雨が降る気配

川木

雨が降らないように

 勘、インスピレーション、虫の知らせ、第六感。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、以外の何らかの感覚。そう言ったものが、なんとなくある、と思っている人が多いだろう。

 だけど六角伊佐美(ろっかくいさみ)は知っている。五感とは異なる六個めの感覚器官が、間違いなくある、と。


 一番最初にそれが分かったのは幼稚園の時だ。


「明日、晴れるといいわね、伊佐美ちゃん」

「? 明日は雨だよ? お母さん」


 伊佐美には雨が降るのがわかっていたが、それが自分以外にはわからないと知ったのは遠足の前日だった。匂いがどうとか、そう言った何かを説明することはできないけど、雨がふりそうだ。と何となくわかるのだ。そしてその的中率は百パーセント。

 成長と共にその感覚は鋭くなり、三日先の天気までわかるようになっていった。


「お母さん、今日はお昼から降って、明後日の朝までに雨がやんで一日お天気になるよ」

「そうなの、いつもありがとう」


 しかしこんな第六感があったところで伊佐美にとって、家族の洗濯予定がたてやすいのと、傘を持ち歩いて自分が降られない、というくらいしか利点はない。


 放送係である伊佐美は今日はお昼と放課後に放送をしなければならなかった。雨が降るとグラウンドで遊ぶ生徒はもちろんいなくて、放送を終えて帰ろうとする頃には学校中がしんとしていた。


「……あれ?」


 早く帰ろうと放送室からそのまま玄関の下駄箱に行き、横の共同傘箱を見て、自分の傘が亡くなっていることに気が付いた。


「またか」


 伊佐美の傘がとられたのだ。これはよくあることだった。今日みたいにテレビの天気予報で30%の時、持ってきていない子はそこそこいて勝手に人のを持っていき、しれっと翌日には戻ってきているのだ。

 伊佐美とは違って天気が分からないとはいっても、普通に30%はそこそこだし持ってきている子もいるし、置き傘もできるのだからやめてほしい。


 教室に戻って自分のロッカーを開けて、中から折り畳み傘をとりにいく。こういう時の為に、仕方なく折り畳み傘も置いているのだ。


「あれ? 田神さん?」


 誰もいないと思っていた教室だが、そこには転校生してきたばかりの田神麻子(たがみまこ)がいた。

 遊んでいる子はいないとはいっても、体育館では運動クラブの子がいるはずだし、たまたま荷物をとりにきたとかならわかるけれど、麻子は教室の席にポツンと座っていた。


「……なに?」


 なので変だなと思って近づいて声をかけたのだけど、麻子は平然と振り向いた。何もおかしくないかのように。机の上にも何もないし、より変だな、と思うと同時に、伊佐美は、あ、雨が降りそう。と思った。

 おかしいのだ。雨がすでに降っているのに、そんな風に思ったことは一度もない。だけど今も、麻子の前にいるとずっと振りそうだと感じていた。


「何って言うか、一人だし、どうしたのかなって思って。あ、私、六角伊佐美だよ」

「……雨が降っているから、両親の仕事が終わってから迎えにきてくれるのを待ってるの」

「ふーん? あ、傘忘れたの? 私の折り畳みでよかったら一緒に帰る?」


 麻子の家はわからないが、同じ学区なら行けないことはないだろう。小学校は終わったと言っても、親の仕事が終わるまではまだまだかかる。というかさっき帰るようアナウンスをしたのに、まだ残られているのもなんだか気持ち悪い。なので善意半分でそう提案した。


「……ありがとう。でも、一緒に、帰らない方がいいと思う」


 だけど何故か、雨の気配を強くしながら麻子はそう言った。


「なんで?」

「……私、いじめられてるから」

「えっ!? なんで!? ていうかごめん! 全然気づかなかった」


 今週の頭、月曜日に引っ越してきたばかりの麻子は凛とした美人な子で、興味津々なクラスの子が話しかけたりしてたけど、伊佐美としてはあんまりいっぱい来ても名前覚えられないだろうなと思って積極的に話しかけにいかなかった。

 あんまり愛想のいいタイプではないみたいで、今日も放課後の遊ぼうと誘われてはいたけど断っているのは見たけど、まさかいじめられているなんて。


 一年生から四年生まで同じ学年なのでほとんど全員顔と名前を憶えているし、だいたいの性格は知っているけど、そんな子がいたなんて。


「ごめんね。あの、余計なお世話かもしれないけど、明日から私気を付けるよ。あ、私と友達になったって言って、一緒にいるといいかも。複数でいた方がいじめられにくいと思うし」

