第27話 スーニャン
地下トウキヨに舞い戻ったコンタは、物珍しそうに辺りを見回した。
「俺の知ってるトウキヨじゃねえな」
「〈
コンタの居ぬ間に地下はずいぶん変貌した。〈建造者〉の能力を持つ妖術師の手にかかれば、長屋を建て増すことなど造作もない。人外たちの住まう長屋は積み木を積むように拡張され、今もなお拡大の一途を辿っている。
「ポポ先生ィーーー、お帰りぃーーー」
ポポロとコンタが
「危ないよ、スーニャン」
「ポポ先生が受け止めてくれるからだいじょぶ」
えへへ、と笑って、スーニャンはポポロに頬擦りした。
ポポロの手に収まってしまうほど小柄なスーニャンは灼熱の砂漠で生まれた。
宝石のようなつぶらな瞳、ふわふわした三角形の耳、あどけない顔立ちもあって、砂漠の天使と称されるが、中身はかなりのやんちゃものだ。こんなに小さな身体であるが、ネズミや兎、蛇を捕食する根っからのハンターである。
出生間もなく捕獲され、愛くるしいペットとして人間に飼われかけたスーニャンはタワーマンションのベランダから飛び降り、脱走を図った。地面に墜落し、動けなくなっていたところをポポロが保護した。身寄りがないので妖術師訓練校に連れて行き、面倒を見ると、妙に懐かれた。
可愛い顔して獰猛なスーニャンは人間にはとんと懐かなかったようだが、ポポロにだけは甘えてくる。ジパング語を教えると、すぐに喋れるようになった。
「なんだ、このチビ。鉄砲玉かよ」
コンタがスーニャンの喉を撫でようとすると、スーニャンはがぶりと噛みついた。肉が裂け、赤い血が流れた。スーニャンは威嚇するように唸っている。
「痛ってえ! なにしやがる、このクソチビ」
「スーはチビじゃない」
コンタは気性の粗いスーニャンを怒らせてしまったようだ。思い切り睨みつけられ、完全に敵視されている。
「スーニャン、彼はキタキツネの獣人コンタ。ぼくの友達なんだ」
ポポロが仲裁すると、スーニャンは渋々威嚇をやめた。
「この子はスナネコの獣人スーニャン。妖術師訓練校の教え子」
そう紹介すると、コンタはじろじろとスーニャンを値踏みした。
「お前、どんな妖術が使える?」
「飛べる!」
スーニャンはきっぱりと断言した後、ぼそぼそと付け加えた。
「……ようになる」
「なんだよ、無能の教え子はやっぱり無能かよ」
コンタは吐き捨てるように言った。
「飛べたところで金は稼げねえ。無能とは付き合うだけ時間の無駄だ。あばよ、ポポ。ジパング銀行券を偽造できるようになったら、また組もうぜ」
コンタの関心事は金を稼げる妖術かどうかなのだろう。ひらひらと手を振り、立ち去っていった。
「ポポ先生、ほんとうにあんなのと友達なの?」
「ごめんね。出所したばかりで気が立っているんだよ」
スーニャンはいつになくしょんぼりしていた。
「先生もスーが飛べないと思ってる?」
どう答えたものか、ポポロは少し迷った。
「鳥が空を飛ぶのは普通のこと。でも魚や猫が空を飛ぼうとするのは夢だと笑われる。出来そうもないことをやろうとすると笑われるんだ。夢が叶うかどうかは分からないけど、夢を見るのは自由だよ。他人の夢を笑うよりもぜんぜん良い。少なくともぼくはスーニャンを応援する」
妖術を「夢」と言い換えると、スーニャンは顔をほころばせて、にっこり笑った。よほど嬉しかったのか、尻尾をぴょこぴょこ左右に揺らし喉をごろごろ鳴らしている。
「ポポ先生はやさしいから好き」
スーニャンが甘えた声で言った。構い過ぎると、がぶっと噛まれてしまうけれど、ちょっとぐらいは撫でてやらないと、「撫でてくれないの?」という顔をする。
齧るときはポポロ相手でも容赦がないので、おっかなびっくり頭を撫でてやった。スーニャンは目をとろんとさせて気持ちよさそうにしている。
空を飛びたがっているスーニャンは夜な夜な飛行訓練にいそしんでいる。逆さま列車のプラットホームから飛び降りるのを日課にしていることも知っている。
でも、どうして空を飛びたいのか、その理由を聞いたことはない。何度か訊ねたことがあるが、なんとなくはぐらかされるばかりだった。
「スーニャンはどうして空を飛びたいの?」
全身の毛を逆立てたスーニャンは、うー、と低く唸った。
「……笑わない?」
ちょっぴり上目遣いする仕草があまりにも可愛くて、ポポロは思わず笑ってしまった。
