君と変える世界

たつみ暁

君と変える世界

 ぽた、ぽた、と。

 夜闇の中でも「赤い」とわかるものが、指でおさえた肩から溢れて地面に滴り落ちる。

 傷は深い。こんな後れを取るなんて、不覚だ。

「畜生どもが……!」

 俺は荒い息をつきながら、精一杯の罵倒を洩らした。


第六感感応者シックスセンサー保護法』


 西暦二一五三年に日本で施行されたその法律は、その五十年ほど前から、世界各地で突如増え始めた、『第六感』を持ち合わせる人間に対応する為に、各国に倣って作られた。

 虫の知らせ、嫌な予感など、言葉で表せない感覚から、飛び抜けた五感。果ては、空間跳躍テレポートをしたり、声に出さずに人に話しかける念話テレパスをしたり、発火能力パイロキネシスなどと呼ばれる、超能力。

 そういった人知を超えた能力を持つ人々は、周囲から恐れられ、迫害される。彼らを文字通り保護する為の法律。

 そのはずだった。


 事情が変わったのは、施行から三十年後。

『第六感感応者は、今後の世界に対応すべく生まれた新人類だ。我らは迫害だの保護だの特別扱いされる必要は無い。旧人類を滅ぼして、この地球の真の主になろうではないか』

 日御碕ひのみ正雪しょうせつという男がぶち上げた演説に、世界中の第六感感応者が呼応した。

 奴等は超能力を人を害する為に使い、第六感感応者と一般人の人口比率を大きく崩した。

 共通の敵に対抗すべく、世界中の国々が手を組み、『第六感感応者対応部隊セブンス』が作られ、『第六感感応者保護法』は保護という名の拘束ないし排除を目的にする事となった。


 それから二十年。

 第六感感応者と対応部隊の争いはとどまるところを知らず、第六感感応者は数を増し、対応部隊は対抗手段を増やす為に、武器を開発し、薬品で身体を強化して、第六感感応者とは異なる人ならざる力を得ていった。

 俺も、対応部隊の一人として、高校を出てすぐに部隊に志願し、吐きそうな訓練と気の狂いそうな投薬の結果、凡人を遥かに超える肉体を手に入れた。


 はずだったのに。


 今日の敵は規格外だった。雷弾銃で追い詰めたと思ったところを、まさに窮鼠猫を噛む。想定外の反撃に遭い、見えない刃で肩を深く抉られた。

 お返しとばかり雷弾を胸にぶち込んで、動かなくしてやったが、こっちも最早立っているのが精一杯だ。本部に戻れないかもしれない。

 よろめきながらビルの陰に入り込んで、壁にもたれかかってずるずるとしゃがみ込み、深呼吸しながら痛みの魔物よ去れと願った時。


「誰か、いますか」


 こんな深夜に相応しくない、高い女性の声が聞こえて、こちらを覗き込む誰かが視界に入った。

 月明かりが照らし出す。ふわふわの茶髪を揺らし、まだ少女とも呼べるあどけなさを残した顔には、緊張が満ちている。

 だが、俺の姿を見た途端、彼女はくちびるを一文字に引き結んで俺の傍らに膝をつくと、こちらの肩に手をかざした。その手がぽうっと光り、傷口に吸い込まれたかと思うと、脈拍と同時に刻まれていた痛みが消え、流血も止まる。

 治癒ヒーリング能力。明らかに第六感感応者のものである力に、身体が強張る。何故、人類の敵が、敵である俺を助けるのか。

「ここにあなたが来る、という、第六感感応者としての予感があった。と言ったら、信じてくれますか。真野まの佐月さつきさん」

 名乗ってもいない名前を言い当てられ、更に身構える。

「大丈夫。私は『親和派』です。日御碕正雪の思想に賛同しない者達の集まりです」

 その言葉に息を呑む。対応部隊の養成学校にいた頃は、第六感感応者は全て敵、排除せよ、と教え込まれた。その範疇から外れた者がいる可能性など、考える余地も無かった。

 唖然とする俺に、女性は更に驚愕すべき言葉を重ねた。曰く。


「真野はづきは、私の友人です」


 はづき。

 一日たりとも、一瞬たりとも、忘れた事の無かった、大事な名前。俺のたった一人の妹。

 中学校からの帰り道、消えてしまった妹。

 ほんの時折、未来のことを見てきたかのように言っていた、妹。


「はづきは、日御碕のもとにいます。『予言の巫女』として、ただ未来の光景を引き出す為の装置となって」

 ああ、やっぱりそうか。先程までの荒い息とは異なる溜息が零れる。はづきは第六感感応者としての素質があるのではないか、と、両親も恐れていた。その為に、奴等にかどわかされたのではないかと。

 真実を知りたくて。はづきを取り戻したくて。俺は対応部隊に志願した。はづきは訳のわからない連中に使い捨てられる為に生まれたんじゃあない。笑って、泣いて、楽しんで。普通の女の子として生きて欲しかったのに。

 両手で顔を覆う。赤いものに濡れていたせいで、手から顔にぬるりとした感覚が移る。そんな俺の手に、ひんやりとした指の感触が触れた。

「佐月さん、私と共に来ませんか。まだ話せた頃のはづきは、あなたの事を、とても優しい兄だと、笑顔で語っていました。世界の覇者として立とうとする日御碕を止めたい私達と、はづきを取り戻したいあなたは、共に歩めると思うのです」

 はっと手をどけて顔を上げる。色素の薄い茶色い瞳は、じっと俺を映している。

 対応部隊である俺を上手く言いくるめて始末する為の詭弁。そうとも取れただろう。だが、今の俺には、彼女を信じよう、という気概があった。

「それも第六感感応者の予感か?」

 つい皮肉っぽく言ってしまい、少し後悔する。だが、相手は気を悪くする事も無く、眉をハの字に垂れて苦笑してみせた。それが答えだ。


 人類と、第六感感応者が、共存できる世界はあるのだろうか。

 考えながらも、女性に向けて手を差し出す。彼女は口元をゆるめて、その手を握り返してくれる。

 これが、共存の第一歩になるだろうか。

 そう思いつつ、彼女に向けて問いかける。

「君の名前を聞いてもいいか」

 瞬間。

 茶色の瞳が動揺に曇ったが、すぐにそれは消え去り、真剣な表情で彼女は言った。

日御碕ひのみ明日菜あすなです。よろしくお願いします、佐月さん」


 俺と彼女の、世界を変える戦いが、始まった時だった。

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