「……っ、な、なんで、そんな風にしようとしてくれるの? 六角さんもいじめられたら、嫌でしょ?」

「え、でも……わかんないけど。でも……田神さんを放っておけないんだ」

「ぅっ……」

「あっ」


 雨が降った。感覚がそう言った。そしてようやく気が付いた。雨が降る感覚ではなくて、涙がこぼれそうな感覚だったんだ。


「大丈夫だよ」


 泣き出した麻子をそっと抱きしめながら伊佐美は思った。もう二度と、麻子に雨が降ってほしくないな、と。


「ところで、どんなふうにいじめられてるの? 誰から?」

「誰かはわからないけど、今日、帰ろうとしたら傘がなくて……」

「あ、それは……私も。あの、いじめと言うよりよくあると言うか……」

「えっ!?」


 その後、泣き止んだ麻子に話を聞くと、いじめではなくただこの学校の治安が悪いだけだった。ずっと暮らしているので気付かなかったけど、どうやら以前麻子がいた学校に比べて荒れているらしい。

 クラスメイトも話しかけてくるけど、言葉遣いが荒いからびびっていたらしい。お前って話しかけるのがアウトらしい。

 伊佐美は言わないけど女の子の友達も普通に言う子がいるし、全然気にしたことなかった。


 その後、伊佐美の仲介もあって麻子はクラスにとけこみ、それなりに友達もできた。だけど麻子にとって初めての友達である伊佐美は特別なようで、伊佐美にとっても麻子は一番大事な親友になるのだった。









 なんて出会いがあった。それから一年たって、もう小学五年生だ。あと二年で小学校も終わりかと思うと、何だか早かったような、ゆっくりなような、不思議な気分だ。


「おはよー、あれ?」

「おはよう、伊佐美。どうかした?」

「いや……なんでもないよ」


 これから五年生になる始業式の日、春休みで祖父の家に行っていた伊佐美は麻子とも久しぶりに会えるので楽しみにしていたのだけど、麻子と会った瞬間にした雨の気配にはっとした。

 麻子は切れ長の瞳をいつも通りツンとさせていて、クールな雰囲気で小学生ながら綺麗な子だ。いつもどおりで、泣きそうな感じは一切ない。だけど伊佐美の第六感は間違いなく、麻子が泣きそうなのだと言っていた。


 とは言え、クラスメイトもいる中で泣かせるわけにはいかないのでそっとしておくことにした。

 それに気配がしても泣かないこともある。あれ以降気が付いたら、雨の気配がする子を気にかけるようにしたけど、朝匂いがしても一緒に遊んでいるとだいたい放課後にはなくなっている子が大半だった。


「……ねぇ、今日、伊佐美の家に遊びに行ってもいい?」


 だけど放課後まで一緒にいても雨の気配は消えなくて、それどころか強くなった。


「う、うん。もちろん。早く帰ろっか」


 パッとはいつも通りに見える麻子と、いつもより足早に伊佐美の家に帰って、部屋にいれる。お互いの部屋に遊びに行くのも珍しいことではない。


「ねぇ、何かあった? 今日、元気ないよね」

「え……私、そんなにわかりやすかったかな?」

「ううん。でも、えっと、私は麻子と親友だから、私だけ気付いたと思う」


 麻子はプライドが高いので、みんなにばれていたと思ったらショックだろうからフォローする。実際、気配がなければ伊佐美だって気づかなかっただろう。


「そっか……あの、ね。伊佐美は、中学、どこに行くの?」

「え? 普通に布勢中だけど? 麻子もそうでしょ?」

「……私、受験するよう、お母さんに言われてて」

「えっ!? じゅ、受験!?」


 その発想が一切なかった。テレビなんかで中学受験、なんて見たことあって存在は知っていても、お金持ちとか夢を持ってるごく一部の限られた人の話だと思っていた。しかもまだ五年生なのに、受験の話だなんて。


「うん……聞いたことないよね。でも、私が前いたとこだと当たり前で、一応、電車でここから通えるし、多分小学校の昔の友達とも会えるよって言われたの」

「そ、そうなんだ……」


 言われてみて思い出す。学校の治安の悪さを自覚したはっきりした、意識の差を。そして麻子の家の大きさを。伊佐美の家は貧乏ではない。マンションだが兄妹もそれぞれ部屋をもらえているし、衣食住にも困らない。だけど麻子の家は大きな一軒家で、ピアノ専用の部屋や書斎なんかもあった。うん。お金持ちなのは知っていた。

 知っていたけど、それとこれとは話が別で、まさか中学受験するなんて思わなかった。


「えー、やだなぁ。あ、ごめん、言っちゃった。でも、離れたくないよね」

「っ! うん! やだ! やだよ! 私絶対嫌なの!」


 ぎゅっと目を閉じて大粒の涙を流しながら、麻子は伊佐美に抱き着きながらそう叫んだ。ずっと我慢していたからだろう、麻子はわんわんと大きな声で泣き出した。

 よしよしと初めてあった時のように抱き締めてなぐさめる。麻子は気の強い子で、めったに泣くことはなくて、あれ以来二回目の涙だった。

 麻子の涙は見ているだけで伊佐美も悲しくなってしまう。


「うぅ、絶対、受験なんて嫌なのに。お母さんが、絶対に受けろって言うの」


 春休みの間もそれでずっと喧嘩してた、と言うのだ。なんて可哀想なのか。だけどその話を聞いた最初から思っているのだけど、それではだめなのだろうか?


