2ー9 昼休み
「約束?」
「そう、約束。晴三郎と約束したから俺を助けてくれたんだって。それ以外は教えてくれなかった」
友人にはなの存在を教えてもいいかと確認をとると、「春日の者なら構わない」と彼女は頷いた。
黒い靄に襲われたことも含めて全て話した。
ちなみに神社には朝一で電話をかけた。直接訪れる勇気はなかった。
「昨日の面、早めにお祓いしたほうが良いですよ」
電話口の英の唐突な言葉に佐久間さんは不思議そうにしながらも余計な詮索はせずに、「すぐに準備してやろう」と応じてくれた。
それももう終わっている頃だろう。あの面も気を鎮めて静かに眠ってくれるといい。
昼休みの音楽室には洸と英の二人だけ。
洸は卒業式の合唱の伴奏を任されていて、その練習をするために連日、昼休みには音楽室に来ていた。自宅にピアノがあることを黙って音楽室の使用許可を貰い、数日とはいえ自由に過ごす空間を手に入れていた。
英も毎日のように来てピアノに耳を傾けていたから人が来ないと知っている。
秘密の話をするにはちょうど良かった。
いつもなら、洸のピアノが流れ、部屋の隅にいる橘が目を閉じて心地よさそうにしている。
「絵に封じられていた理由は?」
「それも教えてくれなかった」
絵に封じられていた理由も、なぜ晴三郎と約束をしたのかも、妖であるはなを絵に描いた方法も、秘密だと教えてはくれなかった。朝はあまり時間がなく、簡単に質問を投げるだけになってしまったが、多くを語ってくれようとはしなかった。
「晴三郎には、はなと呼ばれていたらしい」
「はな、か。いつか晴三郎のことも聞けたらいいな」
そう呟いた洸は、純粋な時枝紫英ファンの顔をしていた。
洸がポロンポロンとピアノを弾き始める。合唱曲ではない。練習前に準備体操がわりに簡単な曲を手遊びのように弾く。クラシックからジャズ、流行りの曲まで網羅している洸のレパートリーは豊富だ。
「知らない曲だ。なんの曲?」
「神社を紹介する番組のテーマ曲」
「なんでそんなの弾けるんだよ」
「母さんが家で仕事の資料広げたままぼーっとしながらよく流してる番組なんだよ。現実逃避にちょうど良いらしい」
「休憩と言ってあげなよ」
洸の母は時枝紫英の研究者であり、紫英の現存・確認されている多くの作品を収蔵している美術館の学芸員を務めている。
たまに会うと楽しそうに仕事の話を聞かせてくれるが、とても忙しいようで、洸の家には何度もお邪魔しているが、まだ片手で足りるほどしか会ったことがない。
「ちなみに最近では、あの展覧会の資料を広げてやってた」
「大変そうだね」
夏頃に始まる企画展では特別な作品の展示が予定されている。その準備に忙殺されているらしい。
「だろうね。楽しみな」
ピアノの音が跳ねた。
「俺は胃が痛い」
「ははっ、英が緊張してどうすんだよ。そういえば搬出日決まったから他の予定入れるなよ。英がいないとそれこそみんな緊張してしまう」
「了解」
それからは二人とも口を閉じる。
校庭でサッカーで盛り上がる声、廊下を通る足音、明るい笑い声、学校の喧騒を遠くに感じながら洸の音色に耳を傾ける。
高校も同じだから、またすぐに洸と一緒で新しい学校生活が始まる。
それでもこの校舎で過ごすのがあと数日かと思うと、少しだけ寂しいような気がした。
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