雨の放課後
大豆の神
雨の放課後
「雨、止まないかな」
放課後の教室。外を眺めていると、隣の少女が不意に呟いた。こんな言い方をすると未知の存在みたいだが、アマネは私と同い年で同じクラスの普通の女の子だ。何か特別な力が使えるとか、世界のために戦っているとかではない。本当に普通の女の子。人並みに笑って恋して悲しんで、そうやって青春を謳歌してる高校生だ。
「早く帰らないと、観たいドラマ始まっちゃうよ……」
そして今も、流行りの俳優にご執心の様子。私には何が良いのかさっぱりだが、彼女曰く「カッコよくて優しそうな顔」らしい。それだけ聞くと、どこにでもいそうな優男でしかないけれど。
「やっぱ私、雨って嫌いだな」
「どうして?」
「だって髪はボサボサになるし、湿気は鬱陶しいし、良いことなんて一つもなくない?」
今だって雨のせいで待ちぼうけなんだし、と彼女は最後に付け加えた。
「カエだって嫌じゃない?せっかく綺麗にしてる髪がうねったりしたらさ」
「まぁ、それはそうだけど」
私は自分の髪を指に絡めながら答える。私の髪型を端的に表すなら、茶髪のロング。癖っ毛なこともあり、雨の日は髪が絡まることも多くて手入れが面倒だ。アマネのように短くしてしまおうかと思ったこともあったが、彼女に止められ見送った。
前は、アマネみたいな黒髪に憧れたりもした。茶髪だと服装検査の度に勘違いされるし、遊んでると誤解される。でも今は、この髪を気に入っている。そのきっかけになったのは、アマネとの出会いだ。
――――――――
一年前 四月
高校に入って初めてのクラス替え。「同じクラスになれたね」「これからよろしく」など、教室は盛り上がりを見せている。一方、私がクラス替えで変わったことといえば、周りの景色くらいだった。
そして月日は流れ、六月。梅雨がやってきた。
「あ、傘忘れた」
鞄に常備していたはずの折り畳み傘も、今日は見当たらない。仕方なく、雨が止むまで教室で過ごすことにした。
教室には先客がいた。外を眺めていて顔は見えないが、おそらく同じクラスの女子生徒だろう。うなじに掛からないくらいの黒髪が印象的だった。弧を描く毛先はまとまっている。綺麗な髪だと思った。私とは違う、吸い込まれそうな黒髪。気づけば私は、彼女に目を奪われていた。
「あなたも雨宿り?」
振り返り、声を掛けられる。しかしその声は、私の耳に届かない。
「ねぇ、聞いてる?」
覗き込むように顔を近づけられ、ようやく意識が追い付いた。
「びっくりした!いきなり何?」
慌てて彼女から距離を取る。心臓が飛び出しそうになるというのは、こんな時に使うのだろうか。その様子を見ると、彼女は両手を腰に当てて言った。
「何はこっちのセリフだよ。扉を開けたと思ったら、ボーっとこっちを見てきてさ。私の髪に何か付いてた?」
何か付いてるというよりも、
「……綺麗だなって思って」
つい思っていたことを口に出してしまった。
「カエって意外と素直なんだね」
「私の名前、なんで知ってるの」
「同じクラスなんだから当たり前でしょ。ていうか後ろの席だし」
初耳だった。考えたら、プリントは後ろを見ずに渡すし、回収される時はぼんやりと外を眺めていたから、知らないのも無理はない。しかし、彼女はそう思ってくれなかったようだ。
「もしかして、私の名前知らないの?」
疑うように目を細めると、私に詰め寄ってきた。
「……知らないです」
彼女の圧に押され、目を逸らしながら答える。すると、彼女の声が弾けた。
「あっはっは!ごめんごめん、怒ってないから怖がらないで」
「別に怖がってないけど」
「ふふっ、あんなに震えてたのに?」
「震えてない」
こんなやり取りをしたのは、いつぶりだろう。まるで友達と言い合うような、そんな距離感が懐かしかった。
「私はアマネ。ちゃんと覚えてね、怖がりさん」
「だから怖がってない」
しかし私の抗議は、あっさり聞き流されてしまった。
「はーい。さっきカエさ、私の髪を褒めてくれたでしょ?」
「あれは、思ってたことが口から出ただけで……」
「じゃあ綺麗だなって思ってたってことじゃん」
向けられた笑顔に言葉が詰まる。さっきからアマネのペースに乗せられてばっかりだ。
「私も思ってたの。カエの髪、綺麗だなって」
「え?」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「後ろの席でずっと見てたんだよ。カエは気づいてないと思うけど」
「うん、知らなかった」
「カエってば、クラス替えした日から話しかけるなオーラ出まくりだったんだから。それで私もみんなも話しかけづらかったの」
元々友達の少なかった私は、高校に入ってからも誰かと積極的に交流を持とうとしなかった。その弊害が、知らないところで生じていたみたいだ。
「ねぇ、私たち友達になろうよ。カエの綺麗な髪、これからは私に触らせてね」
この日、私たちは友達になった。
――――――――
放課後の教室。傘を忘れた私たちは教室で待ちぼうけを食っている。
「雨、止まないかな」
今日は夕方から、観たいドラマがあった。好きな俳優さんが主演だから見逃したくない。ぼやいたところで晴れるわけじゃないけど、つい口に出してしまう。
「早く帰らないと、観たいドラマ始まっちゃうよ……」
カエはこういうことに興味がないみたいで、俳優さんの話をしても響いてなさそうだった。芸能人もそうだけど、男子の好みも聞いたことがなかった。カエって誰が好きなんだろう。
「やっぱ私、雨って嫌いだな」
ダメだ、考えないようにしても愚痴が漏れてしまう。それもこれも、今日予報が外れたのが悪い。
「どうして?」
カエが不思議そうに尋ねてくる。そんなの決まってるじゃん。
「だって髪はボサボサになるし、湿気は鬱陶しいし、良いことなんて一つもなくない?……今だって雨のせいで待ちぼうけなんだし」
聞いてるのか聞いてないのか、はっきりしないカエを見て思う。この子も、自分の綺麗な髪が湿気でうねるのは嫌だろう。
「カエだって嫌じゃない?せっかく綺麗にしてる髪がうねったりしたらさ」
そう言うと、彼女は指に髪を絡めながら「それはそうだけど」と呟いた。
この雨は、いつになったら止むんだろう。ドラマのことは抜きにしても、そろそろお腹が空いてきた。そんなことを考えてると、カエが口を開いた。
「私は雨、好きだな」
「えー、なんでよ」
「だって雨が降ると、アマネと雨宿りできるでしょ」
微笑みかける彼女は、びっくりするくらい美しくて。うるさく鳴る鼓動が、雨音をかき消してしまった。
もし、この鼓動が雨音だったら、きっと大雨に違いない。
「あ、晴れたみたいだよ」
いつの間にか太陽が顔を出していた。雨粒を反射した夕日が窓から差し込んでいる。
「帰ろっか」
手を差し伸べる彼女の髪は、その光を受けて、より一層綺麗に見えた。
「――私も雨、好きになったかも」
雨の放課後 大豆の神 @imonoimoino
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