「あの、それって、わざと間違えて不合格になるのは駄目なの?」

「え……え!? て、天才!? そっか! そうだよね!」


 伊佐美の提案に一瞬ぽかんとした麻子だけど、すぐにぱっと笑顔になってまだ涙の残るまま、またぎゅっと伊佐美に抱き着いて大喜びしだした。


 発想すらなかったらしい。すごく喜んでいるし、実際に伊佐美も一緒にいたいから、同じ中学に行けること自体は嬉しいのだけど、なんというか、こう言うこと思いついてしまう人間から離したくて中学受験をさせようとしているなら申し訳ない気がする。

 習い事で受験自体は伊佐美もしたことがあるので、受験するだけでお金がかかることは知っているから、余計に申し訳ないような。


 一通り喜んで麻子も落ち着いたところで、他に説得する方法もないか考える為、詳しく聞くことにした。


「えっと、あとその中学に行かせたいっておばさんが言っているってことは、あの、高校とか大学とか、その先の進路のことも見据えてのことなのかなって思うんだけど、その辺何か言ってた?」

「う、うん。えっと。大学が有名な大学で、中学でも倍率は高いけど大学の方が難しいから、中学で入った方が絶対いいって」

「なるほど、じゃあ勉強頑張って、大学とか高校とかからでも余裕で入れるってとこ見せたら、普通に説得できるんじゃないかな」


 治安的な問題とか、そう言うのでなければ、最終的にそのいい大学に入ればいいのではないだろうか。


「! あ、で、でも、私、そんなに頭よくないし」


 こちらの提案にも一瞬ぱっと表情を明るくした麻子だったけど、すぐにしょんぼりしてしまう。麻子は頭が悪くはないけど、勘がいいタイプではないので、授業の内容はだいたい伊佐美が復習で軽く教えてあげてる。伊佐美はこう言うことにもピンとくると言うか、教科書を読めばだいたいわかるタイプだ。


「勉強くらい教えるよ。ていうか、私も一緒に勉強するよ。そんなにいい学校なら、大学から行くのはいいし」

「ほ、ほんとに!?」

「うん。あ、そう言えば奨学金って言う、すっごく成績がいいとただで学校に入れる制度ってあるんだよね? 私立なら高校とかでもあるのかな? もしあって、ほんとにいい学校なら私も高校からいってもいいよ」

「ほ、ほんと!? やったぁ! 伊佐美が一緒なら、私も頑張る!」

「あ、あくまでいい学校だったらだよ? 遠いなら通学も大変かもだし、私だって頑張るモチベーション欲しいもん。その辺は麻子がおばさんから詳しく聞いて、私にプレゼンして。だから麻子もおばさんに言われるからじゃなくて、自分が行きたいかよく考えて」

「……う、うん。わかった。私、お母さんにいっぱい聞いてくる。それで、本当によかったら、高校も、大学も、一緒に行ってくれる?」

「いいよ」


 実際どのくらいお金が必要で、どこにある学校で、普通の試験もどのくらい勉強が必要かわからない。だけどこんなに麻子が離れたくないと泣くのだから、勉強が得意な伊佐美としては

頑張ればお金とかの問題もなんとかなるならいってあげてもいいかな。というくらいには思っている。


「伊佐美っ、大好き!!」

「はいはい、よしよし」


 麻子は再び感激したかのように伊佐美に抱き着いた。今中学はなんとかなっても、いずれ別れなければならないと言うことに気付いて悲しくなっていたのだろう。

 だけど伊佐美は大学だって一緒にいるつもりだ。伊佐美も同じ気持ちだと伝わって、喜んでくれている。それがわかって、伊佐美も麻子をなだめながら自分も嬉しくなってしまう。


 ふいに、雨の気配がした。


「う、うぅ! 伊佐美ぃ! ほんとにずっと一緒にいてほしいよぉ! 結婚して!」

「いや、まあ、はいはい」


 どうやら喜びすぎて泣き出してしまったらしい。麻子の雨なんて降らなければいいと思っていたけど、そんなに喜んでるなら、まあ、たまには雨がふるのもいいか。と思った。



 それから二人は学校のことを詳しく知って、一緒に勉強をすることになった。要領のいい伊佐美はとんとん拍子に中学受験をしても奨学金がとれそうなほどになったが、麻子がぎりぎりだったのもあり、麻子の母親了解の元二人とも地元の中学に行き、高校から私立に通うことになった。

 無事合格したものの、片道一時間の距離で十分通勤可能だったが、やっぱり毎日二時間とか正気の沙汰じゃない、と伊佐美が言い出したことで麻子の家が主導で二人暮らしをすることになった。

 一緒に勉強するようになってから麻子の家でも勉強をしていたことで、すっかり麻子に教えてくれるいい先生扱いとして非常によくしてくれるようになり、信頼もあって絶対一緒にいてほしいらしい。


 そんなわけで一緒に暮らすことになった二人はその後の人生も、ずっと一緒に過ごすのだった。

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