第6話 モエヨ・ドラゴンズ
夢だと分かる夢を見た。
煉瓦造りのこじんまりとした古家で、火トカゲの獣人マザラ、空飛び猫のモシュ、それにミリクが楽しげに笑っている。
これが夢だとはっきり分かったのは、薪ストーブを囲んで温かなスープをふうふう冷ましているミリクの両足がバネ仕掛けではなかったから。
ミリクの両足は雪をかぶった白皮のカボチャのように儚げで、ひ弱な印象を受ける。
こんな軟弱な足腰では巨木のアガリコに飛び乗れず、木の枝を落として持ち帰ることも出来やしない。
薪がなければ暖を取ることさえ出来ないはずなのに、夢の中のミリクは悩む風でもなく、ふやけた笑みを湛えている。
全身を包み込むそこはかとない気怠さが心地良く、ぬるま湯のような安穏とした夢にいつまでも浸っていたい気がした。
「おい、いつまで眠っている。さっさと起きろ、ミリク」
頭上からモシュの苛立った声が降り注ぎ、穏やかな眠りは唐突に蹴破られた。
どうやら、頬を蹴られたらしい。
ミリクはじんじん痛む左の頬を押さえ、億劫そうに身体を起こした。夢から覚めた途端、忘れかけていた空腹がぶり返した。
「もうちょっと優しい起こし方はできないわけ?」
モシュの起こし方はとにかく荒っぽい。自分が起こされるときには「何人たりとも眠りを妨げることは許さん」などと怒るくせに、ミリクを起こすときには平気で足蹴にする。
「さんざん起こしたぞ。ぐうぐう眠っていい気なものだな」
「モシュ、食べ物は?」
「ういろうならいくらでもあるぞ」
「何もないのと同じじゃん」
残念ながら、ミリクの目の前にご馳走はなかった。
オジュマコジュマ一座は、ぐるぐると螺旋を描く龍のような急坂を上へ、上へ、と昇り詰めている。
坂道の所々に窪みがあって、でこぼこの道は龍の鱗のようだ。
一座は先頭集団のオジュマコジュマが窪みに嵌まろうとお構いなしに猛然と突き進んでいく。
先駆けのオジュマコジュマが窪地にぎゅうぎゅうと押し込まれ、後続のオジュマコジュマが踏みつけにして凹みを均していく。
木の実かなにかであろうか、道の脇に黒っぽい丸薬のようなものが無数に転がっている。
この際、食べられるものならなんでもいい。
ミリクが手を伸ばしたが、オジュマコジュマに運ばれたままの姿勢では掴むことが出来なかった。
「あれ、木の実かなにかだったんじゃないの」
ミリクが物欲しげな目をした。
「ただの糞だ。食べたければ止めはしないぞ。モシュは遠慮するがな」
「……糞? もしかしてオジュマコジュマの糞? 樹霊って糞をするの?」
ミリクが素っ頓狂な声をあげた。ついつい疑問を重ねてしまったが、モシュに無視された。
「止まれ。どうやらここが運命の分かれ道らしいな」
モシュが命じると、オジュマコジュマ一座は昇り龍の行き止まりで停止した。
〈ご休憩〉〈ご宿泊〉〈お食事処〉と掲げられた三つの扉が並んでいる。
両脇の扉には金ぴかの
「ぐげげげげげ。悲願のペナント獲得だぎや。よくぞここまで辿り着いただなも」
どうにもここが〈母の木〉の頂点であるらしい。空中をふわふわと彷徨う
「モシュオジュマ!」
「モシュオジュマ!!」
「モシュオジュマ!!!」
「モシュオジュマ!!!!」
「モシュオジュマ!!!!!」
感極まったオジュマコジュマたちは喜びのあまりにぴょんぴょん飛び跳ね、
ミリクもついでに胴上げされたが、なんとなしにおざなりな気がした。
身を粉にして走り抜けた一座とは違い、惰眠を貪っていただけのミリクに〈昇龍競争〉に貢献したという実感はなかった。
喜びを爆発させる一座を尻目に、ミリクはひとり蚊帳の外だった。傍観するばかりの祭りの高揚は虚しいだけで、空腹を紛らわせてはくれない。
「なんだ。せっかく頂点まで辿り着いたのに嬉しそうではないな」
「僕はなにもしてないからさ。それよりお腹が減ったよ、モシュ」
「そうか。ならば特別に選ばせてやろう。どの扉にする?」
オジュマコジュマ一座の頂点に君臨するモシュは三つの扉の前で顎をしゃくった。
ミリクは考えるまでもなく即答した。
「じゃあ、〈お食事処〉で」
「なにがあろうと後悔はないな?」
「うん。早く行こう。お腹が減って死にそう」
「分かった。行くぞ、オジュマコジュマども。いざ〈お食事処〉だ!」
オジュマコジュマ一座は暖簾のかかった〈お食事処〉の扉の先へ、足を踏み入れた。
しかし、扉の先に地面はなく、黒々とした闇がぽっかりと口を開けて待ち受けていた。
頂点から奈落の底へ、オジュマコジュマ一座は真っ逆さまに落ちていった。
喜びから一転、どん底への転落劇にオジュマコジュマたちは両手足をじたばたさせて慌てふためくばかり。
唯一、背中に羽根の生えたモシュが己だけ助かろうと浮かび上がろうとするが、抜け目なくミリクが捕獲した。
「馬鹿者。離せ! 落ちる! 落ちる!」
往生際の悪いモシュが大暴れするが、ミリクは一座もろとも墜落する運命を選んだのだ。
一匹だけ逃げようたってそうはいかない。墜落の只中、ミリクは扉のあった虚空を見上げた。
〈ご休憩〉〈ご宿泊〉〈お食事処〉、どれも等しく同じ闇に直結していた。
結局、どの扉を選んでも奈落に落ちる運命であったようだ。
「運命は分かれていなかったみたいだね、モシュ」
ミリクは落下するモシュを羽交い絞めにしながら、場違いなほど朗らかに言った。
モシュもすっかり諦めたようで、もう無駄な抵抗はしない。
「こういう性格の悪い罠は〈
「いやあ、天晴だね。あっぱれ、あっぱれ」
「笑っている場合か、ミリク」
呆れ顔のモシュは深々と溜息をついた。
「胴上げの後に墜落。これはちょっとやそっとじゃ忘れられない経験だよ」
「モシュの辞書に墜落という文字はない。出来ることなら記憶から抹消したいものだな」
「よかったじゃん、モシュ。新しい一ページだね」
「ふん。空飛び猫が墜落だと。黒歴史だ」
空中に投げ出されたミリクとモシュはどこまでもどこまでも続く深い闇へ落ちていった。
「これ、どこまで落ちていくのかな」
「さあな。せいぜい地面がマザラの頭ほど硬くなければいいがな」
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