△▼△▼泥棒と小さな画家△▼△▼

異端者

『泥棒と小さな画家』本文

 とある公園のベンチで、男は何をするでもなく座っていました。

 公園は平日の午後なので、子連れの母親が居るぐらいで大人の姿はまばらです。そんな中、男の姿は少々浮いたものにも見えます。

 もっとも、その男の仕事は夜になってからでした。いろいろな事情があって、見通しのきく真っ昼間にはしたくなかったのです。

「おじさん、泥棒でしょ?」

 ふいに男に声がかかりました。そちらを向くと、手さげ鞄を抱えたまだ小学校低学年ぐらいの少年が居ました。

「どうしてそう思う?」

 男は内心ドキリとしましたが、顔には出しませんでした。

 少年ははっきりとした声で言いました。

「思うんじゃない……分かるんだ」

「なんだ。勝手な決めつけじゃないか」

「違うよ。絵を描こうとすると見えるんだ」

 少年は手さげ鞄の中身をベンチの上に広げます。スケッチブック、筆箱――どれも画材ばかりです。

 少年はスケッチブックをパラパラとめくると、あるページで手を止めました。

 そこには、のんびりとベンチに座る男の姿が描かれていました。

「これが、何か?」

 まだ子どもにしては良く描けているな――そう思いながら男は少年に問いかけます。

「描いていると、分かるんだ。その人の中身が――」

 少年は言葉を続けます。

 初めに気付いたのは、少年が母の日に母の絵を送ろうとして描いた時でした。画材を手にして集中していると、なぜかその人の内面をのぞき込めることに気付いたのです。

「きっと、絵を描く時はすごく集中するからだと思う。……だから、普段見えない物まで見えてしまう……」

 こうして、少年は知りました。

 母が家族に不満を持っていることを。そして、今の生活に満足していないことも。

「錯覚だ。でなければ妄想だろう。……根拠はあるのか?」

「筋肉の付いた人を見れば、きたえていると分かるでしょ? 傷跡のある人を見たら、過去に大きなケガをしたと分かるでしょ? それと同じことで、鉛筆を手にして相手を見ればその人の中身が分かるのがおかしい?」

「詭弁だな。それは」

 男はそう言いつつも、表情に動揺を隠せませんでした。この少年は知っている――男が真っ当な人間でないことを。

「しかし、もし私が泥棒だとして、君はどうする? 警察に駆け込んでも、誰も聞いてくれないぞ」

「確かにそうだと思う。だから、おじさんに直接言ったんだ」

 ――それは、なんと……

 なんと純粋な少年だろう。男は内心感心せずにはいられませんでした。

 男が盗みを働いた際、目撃されたことは何度かありました。けれども、厄介ごとに見て見ぬ振りをする人間も少なくないようで、警察が来たのはずっと後のこともありました。

 男は少年の体をじっと見ました。細くて華奢な体です。

「直接言ったら、危ないとは思わなかったのか?」

「おじさんが特別に危ない訳じゃないから」

 少年は続けます。

 通りすがりの青年を描こうとしたら、青年は誰かに乱暴したくてたまらないのを我慢していることが分かったことや、学校の先生を描こうとしたら女子生徒に悪戯したいと思っていたこと――どれも意外といえば意外でしたが、皆隠された部分があることが分かりました。

「つまり君にとって、泥棒は特別な存在じゃないんだな?」

「少なくとも、僕の中ではそうだよ。僕はおじさんがこの仕事に満足していないこと、それでも他人と向き合う仕事をしたくないことも分かるよ」

 男は心臓がバクバクと脈打つのが分かりました。そうだった――確かに、最初は真面目に働いていて、でも職場は嫌な奴ばかりで職を転々として……それで……。

 ――自分が他人と向き合いたくないと思ったのはいつからだっただろう?

 男はぼんやりと思いました。最初の仕事を辞めた時? それとも次に間に合わせで始めた仕事で? いや、もっとずっと前、本ばかり読んで他人と交流をろくにしなかった学生時代からか?

 男は自分の周りの世界が、グニャリと歪んだように感じられました。

 一体、この少年は何者だろう? 今更自分にそんな事実を突きつけて、どうする気なのだろう?

 男は迷いました。少年はその様子をじっと見守るだけでそれ以上何も言いませんでした。

「それでも、私が泥棒を続けたら君はどうする?」

 男の口から出たのは、素朴な疑問でした。

「何も、何もしないよ。さっき言ったように根拠は無いから警察にも言えない。だから、もし泥棒を続けたければ続けても別に良いよ」

 ――何を言っているんだ、この少年は。

 それはおかしい。男はそう思いました。

 この少年は、自分が泥棒をするのを止めに来たのではなかったのか? それなのに「続けても良い」だと? 何が言いたいのか?

 男はどうしても少年が理解できませんでした。それは答えのない問いのようで、疑問が頭の中をグルグルと回り続けます。

「……やめよう。もう、こんな仕事は終わりにしよう」

 男はぽつりと言いました。

 目の前の少年は自分を止めに来た神様ではない。やめる義務も、必要もない。

 だが、他人と向き合いたくないから泥棒になった――そう言われて、自分の影の部分を突きつけられたのは事実でした。

「そう……。それは良かった」

 少年はにこりともせずにそう言うと、画材を片付けて歩き出そうとしました。

 その時、男はふと思ったことを口にしました。

「他人のそんな部分ばかり見せられて、辛くないのか?」

 少年は振り返って答えました。

「それは僕にとっては当たり前のこと。だって、僕自身もそんなに立派な人間じゃないことを知っているから……」

 少年は少しだけ悪戯っぽく笑いました。

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