既視感
nobuo
デジャヴュ
時刻は深夜の11時過ぎ。電車が遠ざかる音にやや遅れ、駅の階段を重い足取りで人々が下りてくる。彼らは一様に疲れきった表情をしており、ある者は待機していたタクシーに乗り、ある者は街路灯に照らされた薄暗い夜道へと歩いて行った。
その中の一人、紺色のパンツスーツと黒いパンプスに身を包んだショートヘアの若い女性は、家のある駅の反対側へと渡るべく、線路下を通る連絡通路へと向かった。
本来なら彼女は駅の西口を利用しているのだが、先週から補修工事を行っているため、東口で下りてわざわざ西側に回らなくてはならない。彼女を含め同じ境遇の人のほとんどは、遠回りでも少し離れた踏切を渡って西側に向かう―――のだが、この日は残業でいつも以上に遅くなったうえ、一歩も歩きたくないくらいにへとへとに疲れていた彼女は、距離の短い連絡通路を使うことを選んだ。
駅に併設されているスーパーの駐車場脇の狭い小路を進み、突き当りの武骨なコンクリートで囲ってあるだけの階段を下る。
階段を一段踏むごとに、カツンカツンとヒールの音が耳障りなほどに反響した。
階段を下り切ると、通路を歩きだす。天井と床はコンクリートが剥き出しで、両端には風によって運ばれたと思しき枯葉やゴミが吹き溜まっている。
ところどころ
まるでホラー映画に出てきそうな風景だ。
彼女も本当はこんな深夜にこんな所を通りたくはないが、とにかく一秒でも早く家に帰って休みたいという気持ちの方が勝ってしまった。
さっさと通り過ぎてしまえばいいのだと、腹を括って早歩きで進む。するとちょうど通路の半ばに差し掛かったところで、端に花束が供えてあるのを見つけ、足を止めた。
(やだ、何かあったのかしら?)
花束は萎れているが、枯れてはいない。最近供えられたばかりなのだろうか。よく見ればその付近だけゴミは落ちておらず、その代わり地面が薄っすらと赤茶色に染まっている。…気がする。
ぞわりと嫌な胸騒ぎを覚え、大袈裟にその場を避けて通った。
向こう側まではもう僅かな距離で、上りの階段がすぐそこに見えている。彼女は怠い脚に鞭打ち、階段まで走った。
下り階段と同じように、狭く罅割れた階段を靴音を響かせて上る。後もう少しという辺りで、上方に人影が現れた。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる、黒いジャンパー姿の人物。上着の中に着た白っぽいパーカーのフードを被っているせいで顔は見えないが、がっしりとした体格やゴツいバスケットシューズを履いていることから察するに、多分若い男性だろう。
彼はポケットに手を入れたまま億劫そうに階段を下り始め、彼女を一瞥することもなく擦れ違い、通路の奥へと姿を消した。
(またあの人かと思った。真夜中に知らない人と擦れ違うのって、やっぱり怖いわね)
遠ざかってゆく靴音に、詰めていた息を吐きだす。ひどく緊張していたのか、鼓動が早く手のひらに汗が滲んでいる。
気にし過ぎだと自分を嗤うと、彼女は再び階段を上りだし、…そして頭をよぎった疑問に足を止めた。
(”やっぱり”? やっぱりってどういうこと? それにあの人って…?)
わからない。けれどどうしても無視できないその疑問に操られるように、彼女は恐る恐る後ろを振り返った。
「……」
そこには対岸の階段を下りた時と同じく、地下通路に向かって伸びる階段があるだけ。
(…そうよ。考えすぎよね)
ホラー映画っぽい場所だから、そんな気分になっただけだろう。
彼女は怖がりな自分に呆れながら、再び階段を上るべく前を向き——————そして「ひっ!」と小さな悲鳴を上げた。
間近にあったのは、眼鏡をかけた背広姿の中年男性の肉付きの良い腹。咄嗟に顔を上げれば、影の差した丸い輪郭の中の虚ろな双眸が、無関心に彼女を見下ろしていた。
咄嗟に横に飛び退いて壁に縋ると、男性は何も言わずそのまま階段を下りてゆく。
バクバクと脈打つ鼓動を抑えながら男が過ぎるのを待つ彼女は、ふと既視感を覚えた。
背広のボタンがはじけそうな横幅のある体型。眼鏡の奥の何も映さない二つの小さな目。
しかしあの時だけは愉悦に歪み、三日月のように不気味に細められていた。
(あの時…? あの時って、いつ?)
額を押さえて懸命に思い出す。すると次第に記憶が浮かび上がってきた。
(そうだわ。
次々と鮮明になってゆく恐ろしい記憶。まるでたった今刺されたみたいに彼女の全身を鋭い痛みが襲った。
激しい痛みと眩暈に耐えながら、先ほどの男を追うように震える脚で階段を下りると、狭い通路の半ばほどに立ち止る人影を見つけた。
花束があったあたりだ。男は暫く佇んでいたが、唐突に甲高い声で笑い出すと、
(
彼女は激痛を訴える胸元を両手で押さえると、憎らし気にその光景を見つめ、そして解けるように静かに…消えていった。
既視感 nobuo @nobuo
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