自分自身を落ち着かせるための行為。
だが、一心不乱に洗う姿など他の生徒には見られたくはない。
どこにそんなプリンスがいるというのだ。
その様子を見て、我慢できずにゆりかはのばらに言った。
「早く、手を洗いに行って。私はここで誰も来ないように見ているから。」
何か物言いたげだが、今のばらにそんな余裕はない。
「絶対に誰も来ないようにして。」
それからしばらく経って。ようやくのばらは帰ってきた。
口元が水で濡れているところを見ると、多分吐いたのだろう。
彼女が極度の潔癖だとは知っていたが、まさかここまでとは。
背中でもさすってあげたいが、そのようなことは逆効果。
いつものばらはゆりかを助けてくれる。
それは勿論、外での関係を守り切るための嘘の助け。
でも今もそうだ。外での関係を守るためにのばらを助けたい。
ただ、ゆりか場合は本当の関係の中でも助けたかった。
こんなのばら、もうこれ以上見たくない。
しかし、更にのばらを追い込むことが起こる。
「お風呂・・・?」
のばらが呆然と立ち尽くす。
そして必死に対外用ののばらを崩さないように教師に詰め寄った。
「あ、あの・・・先生?私、後で入ってはいけませんでしょうか?私、その・・・。」
だが、教師は無情な答え。
「今宮さん、貴女は学院内でなんと呼ばれているかは知っているわ。でも流石にここでは一緒に生活しなさい。」
「そんな・・・。」
ゆりかはそれを見て慌ててのばらに駆け寄った。
そして、自分も一緒になって教師に訴える。
「先生、私たち二人きりで入りたいのです。」
教師はため息混じり。
「天王寺さん。二人、仲が良いのも知ってる。でも、特別扱いはできないし、時間もないのよ。さぁ、早く入る支度をしなさい。」
無理矢理、教師に促されて脱衣室に二人は入れられた。
のばらは、きょろきょろと辺りを見回す。
大勢の生徒が着替え出す。もう中に入っている生徒もいる。
お湯をかける音が聞こえた。
途端にのばらは震えだす。
他人の服が置いてあった脱衣籠。
他人の使った桶。椅子。
他人が触ってすぐのシャワー。
そして何より、他人が浸かったのと同じお湯。
他人の汚れたお湯が自分の足にかかる。
汚い、汚い、汚い!!
「嫌っ!!」
のばらは大声でそう言うと、うずくまってしまった。
勿論辺りは、静まり返って彼女を見る。
いつもなら逆だ。
ゆりかが取り乱してしまう方だ。
だからこそ。
「すみません。のばらさんは貧血みたいです。少しここから離れますね。すぐ戻ります。」
そう言うと、ゆりかは震えるのばらを支えながら風呂場を後にした。
そして、廊下の影まで彼女を連れていくと声をかけた。
「のばら、大丈夫?立てる?」
のばらは座り込んだままで、まだ震えている。
「ゆりかっ!!」
「え・・・?」
のばらは急に立ち上がると、信じられないことにゆりかに抱きついたのだ。
ゆりかの思考回路は止まる。
だが、のばらがぎゅっと彼女を抱きしめ続けたので、我に返った。
「助けて・・・助けて!ゆりか!助けて!!」
のばらは完全に理性を失っている。
そんな台詞を言うはずがないし、何より汚いゆりかに抱きつくはずがない。
のばらは震えながらずっとゆりかを抱きしめ続けている。
そんなに・・・。
こんな形でこういうことはしてほしくはない。
でも今はそんなこと言っている場合ではない。
ゆりかは深呼吸をするとのばらを引き離して彼女の両肩をしっかりと持った。
「大丈夫!!私、絶対にのばらを助ける。先生に何とかしてもらう。何とか説得するから。少し待っていて。」
だが、のばらは首を振って反対する。
「何を言っているの!?貴女にできるわけがない。一人で演じきれるわけがない。理由なんてすぐ思いつかないでしょ!?貴女、人と話すのが・・・コミュニケーションをとるのが苦手なのよ?一人でそんなことできるわけがない!!だったら、ここにいて。ずっといて。」
「のばら、私・・・何度ものばらに助けてもらった。今度は、私が助けたいの。大丈夫、そりゃ・・・すごく嫌だけど。何とかするから。絶対に何とかするから。待っていて。」
