千年帝国の聖騎士~ゲームの悪役に憑依したが悪役であり続ける

飛坂航

その者二つの魂を持ち

二心同体

 エルフ、ヒューム、ドワーフ、ハーフリンクに獣人、果てはコボルトまで意思疎通が可能な種族による大連合の構想は成功したと言ってよかった。


 知識と経験に優れるエルフが政治を行い、ドワーフが優れた技術を用いて鍛治や建築をし、獣人がその膂力で力仕事を行う。


 それぞれが自らの特性を活かして貢献し合い、弱点をおぎない合う。理想的な世界の到来に様々な種族が歓喜した。


 たった一つ、人間ヒュームを除いて。多様な能力を持つ人間は自分たちだけで生活できる、言い換えれば、他種族を必要とせず、他種族にも必要とされなかった。


 連合が形成させる以前は強大な種族の一つであったヒュームはさまざまな分野で一つに秀でた他種族に劣り、その影響力を低下させてきた。


 ヒュームたちが不満を持つことを誰が責められよう。


 代々職人だったものはドワーフ製の製品が市場を席巻したことで職を失い、商人たちは優れた金銭感覚を持つハーフリンクに取引先を奪われ、学問を志した者たちはエルフたちとの間にある時間の差に絶望する。


 不満は徐々に高まり、大飢饉の際に爆発した。人間至上主義という概念が誕生したのはこの時であった。


 ヒュームの現状への不満を背景に、その提唱者であるソティラス教は拡大の一途を辿る。


 ついにソティラス教の大聖人が未だヒュームの影響力が強い太陽ソール帝国の皇帝の地位を受け、再びヒュームの栄光を取り戻すために闘争を開始した。


 4年間続いた神聖なる大戦の結果、我々はトラバス、ハラルディアム、アスラのヒュームを連合から解放することに成功した。だがこれで終わりではない。


 我こそはと思うものは武装修道会本部の人事局へ


 皇帝陛下万歳、帝国に栄光あれ!



————————


 1000ヤードの瞳と呼ばれる感情を捨てた兵士特有の茫洋ぼうような視線で、フォールが見るともなく眺めていたログンが一息ついて口を開いた。


「その……」


 フォールの書いた求人広告を黙読し終えたログンが浮かべた迷いを読み取りながらもフォールは努めて冷静な表情を保つ。


 二十歳を迎えたばかりのフォールは軍歴は長いが年齢ではログンより10ほど下だ。


 年上の副長との距離は遠い。だがフォールは特に気にしていなかった。仕事をしてくれればそれでいい。


「率直に言ってくれて構わない」


 フォールはきっちりと着ている軍服と司祭服の中間のような武装修道会の制服の襟章を撫でながら続く言葉を待った。


「何というか……前半部分の書き方は歴史書ならばともかく、宣伝戦プロパガンダとしては相応しくないかと」


「そうか」


 ログンの方もフォールとの距離を掴めていないためかその声には遠慮があった。


 良い傾向ではないとフォールも思っている。武装修道会では部下は選べない。与えられた人材で最良の結果を出すことが求められている。


 例え、作戦指導本部の指揮下にある野戦将校である自分と、元国家保安部の異端審問官といえど最低限の連携を取らなければならない。


 迷いながらログンに声をかけようと口を開き、それが意識の続いた最後の瞬間だった。



「隊長?隊長?」


「……どうした」


 呼びかけに反射的に答えながら俺は部下の前で意識を乱した自分への驚愕を押し殺していた。


 手元の書類から視線を目の前の男へと移す。ソティラス帝国武装修道会の軍服と司祭服の中間のような制服を着た男。


 優しげな顔立ちに似合わない眉根に深いしわを持つ彼は俺の副官である。


 この男は誰だ?


 自分の中で湧き出した疑問に即座に答える。ログンだ。二ヶ月前に隊を持ってから最初に名前を覚えた。


 休日以外毎日会っているのだから忘れるはずがない。


 毎日?大学に行っていたはずだ。


 それはありえない。初期の部隊編成訓練のためにこの一月訓練場に缶詰だった。


「隊長?」


 再び訝しげな表情で問いかけてくるログンの顔に思わず俺は問いかけていた。


「私は誰だ?」


「はっ?フォール•グレイムバウワー。我が殉教部隊の隊長でいらっしゃいます」


 はっきりと顔に当惑を浮かべながらもログンは忠実に答えた。その言葉が脳に染み渡るか渡らないか悠長に理解するまでもなく否定した。


 そんなはずはない。佐久間友貴。20年と少し付き合って来た名前を忘れるわけがなかった。今日も何かの紙に記入したのだ。


 名前からして明らかに関わってはいけない組織の隊長?


