第7話 審問官は魔術を使う


「これでもう、わかったと思いますけど。真犯人はルカスで、ロウ副隊長は嵌められただけだった」


 テオドアがそう宣言すると、誰かがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。次に聞こえたのは、深く息を吐き出す音。ひりつく緊張感が支配していた空気が、徐々にゆるゆると解けてゆく。


 ルドガーは眉間に皺を刻んだまま目を閉じて、なにか考えている。イーヴォの表情にあまり変化は感じられなかったけれど、顔色は悪いままだ。もしかしたら、感じなくてもいい罪悪感を感じているのかもしれない。


 デヂモはホッとしたようでニヤけた顔でロウの元へ駆けて行った。そのロウはまだ目を覚さない。ちょっと起きなさすぎでは、と心配になってくる。あとで救護員のエジェオを呼ぼう、とテオドアは決意した。


 ジルドは周りの様子などどうでもよさそうな顔で、ルカスたちを封じている水晶クリスタル壁を眺めていた。あれは襲撃者なかみたちではなく、水晶壁そとみを分析している顔つきだ。


 そして、封じられたまま意識だけ活かされて、一方的にテオドアの演説を聞かされていたルカスは、というと。

 怒りと屈辱で顔を赤黒くさせていた。せっかく整った顔立ちをしているというのに、台無しだ。赤い眼を吊り上げ、叫びたいのに喉は振るわない。その心情は、幾許のものか。


 決してルカスに同情したわけではない。ないのだけれど、物言えずこのまま、というのは、テオドアの信念に反する。たとえそれが、罪を犯したものであっても。


 だからテオドアは、ルカスに向かって微笑んだ。あくまでも仕事用の無機質な笑顔で、だけれど。


「まあ、このまま弁解の機会も与えられず捕まるというのは、きっと彼も無念だろうから、言い分くらいは聞いておこうか」


 テオドアがパチンと指を鳴らすと、ルカスを拘束し封じていた魔術の一部の式が、スルリと解けた。つまり、口と喉が解放されて喋れるようになったということ。

 声を出せることに気づいたルカスは、ギャンギャンと犬のように吠え立てた。


「解放しろ! 私を捕らえるということは、それ自体が騎士団にとって不利益となるぞ! いいからさっさと解放しろ!」

「あらら、正直なのか、尊厳プライドが高いのか。あんた、やってない、とは言わないんですね」

「……っ!」


 まあいいや、と呟いたテオドアは、図星を突かれたかのように奥歯を噛み締めて黙ったルカスに近づいてゆく。


 サク、サクと芝を踏み締めながら歩くテオドアは、すでに魔術式を編みはじめていた。今、こうして会話をしている精神的余裕リソース以外は、すべて式の構築へ回してしまう。


「おれの医療魔術士ドクターには止められてるんですけど、やっぱり視たほうが早いんで」

「おい、テオ。やめとけ、死ぬぞ」

「大丈夫ですよ、ボス。デラクレス隊長を視るのに使ったほうじゃなくて、簡易版のほうを使います」


「はぁ? そんな術式を開発したなど聞いてないぞ!」

「言ってませんし、まだ開発途中なんですよね」

「それなら尚更だ!」


 やめろ、とわめくジルドの言葉は無視をした。ついでにジルドの脚を大地に縫い止める簡単な魔術もかけておく。

 テオドアが使う記憶参照の魔術には、確かに使用制限がある。医療魔術士ドクターからは、記憶参照魔術の連続使用は控えろ、としか言われていない。と、屁理屈をこねて式を編む。


 今、展開しようとしている魔術式は、厳密に言うと記憶参照ではないから。視覚と聴覚だけを抜きだして視るだけの、簡易版。

 魔塔でのテオドアの二つ名は『天井知らず』。魔力総量を計測する道具を二度ほど壊した過去がある。


 テオドアの魔力量ならば、理論上はたとえ記憶参照魔術であっても連続使用にも耐え得る、という試算をだしたのは使用制限をかけた医療魔術士ドクターだ。


 そもそも、連続使用不可の制限がかかっているのは、消費魔力量に伴うものではなく、もっと物理的な身体負荷が理由である。テオドアの身体が、器が、魔力と魔術に耐えられないから。

