第40話 ニャーチェの箴言
ポポロはしゃんと背筋を伸ばし、スーニャン探しを再開した。
辞表を書くと決意を固めたおかげで、よけいな迷いを遠ざけることはできたけれど、結局やることと言えば、ひたすらあちこちを歩き回り、声掛けをして回るぐらいだ。どこにも手掛かりはなく、ポポロは気ばかりが急いた。
「スーニャン! どこだい、いたら返事をして!」
スーニャンの住む砂穴の隠れ家も訪れたが、返答がない。砂穴は小柄なスーニャンが住むのにちょうど良いサイズのため、ポポロが中へ入ろうとすると出っ張った腹がつっかえてしまう。無理やりに押し入ると、砂穴が崩落してしまう危険性もあるため、ポポロは砂穴の外からスーニャンを呼ぶのが常だった。
ポポロが呼べば、スーニャンは喜々として砂穴から飛び出してくる。それがいつもの光景であったのに、砂穴に向かって何度声をかけても応答がない。これはいよいよもって、スーニャンが攫われてしまったと考えざるを得ない。
橋の欄干に寝そべっているマヌルネコの獣人マヌを見かけた。まるで置物のように身動ぎせず、ほとんど景観と同化しているため、よくよく注意深く見ないと見過ごしてしまうだろう。
冷静さを欠いたポポロには、不動のマヌなどこれっぽっちも視界に入らなかった。ポポロが地下トウキヨを右往左往している間、どれほどマヌの前を横切っただろうか。
ポポロはマヌの博識ぶりに一目置いている。世界最古の猫族の末裔だけはあって、あらゆる歴史に通じている。時の回廊を開き、死霊を身に宿して交信もできるため、マヌはちょっとした予言者のようだ。
マヌもいちおうはポポロの教え子ではあるけれど、具体的に何かを教えたということはない。妖術師訓練校への入学手続きが済んだマヌと少しだけ接点を持った途端、それっきり見かけなくなった。
人外が地下トウキヨに移住するためには、妖術師訓練校の筆記試験に合格しなければならない。短期滞在や旅行目的であるなら筆記試験は不要だが、移住するとなると、ジパング語の一定の理解が必須となる。
大抵の生徒は、食い扶持を稼ぐ助けになる何らかの妖術を身に付けてから筆記試験に臨む。マヌはさっさと筆記試験を受け、風のように妖術師訓練校を卒業した。
「マヌ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
どことなく長老めいた雰囲気のあるマヌの周囲にもわっと霧が立ち込め、まんまるの毛玉のシルエットだけが浮かび上がった。
「狐の仕業ではない」
ポポロが用件を切り出すよりも先に結論を差し出された。
「……えっ?」
「悪人が害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪に勝る害悪はない」
狐の仕業ではない。換言すれば、コンタが誘拐を企てたわけではない、ということだが、なぜマヌはコンタを擁護するのだろう。
ひょっとすると、このマヌはコンタが得意の〈変身〉の妖術で化けたものではないか、と一瞬だけ疑ったが、中身がコンタであったとしたら、こんなにも頭の良さそうな台詞を吐けそうもない。
「表にはさながら悪意のごとく振る舞う、気位の高い慈愛もある」
「マヌ、なにを言っているの?」
マヌの箴言めいた物言いに、ポポロは頭を抱えた。
これではどちらが教師か分かったものではない。
「偉大なる猫の思想家ニャーチェの言葉だ」
「あっ、そうですか」
まんまるの毛玉のシルエットが徐々に薄くなり、消えかかっていた。マヌはポポロの無理解に付き合い切れないと思ったのかもしれない。
「マヌ、待って! もう少しヒントを」
霧に紛れて消えようとしていたマヌが億劫そうに口を開いた。
「高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ。高い所へは他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない」
ポポロはぱちくりと目を瞬いた。
「それって、スーニャンのこと?」
マヌは質問には答えず、偉大なる猫の思想家ニャーチェの言葉を諳んじた。
「汝の足下を掘れ。そこに泉あり」
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