第19話 アウラ

 ミリクには、モシュはきっと〈外郎道ウイロード〉にいるという確信があった。


 忘却のういろうを空からばら撒くには、まずもってういろうを調達せねばならない。


 ミリクが知る限り、ういろうがあるのは外郎道だけだ。


 外郎道を根城にしているオジュマコジュマと法螺貝の死霊ホーラ・ガイストを除けば、外郎道の存在を知る者はミリクとモシュ、アナベルだけ。モシュがひっそりと息を引き取るには打って付けだ。誰にも知られずに亡くなることを望むなら、これ以上もなく好都合の場所だろう。


 空を飛べるモシュであれば地下にある〈妖術師の巣穴〉からでも楽々と外郎道に入れるが、空を飛べないミリクはそうもいかない。アガリコの森に足を踏み入れ、枝に飛び乗り、皺くちゃの人間の顔に見える奇怪な瘤を見つけなくてはならない。


 老人様の奇怪な瘤を刺激すること、それが外郎道に入る鍵だ。


 そうと分かっていても、しんと静まり返ったアガリコの森は数歩先の足元さえまともに見えないほど暗い。いちいち枝に飛び乗って、特定の瘤の在り処を探すのは一苦労だった。こんな時こそ夜目の利くモシュが重宝するが、そのモシュを探してミリクはあちこち飛び回った。バネ足が軋む音が静寂を切り裂く。


 ふと近くで気配を感じた。よくよく耳を澄ますと、がさりと枝が揺れる音が聞こえた。猫ほどに小さな物体が枝から枝へ飛び移っている。暗くてはっきり見えないが、シルエットはモシュそのものだ。羽根が生えた猫なんて、そんじょそこらにいはしない。


「モシュ! 待って、モシュ!」


 ミリクが大声で叫ぶ。モシュらしき影は地を這うような低空を滑空し、逃げ去っていった。ミリクが慌てて追いかけると、蠢く触手に邪魔をされた。飛翔する影を追い詰めようと必死に追い縋ったが、アガリコの枝に頭をぶつけ、何度か姿を見失った。


 ミリクの手を逃れた影はこれ見よがしにホー、ホー、ホー、とフクロウの声真似までする始末。完全にミリクをからかっている。性質の悪いお遊びだ。死にかけの猫がこんな俊敏に動き回れるだろうか。死期が近いなんて大嘘だ。そうに決まっている。


「いい加減にしろよ、モシュ! ぜったい取っ捕まえてやる」


 上等だ。モシュめ、本気の追いかけっこ勝負がしたいなら受けて立つ。すっかり頭に血が上ったミリクは、いつの間にやら奇怪な瘤探しを放り出し、あっちこっちに逃げ続ける影を全力で追いかけていた。


 成長期のミリクは背が急激に伸びたせいで、生身の上半身とバネ足の下半身のバランスが悪い。おかげで小回りが利かず、身体の制御もままならない。


 捕まえたと思っても、ひらり、ひらりと逃げられて、ミリクの苛立ちは最高潮に達した。


 こんなことならば、モシュの言いつけなんて聞かず、アナベルが言うように妖術の一つや二つぐらい覚えておけばよかった。アガリコの枝を自在に操って、逃げる影を拘束できたらどんなに楽だろう。砂の龍をけしかけて、ぎりぎりと締め上げたっていい。


「モシュ、もう逃げるな! 大人しくしろ!」


 ミリクが腹の底から絞り出すように叫ぶ。あまりの大声に影の動きが一瞬、鈍った。猫の聴覚が優れ過ぎているのが仇となった格好だ。わずかな隙を見逃さず、ミリクは弾丸のように体当たりした。ようやく取り押さえ、ミリクはほっとひと息ついた。


「僕の勝ちだね、モシュ。もう逃げないでよ」


 ミリクが微笑しながら言った。しかしミリクの笑みはすぐに凍りついた。何かがおかしい。これはモシュではない。そもそも手触りが違う。形状フォルムも違う。何よりも目の光り方が違う。


 暗がりで光ったのは宝石のような目ではなかった。禍々しい赤い海に、夜空に浮かぶ星々を閉じ込めたような深遠な瞳。ミリクが捕まえたのは、鷹の身体に猫の頭が乗っかった猫頭鷹フクロウの死霊アウラ・ガイストだった。


「なんだ、アウラだったの。紛らわしいなあ」


 アガリコの森の寝ずの番をするアウラ・ガイストは、法螺貝の死霊ホーラ・ガイストと対をなす存在だ。アウラとホーラ、どちらもアナベルの妖術によって動いている。明確に違うのは行動範囲で、アウラはアガリコの外部を担当し、ホーラはアガリコの内部を担当する。


 役割としてはどちらも〈侵入者インベーダー〉の発見と通報であるが、甲斐甲斐しくアナベルの身の回りの世話をする法螺貝と違って、アウラは隠密に行動する。


「ねえ、アウラ。モシュがどこに行ったか知らない?」


 ミリクが訊ねると、アウラはぐるん、ぐるん、と首を回した。360度どころの生易しい回転ではなく、二回転、三回転、四回転と、頭がもげてしまいそうなほどに激しく首を回したものだから、遂には首がすぽん、とすっぽ抜けてしまった。鷹の胴体と猫の頭が分離して、猫の頭だけが虚空を飛んでいる。しばらく悪夢にうなされそうな不気味な絵面だった。