 俺は乱れた立ち上がり窓の側まで歩く。磨き上げられた窓はいつも通りの自分の顔を写していた。

 

 くすんだ金髪に、生気のない茶色の瞳。一般的な帝国人だ。


 これは自分ではない。そんなはずがない。この20年、殆ど毎日自分の顔を見てきたのだ。見間違えようもない。


 それでもこれは自分ではない。


「太陽よ我らを惑わせし魔を撃ち払いたまえ【聖なる打撃ホーリースマイト】」


 退魔の奇跡を乞うた俺の願いに応え、神がその力を顕現させる。中級の祈祷術の名に恥じない、闇を砕く陽光がフォールに向けて殺到した。


 

「何をされているんですか⁈」


 悲鳴のようなログンの叫び声を無視して、ペタペタと自分の体を触り異常を探った。


「問題なさそうだな」


「一体、あなたは何を……」

 

 当惑を通り越して狂人を見る目をしているログン。自分の行動を客観視すれば確かに狂気という他ない……?


 いや、今の自分の行動は合理的だ。先程の理解できない思考回路。何かの干渉を受けたのは明白だ。思考に干渉する存在がいるのならば、その存在として第一に考えられるのは悪魔だ。

 

 正常に思考できている間に何がなんでも排除しなければならない。筋が通っている。それに、退魔の奇跡によって悪魔に取り憑かれていないことが確認できた。


 実に合理的で正しい判断だ。普段ならば疑問を抱く余地すらない。


 ……こんなこと普段なら考えない。悪魔?何のことだ。


「下がってくれ」


 気付けば、切迫感に塗れた命令を下していた。


「いえ、しかし……」


 手元の書類は今日中に完成させなければならない。とはいえ、この状態で仕事に集中できるとも思えない。頭に許容量以上のものを無理矢理詰め込まれているような心地で内側から破裂しそうなほど痛いのだ。


「30分したら話そう」


 一方的に話を切り上げるのは年上の部下に対する最適解ではないと知りながらも俺は話は終わりだと態度で示した。


「……失礼します」


 僅かに表情に浮かんだ不満を即座に掻き消したログンは武装修道士としての素質——歯車に徹すること——を持っている。


 定規で測ったような正確な敬礼をし、ログンは部屋を出た。


 パタリと扉が閉まり、足音が遠かったから俺は再び窓に映る己の顔を見つめる。


 一般的なソティラス帝国人の見た目をしている自分は自分であって自分ではない。


 よろけた足取りで自分の椅子に戻り、手で目元を覆い隠した。


 走馬灯のごとく頭を巡るのは二人分の記憶。ひたすら混乱する脳はすでに俺の制御を受け付けなかった。


「俺は……誰だ?」


 フォール•グレイムバウワーであり、佐久間有貴でもある。適切な表現かはわからないが、混ざったということなのだろう。


 走馬灯が唐突に止まった。有貴側の記憶でフォールについての情報に接したためだ。芋づる式にゲーム、『ガーディアンオブミッドガルドII』の記憶が蘇る。


 ソティラス帝国への復讐を試みる者たち。帝国の追手を跳ね返し、散り散りになっていた反帝国勢力を糾合する。


 さまざまな種族からなる連合軍で帝国に決戦を挑み、帝国軍を打ち破り帝都に攻め込む。


 そしてついには皇帝であり教皇であるかの方が殺される。


 正義の旗が帝都にはためくエンディングの画像を脳内から追い出すように頭を振る。


 馬鹿な。フォールとしての記憶がそれを即座に否定する。休戦後すぐに陸軍の拡大に着手した帝国は大陸最大の陸軍を持つ。会戦での敗北はまずあり得ない。それがフォールにとっての常識であり、帝国人の共通認識だ。