「笑わない、笑わない」
「ウソだあ! もう笑ってるもん」
スーニャンはごすごすと頭突きをしてきた。
「ごめん、ごめん。スーニャンの夢を笑ったわけじゃないんだ。言い方が可愛かったから、つい笑っちゃった」
他人の夢を笑わないなどと言った矢先に笑ってしまったのは、どうしようもなく間が悪かった。スーニャンが気を悪くするのも当然だ。
ポポロは平謝りしながら指を差し出した。
「なに?」
「齧っていいよ。笑ったお詫び」
スーニャンは再び、うー、と低く唸った。
これは仲直りの儀式だから思い切り齧って憂さ晴らししてくれればいいのに、意外にも、かぷっ、と甘噛みしただけだった。
なんでもかんでも強く噛むばかりだったのに、いつの間にか力加減を覚えたらしい。
ほんの赤ちゃんだった頃から知っているだけに、成長の早さに感動を覚えた。
「力加減ができるようになったね。偉い、偉い」
素直に褒めてやると、スーニャンがもういちど甘噛みしてきた。
野生動物として単独で暮らすならば力加減など要らないが、他者と共存するには、それなりの配慮が必要だ。
言葉を覚え、みだりに他者に危害を加えない。
そういったマナーを備えていなければ、地下トウキヨで暮らしてはいけない。
野生の本能を捨てたくないと言って、妖術師訓練校を去っていく者もいる。
本能を捨てるのではなく、都市生活を送る上での配慮を知るということなのだが、去るものを引き止めることはない。暮らしぶりが性に合わなければ逃げたっていい。
「スーは人間に捕まえられて狭い箱の中に入れられたの。きゅうくつ。たのしくない。外に出たくて出たくてしょうがなかった。そしたらね、箱の中に空飛ぶ猫がいたんだ。背中に羽根が生えていて、とっても格好よかった」
「へえ、空飛ぶ猫ねえ」
「そう! だからスーも空を飛べると思ったの」
スーニャンが捕らえられた「箱」というのは、タワーマンションの部屋のことで、空飛ぶ猫を見かけた「箱」というのは、おそらくテレビのことだろう。
現実と虚構の区別のつかない子猫だったスーニャンは、世にも珍しい空飛び猫を現実の存在だと思ってしまったのだろう。映像で目にしたように自分も飛べると思った。
だから、マンションのベランダから飛んだ。そして墜落した。
「スーニャンも背中に羽根が生えると思った?」
「そうなの! でも、ぜんぜん生えない。スー、がっかり」
尻尾をぱたんと伏せて、スーニャンはがっかり具合を表現した。
よくよく話を聞いてみて、ポポロはようやく理解した。
スーニャンはただ空を飛びたがっているだけではない。根底には空飛び猫への憧れがあって、なんなら背中に羽根が生えればいいと思っている。
「どうして空を飛びたいと思ったか、よく分かったよ。話してくれてありがとう」
「……笑わない?」
スーニャンが上目遣いで訊ねた。
「笑わないよ。とても素敵な理由だと思う」
「よかった!」
スーニャンは尻尾がちぎれそうなほど激しく左右に振って、全身で喜びを表現した。
スーニャンの「夢」はよく分かった。
あとは、どうすれば、そこに近付けるかだ。
「スーニャンは地下街で空飛び猫を見たことがある?」
「ない」
スーニャンは悲しそうに首を振った。地下トウキヨには無数の猫がいるが、羽根の生えた猫など見かけたことはないという。それはポポロも同じだった。
「それじゃあ、まずは空飛び猫について知ってそうな物知りを探そうか」
「どうやって?」
「空飛び猫を知ってますか、って聞いて回る」
「話すの、ニガテ……」
スーニャンが、うー、と唸った。ポポロ以外とは親しく話すことがなく、気に食わないことがあるとすぐに齧ってしまうので、なにかと反感を買うのだという。
「いっしょに聞いて回ってあげるよ。それぐらいは協力する」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと。教え子に嘘は言わない」
「やったあ! せんせい、だいすき!」
スーニャンはぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
教え子は皆それぞれに可愛いけれど、この子は特別に可愛いな、とポポロは思った。
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