第3話 出会い


 あれはまだ高校に入学して1週間も経っていない頃。私は新しい革靴に靴ズレしてしまい、痛いのを我慢して履いていたのだが、その日の帰りはとうとう耐え切れずに途中下車して、コンビニに絆創膏を買いに行こうと思ったのだ。しかし帰りの電車は座れずにずっと立って居たためか、少し歩くだけでも痛くてホームから降りた所にあったベンチで休んでいた。靴下を脱ぎ踵を確認すると、やはり皮がむけ血が滲んでた。


「やっぱり今日はスニーカーにすれば良かったのかも……」


 せっかく憧れの女子高生生活。ローファーを履くのが高校生らしくて、無理して今日も履いてきてしまったのだ。お母さんには反対されたけど押し切ってしまったのを今さら後悔する。少しずつ慣らして行けば良かった。そう思うとじわじわと涙腺も緩んできてしまう。涙が一粒零れ落ちた時、目の前にあのお兄さんが立って居た。


「あの、これ良かったらどうぞ。革靴って慣れるまで辛いから」


 そう言って絆創膏を2枚渡してくれると、お兄さんはすぐに去って行った。


 思わぬ救世主に私はお礼を言うことすら出来ずに、ただお兄さんが去って行くのを見ていた。暗く沈んでいた気分が一気に温かい気持ちになる。もらった絆創膏を貼り、なんとか帰宅した私はあのお兄さんの顔を何度も思い返していた。決してイケメンではない。髪は短く切りそろえられ清潔感があったが、ネクタイを少し崩して腕まくりしていた様子は少し気だるげに見えた。平凡なやる気なさそう、そんなイメージのサラリーマンだ。


 あのお兄さんにお礼を言わなきゃと思って、電車に乗るたびに姿を探すがなかなか見かけない。試しに途中下車した駅でしばらく待ったりもしたのだが、何も成果が上がらなかった。しかし体育祭の朝練でいいつもより30分早く登校しないといけない日にやっとお兄さんの姿を見ることが出来たのだ。ドキドキドキドキ、胸がすごい速さで鼓動を刻む。話かけようと何度もお兄さんの方をチラ見するが、私には全く気付かない様子で3駅先で降りてしまった。


 それからは毎日30分早い電車に乗り、お兄さんを探す日々が始まった。お兄さんが近くに座ったら、横目でスマホの画面を覗き込む。お兄さんは猫の動画を見ていた。可愛い……、猫の動画を見るサラリーマンが可愛すぎる。しかも動画を見る表情に全く変化がなく、顔が緩むのを我慢しているのかなと勝手に想像して楽しむ。朝から猫に癒されているのかなと思うと微笑ましい。


 また月曜日にはジャンプの入ったコンビニの袋を抱えてくることも分かった。座れれば読んでいくし、座れなければ降りる前にカバンの中にしまっている。いつまでも少年の心を忘れない感じも可愛い。



 そしてお兄さんはやっぱり優しかった。いつもは座席が空いていれば座るのだが、同じタイミングで電車に乗る人にお年寄りや小さな子供がいれば、その人達が座るまでドアの近くで待ち、その人達が座った上で空いている席があれば座るのだ。さり気ない優しさに気づけて一人で勝手に嬉しくなる。


 時々後ろの毛が寝ぐせで跳ねてること、降りる前にネクタイを締めなおして気合を入れていること、あくびを嚙み殺して涙目になること……。そうやってお兄さんを観察するうちに、いつの間にかお礼をいうという最初の気持ちを忘れ、私はどんどんお兄さんのファンになって行った。それが恋心だと気づいたのはいつだっただろう。