 否定しきる寸前にフォールの脳に叩き込まれた合理的思考の判断が安易な決めつけを阻害する。


 物語通り諸種族による連合と帝国内部での一斉蜂起があればあるいは帝国陸軍は負けるかもしれない。


 あればの話だ。そもそもそんなことが起こるはずが——俺の脳裏を掠めた考えはの記憶によって肯定される。


 併合地域の統治者が多数死亡すればそれもあり得る。だがそんなことは不可能なはずだ。


 帝国は要人の暗殺やパルチザンの跋扈を許すような惰弱な国家ではない。そのために自分が——。


 そこまで考えて俺は咄嗟に自らの胸を押さえた。突如フラッシュした一連のイベントシーン。


 剣が自らの胸に生えていた。


「そうか、そうだったな。俺は、フォール•グレイムバウワーは殺されるのか」


 自分が殺してきた人間のように殺され、物言わぬ屍となる。戦場に出る前から知っていたことが奇妙な現実感を持って胸の内に降りてきた。


「そうか、俺は死ぬのか」


 ただでさえ控えめに言って大混乱に陥っていた俺は感情を放棄する。


 今は感情を整理する時間でなく、思考する時間だ。


 考えれば考えるほど、この世界はゲームと似ている。地名も、人物名も、年号さえ気持ち悪いほど一致していた。帝国の崩壊がこれ以上ない予言を受けたと言ってもいい。


 防がねばならない。考える間もなく頭からその結論が湧き出ていた。


「問題は方法だな」


 ソティラス帝国で啓示を受けたなどと騒ぎ立てれば最も良くても一生強制労働である。


 それとなく帝国の政策を改善しようにも俺にそれができる権力はない。どこまで行っても駒の一つでしかなかった。


 喉まで迫り上がった吐き気を意志の力で押し返す。脳裏に浮かぶ二人分の人生は俺の頭を破壊する力がある。


 眉を揉んでストレスの軽減に努めながら唯一の慰めを自分に言い聞かせた。まだ、まだタイムリミットは遠い。ゲーム開始は帝国暦27年だ。2年の猶予がある。


 フォールに刷り込まれた目的遂行意識と武装修道士として常識は、将来の危機と同じく目の前の仕事の失敗も自らにとって致命的であると囁く。


 失敗して辞めさせられるくらいならまだマシだ。最悪物理的に首が飛びかねない。


 手元のコーヒーを一杯口に含む。冷めているせいで風味もあったものではないかったものの、条件反射的に心が落ち着いた。


 整理しよう。とにかく俺は将来がかなり危うい上に失敗が許されない職場の管理職だ。状況は限りなく最悪に近いが最悪ではない。そう最悪ではないのだ。

 今考えるべきは状況を最悪にしないこと。とりあえずはそれに集中しよう。


 自分を納得させた俺は呼び鈴を鳴らして隣室で待機していたログンを呼んだ。


 丁寧に扉を開けて入ってきたログンの敬礼に答礼しながら俺は口を開いた。


「5分ほど早く呼んでしまった。申し訳ない」


「いえ、隊長こそお加減は大丈夫ですか?先程はかなり顔色が悪くみえましたが」


「問題ない。それよりも仕事だ」


 俺は机の上に置いてあった命令書をログンに差し出す。


 訓練された素早い速度で黙読するログンを見ながら、確認の意味も含め口頭でも説明を始めた。


「旧アスラ王国内の帝設街道で軍や武装修道会われわれや軍の輸送部隊が頻繁に襲撃を受けている」


 旧アスラ王国領は帝国東部に位置し、帝国による東征にもっとも頑強に抵抗した地域でもあり、最後の戦地でもあった。


 今なお抵抗勢力が残存している旧アスラは帝国にとって頭の痛い問題だ。


 差し出した地図をログンは丁寧な手つきで受け取り、素早くパルチザンの活動場所を確認する。


「かなり国境に近いですね」


「ああ。主に狙われているのは国境線沿いの砦への補給部隊だ」


「しかし、我々が派遣されるほどでしょうか?」


 そう思うのも無理はない。フォールが率いているのは殉教部隊。


 大戦を勝ち抜いた兵士である作戦指導部の武装修道士と、帝国内部で亜人の摘発を行う異端審問官の中でさらに精鋭を集めた。


 狂信者揃いの武装修道士の中でもとびきりの実力を持つとびきりの狂人を集めた精鋭部隊だ。


 ただの賊徒に使うには勿体無いと思うのも無理はない。


「単なる盗賊にしては規模が大きく、未確認ながらもアスラの近衛兵が中核となっているとの情報もある」


「初仕事に相応しい難敵ですか」


 アスラの近衛兵、周辺国家に名を知られていた精鋭であり、一人一人の構成員がかなりの技量を持つ。


 強さを至上とする帝国の兵士でも一対一で負ける可能性があった。


「そうだ。しかし失敗は許されない。軍部では皇帝個人に忠誠を誓う武装修道会の存在を疑う声も出ている。価値を示すことが求められている」


 義務的に上司に言われたことを繰り返す。アスラの近衛兵は難敵だ。


 だが、敗北したからこそアスラ王国は滅んでる。その際に近衛兵の大部分も王を守って死んでいる。


「それに、我々の使命は難敵を打ち砕くことだ」 


 さて、狂人どもの試運転といこう。


「指揮官を集めてくれ、作戦を説明する」

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