そう言うとゆりかは再び風呂場へと走り出す。のばらを置いていくのは少し不安だったが、それどころではない。
「先生!!大変なのです!!」
ゆりかは教師を揺さぶった。
「どうしたの!?天王寺さん!?」
「あの・・・あの。」
言葉が出てこない。演じきれるか分からない。でも、やらなければ。
のばらを助けたい。
いくら嫌われてようが汚いと言われようが・・・。認めたくないけれど、ゆりかはのばらに・・・「恋」をしているから。
「・・・のばら、行こう?」
数分後ゆりかはのばらの所へ戻ってきた。
「行くって・・・どこに?」
「話をつけてきた。ここから少し歩くけど・・・ロッジがあるんだって。そこに個室のシャワーもあるみたい。」
「・・・!?ゆりか・・・なんて言ったの!?」
「多分・・・のばらが実は持病があるだの、もしかしたら発作を起こすかもしれないだの・・・それを看病できるのは私だけだの・・・あまり覚えていないけど・・・適当にごまかした。」
「・・・・・・。」
「行こ?」
ゆりかは手を差し伸べる。
だが、のばらはその手を取ることができなかった。
元ののばらだ。これでいい。これが今の二人なのだ。嘘なんてない。本当の関係だ。
少し胸は痛んだがのばらが解放されるなら、それでいい。
そして、二人は夜道を歩く。
距離を保ちながら。
すると、のばらがこう呟いた。
「ごめんなさい・・・。」
「のばら?」
「ごめんなさい。」
「のばら、やめてよ。そもそもそういう時は“ありがとう”って言ってよ。」
「ごめんなさい。」
ゆりかはそれ以上追及することはなかった。追及するつもりもなかった。
ロッジに入ると、ゆりかはのばらに先にシャワーを浴びるよう勧めた。
いつも、のばらが先に入る。その後ゆりかが入る。できるだけゆりかが掃除する。乾燥機をかけて完全に水が乾いたら、のばらが嫌々ながら全てを消毒して掃除する。気のすむまで。
それが二人の暗黙のルールであった。
今回も崩すことなくそれは行われる。
「私、どこでも・・・汚いのね。」
それから。
このロッジで過ごせるという安定剤を得たのばらはいつも通りに戻り、五日間を乗り切った。
いつものように演じ切ることができたのだ。
つまり、ゆりかはその嘘によって幸せな時間がここでも過ごせた。
「私たち、どこでも・・・嘘の関係なのね。」
全部知っていたことだけれど。
辛いけれど、悲しいけれど。震えるのばらをもう見たくはない。
やっと自分たちの部屋に戻ると、ゆりかは置いてきたくまきちに抱き付く。
「寂しかった!!また会えてうれしい!!」
だが、背後にのばらがいることに気づき慌ててくまきちを置いた。
のばらは何も言わない。
ただこう言った。
「本当に・・・ごめんなさい。」
ゆりかはため息をつく。
「のばら、もうやめようよ。“ごめんなさい”なんて言わないで。その言葉を言うと余計に自分が辛くなるから。私、分かるの。私が他の人の目を気にしすぎて・・・それ、ずっと言っていたから。でも、結局自分を追い詰めるだけだったから。あまり・・・言いたくはない。必要な時以外は。」
「ゆりか・・・。」
「私、のばらは汚いっていうかもしれないし気持ち悪いって思われるかもしれないけど、貴女のそんな顔・・・もう見たくないの。」
それを聞くと、のばらは下を向く。下を向いたままなので表情は読めなかったが、またこう呟いたのだった。
「ゆりか・・・ごめんなさい。」
ゆりかの言葉なんてのばらには届かない。
合宿で抱きしめられたのがもう最後になるだろう。だが決して嬉しくなかったし、もうないと思うと悲しい。
あんなに極度に潔癖なのだ。人と触れ合うことが気持ち悪くて仕方ないのだ。
自分だけが特別になるはずはない。未来永劫・・・。
「私、ずっと・・・汚いまま。」
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