「今週はお兄さんに会えなかった。ツライ。来週は会えるかなぁ」


「会えるって一方的に見てるだけじゃん」


「そうなんだけど、一目見ただけで幸せな気分になれるんだもん」


「それってもう恋じゃない? 好きなん?」


「好きって違うよ! そんなんじゃないもん」


「私には恋してますって感じにしか見えないけどな」


「むむむ!」


 黙り込む私を面白そうに覗き込む千里。これが好きってことなの? 今まで好きになった人とは全然違うのに? 今までは一緒にバカ騒ぎしたり、相手が体育祭とか部活で活躍する姿を見てかっこいいと思い好きになってた。お兄さんのことは何も知らないのに、可愛いとは思うけど別にかっこいいとは思わないのに。ちゃんと話したこともないのに、それでも好きなのだろうか。


「もしお兄さんが女の人と一緒に電車に乗ってきたらどう思う?」


「……嫌だ。苦しい」


「ほら、好きなんだよ」


「うん、好きかも知れない。どうすれば良いんだろう」


「それは千尋次第だよ」


「うん。考えてみる」


 家に帰ってから、もしお兄さんに彼女が居たらだとか、結婚していたらだとか考えていたら想像しただけで涙が出てきた。やっぱり私は名前も知らない、ちゃんと喋ったこともないけどお兄さんのことが好きみたいだ。



 やっぱりお兄さんの好きな所ありすぎて書ききれない。とりあえずまずは優しいってことかな。私は次に渡す用の手紙に『優しいところが好きです』と書いて、通学のバックにしまう。そろそろ新しい便箋のセットを買ってこなければ。明日の帰りにロフトに寄って可愛いのを探そう。



 翌日の月曜に、お兄さんのことをドアの横で待つが、結局その日はお兄さんが現れなかった。今週はまた通勤時間が合わないみたいだ。しかし2週間経ってもお兄さんを見かけることはない。今までもこんな調子だったのに、あの声を掛けた日からどんどん欲張りになっていく。早くお兄さんに会いたい。帰りの電車でも見られたら良いのに、帰りは滅多に見ることが出来ない。最初に絆創膏を渡してくれた日と、あの告白の日しか帰りの電車では見たことはないのだ。


 あの告白の日も文化祭の準備でかなり遅い時間まで学校に残っていたので、電車に乗ったのも21時を過ぎていた。帰宅部な私は普段はもっと早い電車にしか乗らないのだ。疲れた、怠いと思いながら電車に乗っていたらまさかのお兄さんの登場でテンションが上がる。帰りに見かけたら絶対声を掛けると決めていた私は、お兄さんが降りる駅に着くと慌てて一緒に降りる。そしてあの告白劇に至ったのだ。



 そんなことを思い返していると、久々にお兄さんがホームに立って居て安心する。今日はちゃんと手紙を渡すんだ。入ってきたお兄さんにいつものように手紙を渡すと、お兄さんが怪訝そうに見てくる。


「??」


「ずっと待ってたのか?」


「はい、2週間ずっとここで今日は一緒の電車かなって待ってました」


「……そうか」


 そう一言だけ言うと、お兄さんはいつも通り座ろうと座席に視線を向けるが少し出遅れたせいで座席はすべて埋まってしまっていた。お兄さんは仕方なしに私と向い合せになるように扉の横に立つ。


「……すみません、座れなかったですよね」


「別に」


「今週はこの時間なんですね。嬉しいです」


「俺は嬉しくもないけどね」


「むむっ! もう少し優しくしてくれても良いのに」


「挨拶以外許可してなかったはずだけど」


「あっおはようございます」


 そう笑顔で挨拶すると、お兄さんもフッと微かに笑ってくれた。初めて見る表情に顔が赤くなってしまう。ニヤニヤとしてしまう表情を引き締めるようにパンパンと頬をたたく私を不思議そうに見るお兄さん。


「なんだ?」


「何でもないですっ」


 お兄さんには乙女心は分からないらしい。結局それしか会話が出来ずにお兄さんは降りてしまうので、慌てて声を掛ける。


「お仕事頑張ってください!!」


「あぁ」


 少し驚いた表情をしながらも、返事を返してくれる。お兄さんと会話が出来たことが嬉しくて私は満足していたのだが、なんと次の日思いもよらなかった出来事が起こったのだ。



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