 いくら簡易版であっても、肉体への負荷が高い魔術であることに変わりはない。


 けれど、とテオドアは思う。

 けれど魔術士には、やらねばならぬ時がある。たとえそれが、死の淵を歩くようなことであっても。


「おい、やめろ。暴くな!」


 身動きの取れないルカスが激しく抵抗を見せる。口だけでしかできない抵抗は、果たして真の意味での抵抗だろうか。

 どのみち、弁解の機会を与えられたというのに有効利用しなかったルカスには、もう、この方法しかない。


「大丈夫、頭の中を覗くなんて高度で悪趣味な魔術ではないんで。ちょっと記録ログを覗いて眼を奪うだけだ」


 その言葉と同時に魔術式は完成した。なんの合図もなしに静かに展開されてゆく。

 すると、だ。

 ルカスを拘束している水晶クリスタル壁がざわりと一度身震いするように震え、静まったところで音声つきのある記録ログが投映されはじめた。


 それはつまり、ルカスがどうしてデラクレスを殺したか、という回答こたえだった。




 その記録ログは、唐突にはじまった。

 石造りの壁と天井。オレンジ色を灯す洋燈。ぶつかり合い弾かれ、また打ち当たる剣戟の音。荒い息づかいはひとつだけ。もうひとつは楽しそうに笑っている。


 演習場に備えつけられたなんの銘もつけられていない剣で、彼らは手合わせをしていた。ルカスとデラクレスだ。


「ははは、今日の趣向はなかなかにいいぞ! 面白いな、どんな手を使った?」

「それを答えると?」

「違いない!」


 笑ったのはデラクレス。愉快そうに頬を緩ませて生き生きと剣を振るう。けれど、二度、三度、と剣を打ち合わせる度に、デラクレスの動きが鈍ってゆく。

 ロウの振りをしたルカスは、淡々と剣を打ちつけ、流され、また打ち当ててデラクレスを追い詰めてゆく。


「ああ、楽しい! 楽しいな! だが、この楽しい時間も残りわずかだ。俺はそろそろ隊長を辞める。後継はロウを指名しよう。後継はロウだ、お前ではない」


 突如、デラクレスが豹変した。

 それまで楽しそうに、満足したように、上機嫌で剣を太刀を浴びせていたというのに、急に冷えた声と眼差しでルカスを見やる。


 銀色の双貌には、赤紫色に光る小さな魔術式が浮かんでいる。だからデラクレスの眼は、視界は、耳や認知は、まだ誤認の魔術がかかっているというのに、だ。


「……っ、まさか、気づいて?」

「いくらお前がアレの太刀筋を真似たとしても、まるで似つかない。これで気づかぬほうがおかしい」

「そんなにあの男がいいのですか⁉︎」

「アレは俺が磨いた。至高の狼になり得る狐狼の騎士だ。第三部隊の隊長は、そういう男が相応しい」


 デラクレスはそう言うと、たたらを踏んで数歩退がった。そして、もう終いだと言わんばかりに剣を鞘に収めてルカスに背を向ける。

 その背に追い縋ったのはルカスだ。握っていた剣をガランと投げだし、デラクレスの背中に向かって大きく叫んだ。


「それは違う! 私こそ相応しい! 貴方に心底焦がれている、私のほうが!」

「お前では無理だよ。そうやってすぐに本心を叫んでしまうような、お前には。せいぜい小細工をして俺の動きを鈍らせることしかできやしない」


 言って、デラクレスは痺れて震える自分の指先を一瞥いちべつし、けれど気にもとめずに言葉を続けた。


「まあ、まやかしの術を用いてここまで苛烈な戦闘は、初めての体験だった。そこは評価してもいい。だが、二度はない」


 少しだけ。ほんの少しだけ上擦った声ののち、それとは真逆の硬い声。デラクレスはルカスに背を向けたまま、拒絶の意思をはっきりと示した。

 だからルカスは静かに息を吐いた。吐いて吐いて、肺を空っぽにしてから息を吸う。


 そうしてデラクレスへ殺気を放ちながら、投げだした剣を音も立てずに拾う。それから慎重に指先を動かして、懐に忍ばせていた毒の小瓶アンプルを取りだした。


 デラクレスの演説はまだ続いている。けれどルカスは、もう、デラクレスの言葉など聞いてはいない。


「だが、ロウは違う。あいつは本物だ。あいつだけは、俺の本気を受け止められる!」


 感情と気分が乗って声を張り上げていることに、デラクレスは気づいていない。その声が、ルカスの接近音を掻き消してしまっていることにも。

 ルカスは毒の小瓶アンプルをパキリと折って、手にした剣に満遍なく振りかける。その音にも、デラクレスは気づいていない。


 そして。

 デラクレスに忍び寄ったルカスは、彼を背後から抱き締め、脇腹へ一撃。深く切り裂いて別れを告げる。


「さようなら、デラクレス隊長。あなたの間違いは私を選ばなかったことだ」


 と。

 記録ログはそこでブツリと切れた。




「隊長が悪いんだ。あのひとが、悪い。隊長をやめるだなんて、そんなこと、あってはならない。ましてや、ロウに隊長の座を譲るだなんて、もってのほかだ」


 静まり返った回廊に、ルカスの身勝手な言い分が響く。テオドアはそれをただ黙って聞いていた。テオドアとジルド以外の人間は、怒りと虚しさで声を失っている。


「剣の腕が少しいいくらいで取り立てられただけのあんな男に。なんでだ、私のほうが、より強く、隊長を信奉しているというのに!」


 ルカスの演説が続く中、ロウはまだ目覚めていない。

 寝すぎでは、と不安に思う一方で、テオドアはロウがまだ寝ていてくれてよかった、とホッとした。なぜなら、ルカスのことを友人だと言ったロウの緩んだ顔を思いだしてしまったから。


 ルカスのことは、遅かれ早かれ知ることにはなるのだろうけれど、今は、まだ。まだ夢の中で休んでいてほしい。

 そう思いながら、言質を取るためにルカスを追い詰める。追い詰める、というよりは、自ら白状するよう促した。


「……だから殺したんですか?」


 テオドアが搾りだすように吐いた問いに、ルカスの赤色の瞳が爛々と輝いた。魔術残滓による赤紫色ではない。狂気によって濁った赤だ。


「私を選ばない隊長では、意味がない。だから殺した。殺すつもりはなかったが、殺さなければならなくなったから」


 狂えるままに自白したルカスは、満足したような恍惚とした表情で、それ以上なにも言葉を発しなかった。

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