「分かった。知らないんだね」


 おしゃべりな法螺貝とは対照的にアウラはほとんど喋らない。滅多に音を立てることなく森に潜伏しているから、その存在を感知することは困難だ。とかく無口なアウラが質問にすらすら答えてくれるとは露ほども思っていなかったけれど、頭をすっ飛ばすことで迂回的に回答するなんて、さすがに想定外だった。トリッキー過ぎる。


 すっぽ抜けた猫の頭は鷹の胴体の元に戻っては来なかった。勝手気ままな猫さながらに夜を駆け、ぎゅるん、ぎゅるるん、と回転しながらアガリコの森を跳ね回る。置いてけぼりの鷹の胴体は枝先にぴたりと静止し、持ち場から一歩たりとも離れようとしない。


 猫の頭は遊び回りたがり、鷹の胴体は潜伏しようとする。頭と体はそれぞれ別個の意思を宿しているようだ。鷹の胴体は主人のアナベルに申し付けられた通り、きちんと〈侵入者〉の見張りをしている。自由な猫の頭はミリクと遊びたがった。


 猫の頭はちらちら振り返り、ミリクが追いかけてこないことを不満そうにしている。いや、もしかすると、あれはモシュの行き先を案内してくれているのかもしれない。


 死霊は主人の命令に忠実であるから、アナベルが〈侵入者〉を見張れ、と命じている以上、アウラはその役目を滞りなくこなさなくてはならない。


 一方で、アナベルに好意を持たれているミリクも主人に近しい存在であるから邪険にはできない。


 アナベルの言いつけ通りに〈侵入者〉を見張りつつ、モシュの居場所を教える、という役目を両立しようとした結果、猫の頭と鷹の胴体がばらばらに分離してしまったのだろう。


「アウラ、お役目ご苦労様。あとでアナベルにいっぱい褒めてもらいなよ」


 ミリクが労をねぎらうと、鷹の胴体はちょっぴり誇らしげに居住まいを正した。アガリコの森はみんなの森だ。人間も獣人も死霊も分け隔てなく森を守り、森に守られている。


「合体しているときもアウラで、バラバラなときもアウラだと、アナベルもどっちを褒めていいのか分からないか。そうだ、バラバラなときは別々の名前で呼ぶのはどうかな。あっちがアウで、君はウラとかはどう」


 鷹の胴体だけとなったアウラ改めウラは言葉を発しなかったが、それでいい、とばかりに雄々しく羽根を広げた。とても死霊とは思えぬほどの優美な佇まいだ。


「ありがとう、ウラ。ちょっとアウを借りるね」


 森を警備するウラと別れ、ミリクは猫の頭のアウを追った。枝を次々に飛び移る。ミリクが通り過ぎていったアガリコの木肌には様々な形に膨れ上がった瘤があった。斧で枝を切り落とした痕であり、ミリクが森を傷付けたという紛れもない証拠。


 アウに追いつく途中途中で、アガリコの枝が蠢く触手となってミリクの行く手を阻んだ。憎らしいから、いっちょ邪魔してやろう、という意地悪な意思ではない。


 森を傷付けていることをちゃんと自覚しているんだろうな、という確認を込めた意志に思えた。死霊が生きているように、森もまた生きている。ミリクはアガリコの森に向かって頭を下げた。


「アガリコ、いつもありがとう。枝を切ってごめんね。なるべく痛くないように切るから」


 神聖なアガリコに斧を振るうたび、ミリクはどうしようもない葛藤を覚えた。木を切りたいと思って切っているわけではない。出来ることなら、やりたくはない。でも、太陽の光が届かない町ではアガリコの薪は死活的に重要で、誰かが木を切らねば皆が凍えてしまう。


 ミリクが心ばかりの感謝と敬意を伝えると、触手の動きが鈍くなった。しょうがねえなあ、と許してくれたらしい。アガリコの触手はミリクを優しく抱きかかえると、アウの待つ枝先にすとんと降ろしてくれた。


 アウはしきりに奇怪な瘤に頭突きをして、モシュはここから潜ったぞ、と告げている。


「案内ありがとう、アウ。アナベルによろしくね」


 ミリクがアウの頭を撫でてやる。アウは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねると、夜の闇に溶けていった。〈外郎道〉へ通じる入り口に立ったはずが、待てど暮らせど内部へ誘われる気配がない。瘤を殴りつけても、うんともすんとも反応しない。


「入れないじゃん……」


 ミリクがぼやく。


 斧で瘤のある枝を切りつけたら、外郎道に取り込まれたことがあったため、外郎道に入る鍵は瘤を刺激することだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。


 それとも斧でなければ役不足で、殴るぐらいでは刺激が足りないのか。いずれにしても手元に斧はなく、家まで取りに帰る余裕はない。尻尾を巻いて帰ったら帰ったで、この瘤まで無事に戻って来られる保証もない。


「さて、どうしたものかね」


 小難しい顔をしたミリクは腕組みし、沈思黙考した。


 斧以外で、外郎道に入る鍵。


 鍵、鍵、鍵……。


 鍵といえば、開くもの。閉じたものを開くには……。


 あれこれと考え続けるうち、ぱっと天啓のように閃いた。


 ミリクが厳かな調子で告げる。


「〈開封カイ〉」


 老人じみた瘤が緑色に発光した。


 皺がれた老人がにたりと笑い、深い闇がぽっかりと口を開けた。

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